旅に出ます!探してくださ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;サガサナイデジャナイノ? 日本シリーズ始まるからブログ更新
は何時に行なうか分からんな(´・_・`) 今年の日本シリーズの見所と言えば、勿論、オリの山崎福也が
先発&代打で投手のシリーズ最多安打の新記録(現在の記録は何本なんだ?)樹立かなv( ̄∇ ̄)ニヤッ

【読んだ本】

西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)所蔵本

大江朝綱(886~957)は天暦6年(952年)10月18日に白居易(白楽天)と夢の中で逢って、「都率天
からおいでになったのですか」「その通りです」と会話を交わしたけれど、

    ・・・申すべきことありて来たれるよしのたまひけるに、いまだ物語におよばずして
    夢さめにければ、口惜しき事かぎりなかりけり。/

と本書の巻第四の「大江朝綱、夢中に白楽天と問答の事」にある( ̄◇ ̄;) 「話さねばならないこと
があって来たのだと言われたのに」とあるが、本書の頭注は「白楽天が朝綱に言うことならば、詩文
に関することであったろう。相手が尊敬する異国の大詩人でありその当人の直接の語りかけであって
みれば、朝綱としては、一言半句なりとその言葉を耳にしたかったはずである。・・・」と指摘(^^)

藤原行成は夢の中で小野道風から「書法を授けよう」と言われ「雑事を言談した」と日記『権記』の
長保5年(1003年)11月25日条に記してるのに(倉本一宏[全現代語訳]『藤原行成「権記」(中)』
[講談社学術文庫,2012]306頁⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-21 )、
大江朝綱は夢の中で白楽天から「詩文に関すること」を聞けなかったのは何故か(@_@;) 行成の書は
既に道風の域に達してたが、詩文に秀でてたとはいえ朝綱は白楽天には及ばなかったからか(@_@;)

余談だが、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)の
寛弘元年(1004年)10月18日条に「右大弁[藤原行成]に仮名本七巻〈その内、(小野)道風の手跡
が二巻であった。〉を貸した。」とあるが、同書の寛弘元年(1004年)8月23日条に東宮(居貞親王=
三条天皇)から「私には別に本筥[ほんばこ]二合を賜った。(小野)道風の手本が入っていた。」
とあるのと同一物かな(@_@;) その後、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』
(講談社学術文庫,2009)の寛仁2年(1018年)10月22日条には「次に[後一条]天皇に御贈物を献上
した。左大将[藤原教通]が、元からあった御筥を取り次いだ。(小野)道風の二巻と(藤原)佐理
の書いた唱和集を入れた筥である〈皆、村濃の薄物に包んで、銀枝に付けてあった。〉・・・東宮
[敦良親王]への御贈物は、本二巻を筥に入れて包み、銀枝に付したもの〈道風の書いたものである。
〉と、笙の御笛であった。」とあるんだけど、このどちらかも、やはり同一物なのだろうか(@_@;)

・南北朝&室町時代初期の武将の今川了俊も夢の中で顔を知るはずがない安徳天皇に御目見得(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-10

・同じ趣味だと思っていたのに実は賄賂のためだったなんて(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-08