読書の厄介なところは、テクストではなく読み手の頭の中にある深読みである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
いくらテクストを見つめても絶対に思い付かない解釈をする人がいるよね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)

久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)から「三七 那谷寺」の訳を引く(^^)

    山中温泉に行く途中は、白根が岳を後方に仰ぎ見ながら歩みを進めた。左手の山の
    すぐそばに観音堂がある。この寺は花山天皇が西国三十三ヵ所の順礼をお果たしに
    なった後、ここに大慈大悲の観世音菩薩の像を安置なさって、那谷寺と名付けられた
    とのことである。那谷というのは、那智と谷汲から一字ずつ分け取られたということ
    である。境内には珍しい形の岩石がさまざまな形で重なり、古い松が並び生えており、
    萱ぶきの小さなお堂が岩山の上に懸造りにしてあって、尊い感じのする、すばらしい
    土地である。

     [石山の 石より白し 秋の風]

      この那谷寺境内は様々な奇石の重なる石山で、白く曝[さ]れているが、
      この石山の石よりも、折から吹き渡る秋風なおいっそう白く感じられ、
      おごそかな雰囲気を醸し出すことだ。

(和歌では風に色は無いとされていたが)漢詩文では風の色は白とされていることを踏まえた句と
久富哲雄も解釈してる通りで(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-23 )、
それ以上でもそれ以下でもないと俳諧を解さぬ小生なんかは思うんだけど、保坂弘司は本書142頁で
次のように評している( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・/なお、ご出家後の花山院は、太上天皇の尊号を辞退され、花山寺すなわち
    元慶寺に在ってご精進され、播磨の書写山に赴かれて性空に道をたずね、また叡山
    に登っては廻心戒を受け、はるばると各地の古刹を遍歴して、苦難の多い修行の道
    を辿られた。例の『奥の細道』で、芭蕉が「石山の石より白し秋の風」と詠んだ
    那谷寺も花山院の悲願の地で、「花山の法皇三十三所の順礼とげさせ給ひて後、
    大慈大悲の像を安置し給ひて云々」の本文を深く読めば、この句には法皇への感慨
    がこめられていると見ることができよう。・・・

・花山院が播磨国で月の光の明るさに都を恋しがる歌を詠んでいるのが意味深に思えてしまう(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-28

・花山天皇は清涼殿から眺める月こそ素晴しいという和歌を詠んでいる〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-29

・よく知られている花山天皇が藤原道兼に騙されて退位・出家するシーン、誤訳ではないかと(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-31