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210723読んだ本

読書の厄介なところは、スゴ腕キャバ嬢・スゴ腕ホストという喩えである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
会ったことも話したこともないので実際どのくらい「スゴ腕」なのかが小生には解らないから(@_@;)

【読んだ本】

細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』(洋泉社歴史新書y,2012)    

読了(^o^)丿 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2011)は読んで勉強に
なった記憶があったので(内容はモチ失念)チョイスした本書、メチャクチャ面白かったウラー!(^o^)丿

    プロローグ──物騒な主従漫才

      大笑いする頼朝/「暗いイメージ」だけなのか/頼朝時代十八年は特異な時代/

    一 流人の生活

     1 伊豆配流

     2 頼朝の家系

      武士で貴族/「河内源氏」が最強になるまで/最強と嫡流は別の話/

     3 頼朝の幼・少年期

      頼朝はお坊チャマ[比企尼・寒河尼・山内尼・三善康信の伯母]/
      平治の乱──「河内源氏」壊滅/

     4 支援者たち

      重罪人のスポンサーたち[比企尼・三善康信・祐範]/無償の支援・全くの好意/

     5 家臣

      気ままで楽しい流人ライフ[住み込み:小野田盛長・中原光家・藤原邦通
      通い:佐々木四兄弟(定綱・経高・盛綱・高綱)]/

     6 家庭

      貴種の血統は危険な存在/政子のガンバリで家庭を持つ/

     7 頼朝流人時代の武家社会

      「一所懸命」の武家社会/王朝の重圧の下で/

    二 ドキュメント・鎌倉入り

      追い詰められた頼朝/挙兵参加を募る/空前絶後の万馬券──北条氏の道/
      一発逆転に賭けた三浦氏/上総氏と千葉氏への期待/千葉常胤の涙/
      最強「上総軍団」を迎える/小山のゴッド・マザー寒河尼/大軍勢で鎌倉へ/

    三 「オレたちの町」鎌倉

      武士団と鎌倉幕府/鎌倉の大親分/頼朝の陣頭指揮の下/三大豪族の意見に従う/
      狐も棲んでいる「都市」/東国・関東・坂東/

    四 御家人たちの「溜まり場」鎌倉幕府

     1 仲間意識を醸成した都市鎌倉

      武士たちの交友範囲/王朝の支配と国毎の統率/鎌倉は武士の交流の場/
      ケンカもあります/頼朝邸は溜まり場/梶原景時弾劾事件/

     2 仲が良いけどケンカする御家人たち

      合戦と友情/鎌倉御家人・鎌倉武士とは/激高して武器を取り人を殺す/

    五 御家人たちのハートを摑んだ頼朝

      お下がりの奪い合い/憧憬と気遣い/御家人一人一人を/才能と努力による
      リーダーシップ/御家人全てに誇りと喜びを/親分に恥は掻かせられねェ/
      征夷大将軍だから付いて来たのではない/コラム(花押と政所下文)/
      御家人たちは頼朝が大好き/

    六 故郷としての都市鎌倉

      浮気と家庭内紛争/掛け替えのないのは家族/北条義時に書かせた起請文/
      頼朝が鎌倉で手に入れたもの/

    エピローグ──鎌倉幕府の青春時代

    あとがき

    参考文献

    参考系図

冒頭の「物騒な主従漫才」からして面白い(^^) 建久元年(1190年)8月16日の鶴岡放生会で御家人の
代表が流鏑馬・競馬の芸を奉納する「馬場の儀」において次のようなシーンが(本書12~15頁)(^^)

    ・・・/ところが、この場になって流鏑馬の射手に欠員が出た。すると、
    御家人の長老である大庭景能(景義とも)が頼朝に進言した。/「治承四年
    [1180年]の石橋山合戦で平家方だった河村義秀は、囚人としてワシが
    預かっとりますが、弓馬の芸に通じた者です。それに、あの時、平家方に付いた
    ヤツらには、ほとんどお許しが出てます。河村一人、落ちぶれたままなのは、
    どうですかね? 今、お召しになっては、いかがです?」/・・・/・・・だが、
    頼朝は景能の言葉にたちまち機嫌を損ね、次のように言った。/「そいつは
    『バラせ(殺せ)』と、おめェに言ったはずだ。今も生きてるてのは、
    どーゆーこった?」/・・・/・・・/しかし、頼朝は続けて、/「でも、今は
    神事に免じて、それは置いておく。早く連れて来い。ただし、大した腕じゃなかったら、
    今度こそバラすぞ」/・・・/・・・/かくて義秀は召し出され、頼朝の命により
    流鏑馬などの射芸を披露した。義秀の芸は見事なもので、観衆はどよめき、
    頼朝もすっかり機嫌を直して感嘆した。そして義秀は赦免を蒙ったのである。
    ……めでたし、めでたし。/……と思ったら、話はこれで済まなかった。/
    半月以上もたった九月三日。/頼朝のところに景能がやって来て、/「河村を
    バラしましょうか?」/・・・/と言ったものだから、頼朝は、/「何言ってンの?!
    おめェ!」/・・・/とビックリして、/「オレが『バラせ』と言った時に匿って、
    こっそり長年世話してたのは、おめェじゃねェーか?! それが、この間の流鏑馬で
    許しただろォーが?! 今さら何でバラすことがある?!」/・・・/と聞いた。
    頼朝のこのセリフには、/「何言ってンの?! このジィさん! ついにボケたの?!」/
    という彼の呆れた様子がよく現れている。/すると、景能は、/・・・
    
