SSブログ

220412読んだ本

昔も今も多くを学びインスパイアされてる座右の書に粗が見え始めたのは成長の証しかv( ̄∇ ̄)ニヤッ

【読んだ本】

岡村繁『新釈漢文大系117 白氏文集 二下』(明治書院,2007)

「江州作」と自注があって、「江州の高楼で、砧を打つ音を聞いて詠じた詩である。砧とは、衣類を
木の槌で打って柔らかくするのに用いる石の台。江州司馬(従五品下)に貶謫されていた時の作。」
(本書611頁)と解題されている「江樓聞砧」(江樓[かうろう]に砧を聞く)を通釈(「訳注稿」は
柳川順子が担当)とともに本書612頁から引く(返り点は略し、字体は完全に同一に非ず)( ̄◇ ̄;)

    江人授衣晩 十月始聞砧

    一夕高樓月 萬里故園心

     江人[かうじん]、衣を授[さづ]くること晩[おそ]く、十月 始めて砧を聞く。

     一夕[いつせき] 高樓[かうろう]の月、萬里 故園の心。

      南国江州の人々は、冬に備えて着物の支度をするのが晩く、十月になってやっと
      砧を打つ音が聞えてきた。そんなある夕べ、高楼に懸かる月を眺めながら、
      万里のかなたにある故郷にはるばると心を寄せたことだ。

白居易(白楽天)の別の作品から「八月九月正に長き夜 千声万声了む時無し」が『和漢朗詠集』に
採られて(菅野禮行[校注・訳]『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』[小学館,1999]は「八月
九月という晩秋のころともなると、まさしく夜も長くなる。その長い夜に、せっせと衣を擣つ砧の音
がひっきりなしにどこの家からも聞えてくることだ。」と訳)、和歌でも「衣打つ」「きぬた」等の
擣衣[とうい]を詠んだ歌は晩秋とされるけど、地方によっては「十月」=初冬もありかな(@_@;)

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)には〈「きぬた」を題とした「衣うつなり……」
というような歌は古いところには見られない。平安朝も末近くになってにわかに「きぬた」が歌に
よまれるようになるが、それは漢詩が月に取り合せて「擣衣」を詠ずる習慣があるのをまなんだので
ある。〉とあるもチト不正確(^_^;) 歌合で「擣衣」という歌題で詠まれた3首(1首は伊勢大輔タン)
が秋下の巻頭に並んで入集しているのは『後拾遺和歌集』、「きぬた」という語を用いた歌が初めて
勅撰集に入集するのは『千載和歌集』、ともに「平安朝も末近く」であることはたしかだが、紀貫之
は違うじゃん(^_^;) 木村正中(校注)『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』(新潮社,1988→2018
新装版)から引くと、「風寒みわが狩衣うつときぞ萩の下葉は色まさりける」「唐衣うつ声聞けば月
清みまだ寝ぬ人を空に知るかな」「雁鳴きて吹く風寒し唐衣君待ちがてにうたぬ夜ぞなき」が(^_^;)
「唐衣」は『和漢朗詠集』に採られて『新勅撰和歌集』にも入集しているし、語句に異同あるけど、
「風寒み」は『拾遺和歌集』に、「雁鳴きて」は『新古今和歌集』に、それぞれ入集_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
タグ:古典 和歌 中国
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

ナベちはる

一種の「バイブル」ともいえる本に疑問を抱いたり「おや?」と思うのは簡単ではないですが、それが出来るようになるのはどこか嬉しくもなりますね。
by ナベちはる (2022-04-13 00:46) 

middrinn

ですよねぇ(^_^;) それでも「バイブル」としての価値は変りませんし、
新たな「読み」も可能になるかもというワクワク感もあります(^_^;)
by middrinn (2022-04-13 04:49) 

df233285

若いころ読んだ、物理・数学・天文学の本は、私の
場合には16歳程度の頃をピークに、数学に対する
吸収力が落ちているので、歳を取る毎に私と、どんどん
差がついてゆくように見えておりいつも悲しくなる。
by df233285 (2022-04-13 08:05) 

middrinn

その分も累積された知識の量と精選された
知識の質でカヴァー出来ませんか(^o^)丿
by middrinn (2022-04-13 09:00) 

tai-yama

"砧"と見ると世田谷を思い出したり・・・・(笑)。
世田谷区民は実は江州人とか。
by tai-yama (2022-04-13 23:47) 

middrinn

世田谷区では「十月になってやっと砧を打つ音が聞えて」くると(^_^;)
by middrinn (2022-04-14 15:56) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。