考えてみれば、県名が「愛知」=知を愛するとは大きく出たもんだ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

駒田信二『艶笑いろはかるた』(文春文庫,1989)所蔵本

前章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-16 )に続いて、今日は本書の
「ろ 論語読みの論語知らず」を読んだ(^_^;) 「ろ」の句は京かるたが「論語読みの論語知らず」、
尾張かるたが「六十の三つ子」、江戸かるたが「論より証拠」の由(^_^;) 前述の如く、いろはかるた
は「天明年間(一七八一-一七八九)」に京都で生まれた由、「論語読みの論語知らず」が選ばれた
のも天明年間だとすると、伊藤仁斎、伊藤東涯はとうに亡くなってるし、当時の京都の儒学の状況を
反映・諷刺したものなのかな(@_@;) 「論より証拠」は気が短い江戸っ子には合っている気も(^_^;)
紹介されている笑話も論語が元ネタのは勉強にもなったけど、つい笑っちゃったのは次の小咄(^_^;)

    ・・・/『芳野山』(安永二年・一七七三)の「儒者」という小咄も、同じく
    「巧言令色、鮮し仁」をもじっている。/儒者の家へ泥棒がはいった。儒者が
    その泥棒を捕えて、/「その方、人間としてこのような不義を行なうとは、
    言語道断であるぞ。古語にも、渇しても盗泉の水は飲まずというではないか。
    今後は志を改めよ」/と説教し、銀子一包みをやって、/「さあ、早く出て行け」
    /といった。すると泥棒はその銀子の包みを見て、/「ああ、すくないかな銀」/
    ──この小咄、儒者よりも泥棒の方が一枚上に見えるところがおかしい。・・・

こーゆー小咄があったということは『論語』の代表的なフレーズは今よりも知られてたっぽい(^_^;)