この後の大庭景能の発言に、自らの配慮が足らなかったことに気付き、「大笑いする頼朝」(⌒~⌒)
レーニンはよく笑う人だったという話から始める中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波書店,1994)
を連想しちゃったけど、いい主従だなぁと読んでてニコニコしてしまうエピソードだった(〃'∇'〃)

源頼朝に対する一般人のイメージは悪そうだけど、頼朝の魅力、御家人たちが頼朝に魅かれた理由を
本書は説き明かしてくれる(^^) 承久の乱で北条政子が演説し故頼朝の恩を訴えることで御家人たちを
動かした話があるけど、頼朝との楽しい思い出が頭に浮かんだ御家人も少なくなかったかもね(^_^;)

    ・・・/キャバクラ嬢がお店で配った義理チョコとは別に、「あなただけよ」と言って、
    常連客全員に、こっそりバレンタイン・チョコ(本命と称す)を渡すのと全く同じ手口
    である。また、向かいのお客と楽しくおしゃべりしながら、テーブルの下で隣のお客の
    ヒザに、ずっと手を置いているというベタな手口にも通じよう。/頼朝には、お客を
    夢中にさせるスゴ腕キャバ嬢・スゴ腕ホストと同じく、その場その場で相手の心を摑むに
    的確な言動をとれるという才能があったのである。/・・・

    ・・・/戦前(第二次世界大戦以前)の地方の小学校には、目隠しをして生徒一人一人
    の手を握り、その感触だけで、生徒の名前を言い当てられる校長先生がいたと言う。/
    また、某女性アイドルは、一度握手会に来たファンは顔と名前を必ず覚えており、一人
    一人に言葉を掛けるという。/頼朝には、この校長先生やアイドルに通じる才能(と努力)
    があったと言えると思う。/・・・

本書74~75頁と本書167頁から引いたけど、これらを裏付けるようなエピソードが引かれている(^_^;)
これだけの人心掌握術を身に付けてたから、一介の流人だったのに幕府を開けたんだろうね(⌒~⌒)

ナルホド!と思ったことの一つに、武士たちが集る場所は従来は各国の国府だったのが、鎌倉という
都市が誕生したことで、大きな変化が起きたとして次の指摘(本書130頁)をしていたこと( ̄◇ ̄;)

    ・・・/都市鎌倉の成立は、このような東国における武士たちの日常生活・人間関係を
    大きく変えた。/御家人たち(と、その家臣たち)は、鎌倉に奉仕するようになった
    のである。勿論、それまでと同じく所領でも暮らす。彼らは所領と鎌倉を行ったり来たり
    するようになったのであり、鎌倉での生活も日常となったのである。/遠隔地に所領を
    持つ武士同士が、日常的に交流するとう事態が起こったのだ。相模の武士と下野の武士が
    道をブラブラしてして、バッタリ出会うということが日常化したのである。/・・・

だから、ケンカも起きるようになったとも指摘されている(^_^;) そして、そんな都市鎌倉の中でも、
御家人たちの溜まり場となったのが、頼朝邸=幕府と本書は指摘( ̄◇ ̄;) 上総広常が頼朝の密命を
受けた梶原景時に双六をしている最中に斬殺された事件は有名だけど、ソレが行なわれた場所が幕府
であり、幕府で双六が行なわれていた事実に本書は注目する( ̄◇ ̄;) 本書は『吾妻鏡』に載ってる
話から、幕府が「居酒屋の役割を果たしている」こと、「ドンチャン騒ぎ」が行なわれるなど幕府が
「カラオケ・ボックスの役割を果たしている」こと、頼朝主催の飲み会が開かれ「年寄りの自慢話」
がなされたり、幕府が「ゲーム・イベント会場」と化したりしていたとして、〈頼朝の下に結集した
御家人たちは、鎌倉に集住し、幕府に通い、交流を深めていった。彼らの間には、率いる武士団の
規模に大きな格差があったにもかかわらず、彼らは「頼朝の直参」という意味で平等であり、実際、
一緒に飲み会をやったりして遊んでいる。それは「一体感」、言い換えれば「仲間意識」を醸成した
のである。〉と本書142~143頁( ̄◇ ̄;) その上での次の指摘(本書145頁)も説得力があるね(^_^;)

