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210610読んだ本

読書の厄介なところは、名前は知ってても顔は知るはずがないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ねぇ、ボクが誰だかわかる? ボク、実は、安徳なんだよ! えっ!? 知らない!? 山川の教科書にも
出てくるはずだよ! 壇ノ浦の戦いとか聞いたことないかな? えっ!? 歴史の勉強は大嫌いだって!?
日本史だけでもまじめにしておけば、今頃ちょっとした文化人って、森高千里も言・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)

本書所収の今川了俊の旅日記『道行きぶり』(稲田利徳による校注・訳)に面白い件(422頁)が(^^)

    ・・・/その東に寺がある。阿弥陀堂という。安徳天皇がこの浦で亡くなられた後に、
    知盛卿の女の少将の尼とかいった人が、この所に残りとどまって、平家の人々の菩提を
    弔っていたが、その後に菩提所になされ、そこに安徳天皇の御尊影もいらっしゃる。
    そこの本尊は、清盛公の、福原の持仏堂にあった阿弥陀仏ということだ。さらに、
    小松の大臣[重盛]の本尊といった仏も立っていらっしゃる。この度、安徳天皇のことを
    いつか夢の中にお目見えしたので、幾度となく、その御菩提を弔った。どのような世々の
    契りがあってのことかと思われた。/・・・

「いつか夢に見えさせ給ふことの侍りしほどに」(422~423頁)に付された頭注22(423頁)に「了俊
は以前、安徳天皇の霊夢を見たことがあり、そのためもあって、御霊を弔ったようだ。」とあるが、
藤原行成が夢で小野道風に逢って「書法を授けよう」と言われたという話について「小野道風は康保
3年(966年)没らしく、藤原行成は天禄3年(972年)生まれゆえ、面識は無い(^_^;)」と指摘したの
と同様(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-08 )、今川了俊は南北朝時代
・室町時代初期の武将だから、安徳天皇の顔など知るはずがない(^_^;) 夢の中で「朕は安徳なり」と
名乗ったのかな(^_^;) でも、諡号を本人が知る由も無い(^_^;) 「御尊影」を見て、あの夢の少年は
安徳天皇だったのか!と判ったのか(^_^;) だとして、前に見た夢を憶えてるとは、流石、了俊(^_^;)
タグ:歴史 紀行
コメント(12) 
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コメント 12

tai-yama

土左衛門風の少年が「朕は平家の天皇である」と夢の中に出てきた
ので、「これは安徳天皇だ」と”なっとく"したのかも。
by tai-yama (2021-06-11 00:06) 

ナベちはる

顔を知らなければ声を知らない可能性も高いので、夢の中で名乗られても…というところはありますよね((+_+))
by ナベちはる (2021-06-11 01:11) 

middrinn

”なっとく"で「あんとく」ねぇ・・・C= (-。- ) フゥー
tai-yama様、8歳で平家とか解ってますかね(^_^;)
by middrinn (2021-06-11 05:31) 

middrinn

たしかに、声も解らないはずですよね(^_^;)
ナベちはる様、怪しんじゃいますよね(^_^;)
by middrinn (2021-06-11 05:33) 

そら

私も思います
もっと勉強しておくべきだったと・・・(^^;
by そら (2021-06-11 06:43) 

middrinn

生涯学習の時代ゆえ森高千里を聴きながら、
今から日本史の勉強を始めましょう(^o^)丿
by middrinn (2021-06-11 06:44) 

美美

私も歴史、日本史、大の苦手でした。
話は好きなんですけどね(^^;
by 美美 (2021-06-11 16:29) 

middrinn

国内旅行の際に日本史の知識があると、
ヨリ楽しめるかと思われます(^o^)丿
by middrinn (2021-06-11 16:41) 

df233285

その夢で出会ったとされる人物の顔が、安徳天皇の顔との
今川了俊の主張には、信憑性が無い。武家今川了俊は、名前
からして静岡県の人間だし、九州大分・福岡に、幕府方で陣取
り、その間を行き来、し続けたと考えるのは自然。日記の前にも、
壇ノ浦は何度も、合戦の準備のとき等で素通り等したはず。
その後壇ノ浦の夢を見たときに、天皇の装束をつけた人間が、
枕に立ったとしたケースには、顔が何んでも安徳天皇と見たはず。
日記には、「現地で同じ顔の幽霊を見て確認した」とは書いて
いないので、「前に見た夢の中の人物」の顔が、安徳天皇の顔で
あるとの証明に、特段なって居無いと思う。
by df233285 (2021-06-12 07:38) 

middrinn

今川氏は足利氏の一族で、細川、仁木、吉良、一色などの各氏と同様、
三河国(足利氏の第二の本領)の出身で、了俊の父の範国が尊氏から
駿河・遠江の守護とされましたが、了俊が生まれたのは1326年ゆえ、
三河生まれかと(^_^;) 1336年に尊氏が九州に落ちた時も年齢的に
同道したか分かりませんし、また尊氏は九州落ちの前に山陽・四国に
武将を配置しましたが、今川顕氏・貞国兄弟を備後の守護に任命した
こともあるので、この旅日記が書かれた、九州探題に任命されて赴任
した1371年の旅が了俊にとって初めての壇ノ浦ではないかと(^_^;)
by middrinn (2021-06-12 08:11) 

yokomi

夢の厄介なところは、会ったこともない名前だけしか知らない人の顔が勝手に出てくることである...。勿論本物じゃ有りませんが、夢の中って万能です(^_^;)
by yokomi (2021-06-12 10:39) 

middrinn

その人に会いたいという深層心理の表出ですかね(^_^;)
by middrinn (2021-06-12 14:31) 

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