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211105読んだ本

読書の厄介なところは、彼の評価の凋落から感じる歴史の黄昏である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
人物評価は時代によって浮き沈みがあるから珍しくないことだけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)所蔵本

浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)の訳で有名な逸話を(^^)

     大中臣能宣[伊勢大輔タンの祖父]が父の頼基にこんな話をした。「この間のこと
     ですが、入道式部卿宮敦実親王の所での御子[ね]の日の時、まあまあの歌を詠み
     奉ることができました」と言った。頼基が「いったい、どんな歌を読んだというのか」
     と聞くと、

     「千年[ちとせ]までかぎれる松も今日よりは君に引かれて万代[よろづよ]や経む

      (千年までと、命を約束された、子の日の小松、若宮さまに今日引かれ、
       若宮さまにあやかって、千年から万年へ、命は延びたことでしょう)

     世間でも秀作だと褒めてくれてます」と答えたのだった。さて、父の頼基はしばらく
     その歌を口ずさんでいたが、突然、側[そば]にあった枕をつかんで、能宣を
     ぶんなぐってしまった。「もしも、思いがけずも、昇殿を許され、陛下の御子の日に
     連なったりした時、お前はいったい、どんな歌を詠むつもりなのか。まがまがしい
     愚か者めが。そのような枝分れの宮の子の日に、こんな立派な歌を詠むやつがいるか」
     と、言ったという。能宣は逃げて、どこかに隠れてしまったということだ。/・・・

藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)の元ネタに「さるわかれ宮の
子の日に、かかる歌よむやうやはある(=そのような枝分れの宮の子の日に、こんな立派な歌を詠む
やつがいるか)」という一文は無い(^_^;) 「あのような、傍流に別れた宮、の意か。」と浅見和彦は
頭注するが、『十訓抄』作者は敦実親王(ウダダの子で醍醐天皇の同母弟)に対して失礼だな(^_^;)

『拾遺抄』の他、小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)、菅野
禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)、藤原定家の秀歌撰である
『八代抄』(樋口芳麻呂&後藤重郎[校注]『定家八代抄 続王朝秀歌選(上)』[岩波文庫,1996])
に入っているから、「秀作」「立派な歌」であることは間違いない(^^) 『拾遺抄』『拾遺和歌集』の
詞書には「入道式部卿親王」とあるのに、『八代抄』の詞書には「式部卿為平親王」とある(@_@;)
為平親王は村上天皇の子で冷泉天皇の次に立太子が確実視されていたのに、源高明(後に安和の変で
失脚)の娘婿だったため敬遠されたと言われている人物だけど、前途を嘱望されていた頃には盛大な
子の日の遊びを行なったことは石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)でも紹介
されている(@_@;) さて、『拾遺抄』の同歌詞書の「入道式部卿親王」について「能宣と同年代で、
この呼称に該当する親王として敦実親王、為平親王がいる。」とした上で、竹鼻績はメチャ詳論(^^)
出家した年が『拾遺抄』の成立年代と齟齬するので為平親王はありえぬとしつつ、「・・・敦実親王
が子日の遊びをしたことは史料にみえない。」とも指摘(@_@;) 藤原道綱母作など為平親王の子の日
の遊びで詠まれたことが判明している和歌3首を検討して次のように述べている(@_@;)

    ・・・このように為平親王の子日の歌には、子日の遊びの主催者が至尊の者であるから、
    松までもそれにあやかって幾千代まで生き延びるという共通性がみられる。長寿の松に
    あやかるという一般的な子日の歌を逆転させた発想で詠まれている。能宣も、千年まで
    と寿命が限られている松が親王の寿命にあやかって万代までも生き延びると、同じ発想
    で詠んでいる。これは前掲の『袋草紙』にある父頼基のことばのように、至尊[=天皇]
    の催す子日の歌としてふさわしいものである。当時の為平親王は至尊の身ではないが、
    前に記したように立坊[=立太子]が予断可能な情況にあったので、親王の長寿・繁栄
    を寿いだ歌を至尊の場合と同じ発想で詠んだと考えられる。能宣の歌は為平親王の子日
    の遊びにふさわしいものであるが、『能宣集』に「入道の式部卿宮」とある本文を無下
    に否定することもできない。/

川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)の次の指摘
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-20 )は、能宣の歌が敦実親王にも
「ふさわしい」ことを示しているかとv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・この剣[=坂上宝剣]は、朝廷の守り、皇位継承のしるしと考えられていた
    ・・・から、一時[伝領され保持していた]敦実[親王]はその可能性があったのか。

そうなると、『古事談』の成立後から『十訓抄』の成立までの間に、敦実親王は皇位継承の可能性が
高かった人物から全く可能性が無かった人物へと変わってしまった、ということかなヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
タグ:和歌 歴史
コメント(4) 
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コメント 4

ナベちはる

亡くなってから評価されることもあるので、評価は分からないですよね。
by ナベちはる (2021-11-06 00:51) 

middrinn

亡くなった後に好意的な批評が溢れるのは結構なんですが、
生前から書いてやれよと思ったりする人もいますね(^_^;)
by middrinn (2021-11-06 06:22) 

tai-yama

素で解釈すると「ただのおべっか」と思ってしまう、自分が・・
若宮さまにあやかって、命が延びることはありまんねん。と
言いたくなったり(笑)。
by tai-yama (2021-11-06 18:57) 

middrinn

失礼なこと言ってると、命が延びるどころか、
全てがパーでんねんとなりますよ(⌒~⌒)ニヤリ
by middrinn (2021-11-06 19:44) 

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