    ・・・/都市鎌倉、その中でも特に頼朝邸(幕府)は、御家人たちの「集う場所」
    であった。/その雰囲気を現代でたとえれば、「部室」である。/などと書くと、
    「何を言い出したのか?」と思われそうだが、つまり、マンガやアニメ、ライト
    ノベルなどで理想的に描き出されている二十一世紀日本における高校の部活動に
    おける部室、大学のサークル活動におけるサークル室である。/現代の高校生・
    大学生にとって、部室・サークル室は物理的にだけではなく、精神的にも「居場所」
    として機能している。これと同様の役割を頼朝時代の都市鎌倉、そして幕府は、
    御家人たちにとって果していたのである。/・・・

知ってる話でも本書のような新たな視点で読み解かれると新鮮で勉強になるし、また初見初耳の話も
結構あった(^_^;) 奥州合戦で頼朝が下野国一宮宇都宮二荒山神社に詣でた後に入った宿に下野最大の
豪族小山氏の当主の政光が参上し、「政光はこの時が頼朝との初対面であったらしい」(本書168頁)
というのは吃驚( ̄◇ ̄;) 石橋山合戦直後の衣笠城合戦で三浦の惣領義明が義澄以下の一族に言った
台詞、『吾妻鏡』のとは違って〈『源平盛衰記』では『平家物語』における壇ノ浦合戦での平知盛の
セリフとほぼ同じく、/「見ルベキホドノコトハ見ツ」/(人としてこの世に生まれて、見なければ
ならないものは、全部見たさ)/となっている。〉(本書87頁)という件を読んで、この「平知盛の
セリフ」は他の誰かも言ってたはずだけど誰だか思い出せぬと長年気になっていた問題も解決(^_^;)
気になる点も挙げると、本書194頁に「思い起こせば、頼朝が以仁王の令旨を一緒に読んだのも、藤原
邦通の描いた絵図を見ながら山木兼隆邸攻撃作戦を共に練ったのも、北条時政だけであった。・・・
/・・・/三十騎に満たざる兵力ではあったが、十年に及んだ内乱の中で頼朝が最も無力であった時、
彼を支え続けたのが、時政率いる北条氏であったことを、他の誰が忘れても、頼朝は忘れなかった
はずである。」とあるけど、その結論には納得も、『吾妻鏡』は北条氏顕彰・擁護のため曲筆・潤色
を行なっていたとされているから、「一緒に読んだ」「共に練った」というのも疑われてそう(^_^;)
タグ:評伝 歴史
コメント(10) 

コメント 10

ナベちはる

話だけでは判りづらい部分があるので、どれぐらい「スゴ腕」かは実際に自分で確かめてみないと判らないですね((+_+))
by ナベちはる (2021-07-24 01:11) 

yokomi

とても面白そうな本ですね(^_^)v うーん、成れるものなら「スゴ腕キャバ嬢」に成りたい(^_^;)
by yokomi (2021-07-24 02:23) 

middrinn

話にはよく聞きますけど、やはり、実際に、
ナベちはる様、確かめたいですよね(^_^;)
by middrinn (2021-07-24 05:15) 

middrinn

鎌倉時代の歴史にご興味あれば、
yokimi様。面白いです(^_^;)
by middrinn (2021-07-24 05:15) 

df233285

平安時代の京都に比べて、鎌倉時代の鎌倉情報の
コンテンツ量は桁違いに少ない。のに、細川重男氏等、
歴史家は、よくここまで調べ上げたものだと感心させ
られた。前世紀の第3四半期の頃は、「平家を滅ぼした
のはヒトエに源義経の実力なのに、成果を横取りした
だけの頼朝」で、鎌倉時代初期史については、学校の
歴史教育の場でも、単純に通俗戦記の受け売り程度で
誤魔化されて、おしまいだったような気がする。
by df233285 (2021-07-24 09:29) 

そら

私はその手の店に行ったことがないのでわかりませんが
話術にヤラレちゃいそうでうよねぇ(^^;
by そら (2021-07-24 10:21) 

middrinn

たしかに、ついこないだまで軍記物をなぞった
だけの歴史記述ばかりでしたね(^_^;) ただ、
長さん様、史料価値が高いとはいえ京都の公家
の日記の記述を信用し過ぎているような(^_^;)
鎌倉と京都で距離があるので情報伝達の過程で
誤りが生じる可能性も高いと思うのです(^_^;)
他方で、従来の史学の残滓なのか説話集を活用
していることもチト危うさを感じますね(^_^;)
by middrinn (2021-07-24 12:37) 

middrinn

そーゆー仕事をしている人は知り合いにもいないようなので、
そら様、その「スゴ腕」を一度体験してみたいですね(^_^;)
by middrinn (2021-07-24 12:40) 

tai-yama

校長先生に手を握られても嬉しくないかも・・・
一芸を持っていないとバラされる時代とは。まぁ、今の時代も
無芸だと会社からバラ(首)される可能性は高くなるのは同じか(笑)。
by tai-yama (2021-07-24 19:12) 

middrinn

そもそも石橋山合戦で平家方だったからバラされるわけで、
一芸よりも誰に味方するかが会社でも大事かと(⌒~⌒)ニヤニヤ
by middrinn (2021-07-24 19:38) 

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