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210806読んだ本

読書の厄介なところは、何のために予約したのか思い出せない場合である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
予約者多数本を順番が来て受取るも長いこと経ってるため予約目的を思い出せず読まずに返却(@_@;)

【読んだ本】

犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)所蔵本

小泉弘&山田昭全&小島孝之&木下資一(校注)『新日本古典文学大系40 宝物集 閑居友 比良山古人
霊託』(岩波書店,1993)所収の小泉弘&山田昭全(校注)『宝物集』を眺めてたら、「浄土をねがふ
歌を申[まうし]侍らむ」(同書348頁)として挙げてる5首中の1首は「源師時朝臣」の作とあるも、
脚注18に「金葉集では源師賢の作となっている。」(同書349頁)とあるので、川村晃生&柏木由夫&
工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)所収の川村晃生
&柏木由夫(校注)『金葉和歌集』から源師賢の当該歌をその大意とともに引く(⌒~⌒) ちなみに、
前掲・『宝物集』349頁の当該歌は二句が「心は誰も」となっている_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

      月の入るを見てよめる
                               源師賢朝臣

    西へゆく心は我もあるものをひとりな入りそ秋の夜の月

     極楽浄土のある、西へ向かおうとする志は私にもあるのに、
     私をおいて一人で西に入ってしまうなよ、秋の夜の月よ。

悪人が阿弥陀仏の名を唱えながら西へと歩き続けるだけで、こんなに簡単に往生が出来るものなのか
と書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-02 )、実行するだけでも
凄いことだったのかも(@_@;) 源太夫に対する羨望の念を詠んだ歌もあったりして(^_^;) 西へ行く
月を西方浄土と結び付けた歌が他にもあったので、同書から詞書は略して大意とともに引く(⌒~⌒)

                               僧都頼基

    もろともに西へや行くと月影の隈なき峰をたづねてぞ来し

     月とともに西方浄土に行けるかと思って、月の光がかげることのない
     明るい峰[=光明山]を尋ねてやって来たのです。


                               選子内親王

    阿弥陀仏ととなふる声に夢さめて西へながるゝ月をこそみれ  

     阿弥陀仏と名号を唱える声に迷妄の夢も覚めて、西方浄土を約束する、
     西へ流れ落ちて行く月を見るよ。


                               皇后宮肥後

    教へをきて入りにし月のなかりせばいかで思ひを西にかけまし 

     教えを残して、月が西方に入る如く入滅した釈迦がいなかったならば、
     どうして西方浄土を心にかけて思おうか。

最後のは「・・・西に傾く月を釈迦自身と見る点が特徴。」の由、ギリシャ神話なら、源太夫は星座
じゃなく、お月様になっちゃってたかも(^_^;) 源師賢の歌の脚注には「西に行く月に注目した歌は、
後拾遺集頃から見える。」「後拾遺集以後の月と仏教への関心の強まりを反映する歌。」と記され、
『後拾遺和歌集』入集歌が参考歌として挙げられているので、ソレを本書から引く(⌒~⌒)

      月を見てよみ侍ける
                               中原長国妻

    もろともにおなじうきよにすむ月のうらやましくもにしへゆくかな

       月を見て詠みました歌

     こうして私も一緒にこの憂き世に住んでいる月が、うらやましいことに
     ひとり西の方へむかっていくことよ。

本書も〈・・・西方浄土を連想する「西へ行く」は、後拾遺集のころがさきがけとなったらしい。〉
と注記するのに、この指摘が手元の『後拾遺和歌集』の注釈書の中には無いのがあるヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
この作者の勅撰集入集はこの1首のみらしいんだけど、中原長国によほど不満が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
冗談はさておき、『後拾遺集』以前の「西へ行く月」を『後拾遺集』歌人が・・・続きは明日(^o^)丿
タグ:和歌
コメント(10) 
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コメント 10

ナベちはる

なぜ借りたか思い出せないこと、たまにあります(^^;
すぐに返して、数日経ったあとに「なぜ借りたか」を思い出してまた借りに行って…大変ですねorz
by ナベちはる (2021-08-07 01:22) 

middrinn

予約した時には、何か理由や目的があったんでしょうけどね(^_^;)
念のため一応ざっと目を通しますので、二度と借りませんね(^_^;)
by middrinn (2021-08-07 06:09) 

そら

やっぱりすぐに借りて読みたいですものね!
予約をしてから時間が経つと忘れちゃいますよね(^^;
by そら (2021-08-07 08:21) 

df233285

なるほど。浄土教は法然がまだ若い頃から、現実には爆発的に
流行っていたのですね。勉強になりました。なお、季語そのもの
が秋なのでしょうが。月を秋に限っているのは、日本から見て浄土
のインドが南西だからだと思います。冬至点(いて座)付近にいる
半月が、夜中近くではあるが、少し早め、つまり早い月の入りで、
南に寄って西に沈むのですね。
by df233285 (2021-08-07 08:23) 

middrinn

読みたいと思った時に、すぐ読めた方が、
そら様、理解も深まりそうですしね(^^)
by middrinn (2021-08-07 08:48) 

middrinn

藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 下巻』(風間書房,1993)の中原長国妻の歌の
【参考】には〈空也・千観が出、源信が「往生要集」を著したのは寛和元年
(九八五)であるが、浄土信仰が徐々に滲透して往生伝や、往生譚が多く語ら
れるようになる。西方極楽浄土を庶幾する歌も男女の歌人によって多く詠まれ
ている・・・〉と(^^) 正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)は、
この源師賢の歌の結句は「山の端の月」としている本もあるとして、「秋の夜
の月でもよいが、[『金葉和歌集』の秋の部ではなく]雑の部である上に秋の
夜に限るわけでないから、山のはの月の方がこゝの場合よろしいと思ふ。然し
秋の夜で作ったのならば其でもよいわけである。」云々と論じておりますが、
長さん様、「秋の夜の月」であることに天文学的な理由があったとは( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2021-08-07 09:02) 

tai-yama

「西へ行く」は一種の信仰になっていたのかも。
「Go West」はPet Shop Boys の他にドリフも歌っていたり。
知っている人は結構なお歳・・・・
by tai-yama (2021-08-07 19:18) 

middrinn

「西へ行く月」を極楽ならぬ地獄行きと考えた人も(^_^;)
ドリフのは知らず、視聴してみましたがやはり初耳(^_^;)
by middrinn (2021-08-07 19:23) 

yokomi

皆、西の浄土に憧れていたのでしょうね。近代日本では「北」にユートピアが有ると騙され渡った若者も多数...(>_<) 月は北には沈みませんものね(^_^;)
by yokomi (2021-08-08 17:14) 

middrinn

たしかに、近代から現代まで、つい何十年か前まで、旧ソ連に始まる
「北の楽園」を喧伝する輩がいましたね(-"-) 中国は西ですが(^_^;)
by middrinn (2021-08-08 17:26) 

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