読書の厄介なところは、能力を疑われぬためか注釈の無い現代語訳である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
岡山にも梅の名所あるんですねというコメを春に目撃(^_^;) 強要罪で訴えられそうなコメも最近(^_^;)

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』(吉川弘文館,2021)

藤原実資の日記『小右記』の万寿2年(1025年)7月6日条を本書206~207頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

     六日、丙戌。 清涼寺施米/大般若経外題を行成に鑑定させる/弘法大師の手跡か

    ・・・/(平)維時が請い奉った大般若経を、今朝、右近将監(高階)為善を介して
    権大納言([藤原]行成)に見せた。伝え送って云ったことには、「弘法大師(空海)
    の手跡と称するのは、何とも申し難いです。但し、あの頃は、能書の人はいませんでした。
    やはりあの大師の外題と称すべきでしょうか。まったく凡筆ではありません。深く感嘆
    しました。謂うところの、脛無くして到るというのは、もしかしたらこのようなもの
    でしょうか。尊重しなければいけません、随喜しなければなりません」ということだ。

「所謂」とあるから慣用句なんだろうけど、「脛無くして到る」の意味が小生には解らんぞ(@_@;)
「人の耳を飾る」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-06 )という表現も
『小右記』にあったな(^_^;) 藤原行成の日記『権記』に出てきた「月に乗じて」という表現の出典も
判ったし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-08 )、後日に期待か(^_^;)
「あの頃は、能書の人はいませんでした」というのもイミフ(@_@;) 「三筆」の生没年はwikiだと、
空海は774~835年、橘逸勢は782?~842年、嵯峨天皇は786~842年なので、空海だけ存命だったのは
774~782?年となり、空海は書の神童だったことに(^_^;) 「三蹟」も小野道風の代わりに兼明親王が
当時は入ってた可能性があるし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18 )、
「三筆」も後世に創られたものだったり(^_^;) 注釈なしの「現代語訳」なんて楽な仕事っぽい(^_^;)

・好感をいだいてた人物の旧悪を『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』で発見するとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-10