「私の三冊」、自分が愉しむ愛読書か、他人に対する推奨本かで、選ぶ本が違ってくるかと(@_@;)
折に触れ読み返し拾い読みの度にインスパイアされるけど他人には解らなさそうな本あるし(@_@;)
そう考えたなら、例えば、岩波文庫創刊70年記念の臨時増刊「図書」571号(1996年)の「私の三冊」
アンケートの結果を参考に岩波文庫を選んで読んでみて、たとえハズレだったとしても納得(@_@;)

【読んだ本】

森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)所蔵本
森銑三(小出昌洋編)『新編 おらんだ正月』(岩波文庫,2003年)所蔵本

    ・・・平生無口で、人とあっても寒暖の挨拶以外、他の雑談に及ばない。幕府に
    召されて江戸にあった時、その孫が嫁をつれて京から来て温凊を奉じたが、三年
    経ってから蘭山は、「あのお女中はどういう方か?」と小声で孫に聞いたという。
    /しかし、談一度物産のことに及べば、諄々として教えて倦まない。人となり
    最も強記で、一度見聞きしたことは終身忘れなかった。とある時梅の古木で作った
    花筒を見て、この樹が伐ってあったのを子供の時太宰府で見た、切り口と木目に
    覚えがあるという。/聞いていた者はおどろいたが。果して蘭山のいった通り
    太宰府から出たのだった。/・・・

    ・・・/京都にいた蘭山の孫と、そのお嫁さんとは、後に江戸へ来て、おじいさんの
    お側に仕えていましたが、三年も立[ママ]ってから、蘭山はお嫁さんに気がついて、
    そっと孫に、「見なれない御婦人がいられるようだが、あれはどういうお方かの」と
    聞いたということです。/蘭山は、世間並のことには、それほど無頓着な人であり
    ましたが、それでいて学問のことになりますと、注意深い上に記憶がよくて、一度
    見たり聞いたりしたことは、一生忘れませんでした。/ある日蘭山は、堀田摂津守
    正敦という大名の屋敷に招かれて行きましたが、一つの花筒が出されたのを見て、
    「これは梅の樹ですが、多分太宰府の梅でございましょう」といいました。/「出処
    [でどころ]まで、どうしてお分りになりますか」と、正敦が驚いて尋ねましたら、
    蘭山は、「子供の時に太宰府へ参詣に行って、梅の樹の枯れたのが切ってあるのを
    見たことがございます。その樹の切口や、木目の工合がこれとそっくりですから、
    多分そうであろうと思いました」と答えました。/正敦始め、その場に居合せた人々は、
    今さらながら蘭山先生の覚えのよいのに、舌を捲いたということです。/・・・

順に『偉人暦(上)』の「一月二十七日 小野蘭山」と『新編 おらんだ正月』の「二十四 世界的
の大植物学者小野蘭山」からだが、スタイル的に前者は愛読書で後者は推奨本に小生は分類(@_@;)
森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)なら愛読書かつ推奨本に入れても良いかもね(@_@;)

・森銑三(小出昌洋編)『新編 おらんだ正月』(岩波文庫,2003年)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-10

・森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-09-26
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-09-30
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-10-10
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-10-13
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-10-28
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-10-31