1000円のギフト券に交換可能な200ポイントを貯めるのに、20万円も買い物するのは馬鹿らしいから、
年会費無料にするため1回だけカードで数百円程度の買い物はしたけど、アンケとゲーム(てゆーか、
くじ)を連日コツコツやって、今回も9ヶ月かかって1000円のギフト券をゲット出来た(ノ_-;)ツカレタ…
アンケは基本0.2~0.3ポイントだし、ゲーム(てゆーか、くじ)は0.02ポイントだからね(´ヘ`;)
【読んだ本】
原勝郎『東山時代に於ける一縉紳の生活』(講談社学術文庫,1978)所蔵本
昨日に続き、伊藤梅宇(著)亀井伸明(校訂)『見聞談叢』(岩波文庫,1940)をパラパラ読んでて、
第四巻の361「堀河院和歌を好ませらる」に目が留まったので引く(なお、□は底本=自筆本の判読に
堪えない所の由)(@_@;)
堀河院和歌をこのみ、源俊頼などの其道に名ある者を伺候す。周防内侍伊勢大輔など
云へる女房□歌を詠ずる者多し。
周防内侍は堀河院(1079年生まれで1086年に即位し1107年没)の時代にも活躍した女流歌人だけど、
常識的に考えて、伊勢大輔タンが堀河院歌壇で活躍していたなんてことはありえないかと( ̄◇ ̄;)
久保木哲夫(校注・訳)『私家集注釈叢刊2 伊勢大輔集注釈』(貴重本刊行会,1992)巻末の「解説」
にも次のように記されているからね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・・・本集[=『伊勢大輔集』]の再下限は康平三、四年(一〇六〇、一〇六一)
ごろまで求められるので、少なくとも伊勢大輔は七十代の半ばまでは生きたことに
なり、・・・
『見聞談叢』は巻末「解題」によれば伊藤梅宇(仁斎の次男)が既読の書物から興味あるトピックを
集めたものらしいから、伊藤梅宇が書写する際に間違えたのでなければ、種本に伊勢大輔タンの名が
(他の誰かと間違えて)載っていたことになる(@_@;) 後者の可能性に小生は興味がある(⌒~⌒)
後藤祥子「伊勢大輔伝記考」(山中裕編『平安時代の歴史と文学 文学編』[吉川弘文館,1981]所収)
は次の一文から始まっている(@_@;)
/いわゆる道長時代に名をとどめた幾人かの女流の中で、伊勢大輔の存在は
後の和歌史では比較的地味に扱われるが、・・・
伊勢大輔タンは、六条源家の源俊頼(金葉集の撰者で歌論書『俊頼髄脳』の著者)や六条藤家の藤原
顕輔(詞花集の撰者)&藤原清輔(歌学書『袋草紙』の著者)等から非常に高い評価を受けた優れた
歌人だけど、「後の和歌史」を支配した二条家や冷泉家の家祖である御子左家の藤原俊成(千載集の
撰者)&定家(新古今集・新勅撰集の撰者)からの評価が低かったから、仕方ないわな(-ω-、)
でも、本書を改めてパラパラ読んでいたら、能書家で知られた三条西実隆(将棋の駒も書いてる)が
書写した歌集や家集等のリストが載っていた(⌒~⌒)
・・・歌道は飛鳥井家の門人であって出藍の誉高かったから、歌集の書写等を下命に
なったこともしばしばで、たんに勅命のみならず、宮家、武家等からも依頼があった。
歌集でないものにも筆を染めた。/今それ等を列挙すると、続後拾遺集、殷富門院大輔集、
道因法師集、寂然法師集、鎌倉大納言家五十番詩歌合、北院御室御集、伊勢大輔集、
出羽弁集、康資王母集、四条宮主殿集で、これ等の多くは伝奏たる広橋家を通じての
武家からの注文であった。・・・
「後の和歌史」と異なり、室町中期に伊勢大輔タンの歌に興味を持った人がいたわけだv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・中宮彰子が最終兵器の伊勢大輔タンに「アレを取れ!」と出撃命令キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-10
・彰子からの出撃命令を受け、伊勢大輔タン、こっそり女院に侵入した女房たちを見事撃墜v( ̄∇ ̄)ニヤッ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-12
・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-03
・優れた歌人輩出の大中臣家の末なので伊勢大輔タンの孫娘に御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-26
・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-16
・エガちゃんじゃないが、伊勢大輔タンは確実に伝説を創り、生ける伝説だったという話ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-19
・少なくとも70代前半にはなっていたはずも老いてなお歌を召されるほど活躍していた伊勢大輔タン(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-07
・伊勢大輔タンの容貌を褒めつつ、その欠点を論うことも決して忘れない紫式部の性格の悪いこと(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-16
・そんな紫式部にも「気に入られるような、つつましく素直で、人なつこい人だった」伊勢大輔タン(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-13
・降り積もった雪が若菜を摘んでるのかしら、だなんて、伊勢大輔タン、発想が可愛いよん(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-02
・末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2019)42巻は伊勢大輔タンの歌が解ってないぞヾ(`◇´)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08
年会費無料にするため1回だけカードで数百円程度の買い物はしたけど、アンケとゲーム(てゆーか、
くじ)を連日コツコツやって、今回も9ヶ月かかって1000円のギフト券をゲット出来た(ノ_-;)ツカレタ…
アンケは基本0.2~0.3ポイントだし、ゲーム(てゆーか、くじ)は0.02ポイントだからね(´ヘ`;)
【読んだ本】
原勝郎『東山時代に於ける一縉紳の生活』(講談社学術文庫,1978)所蔵本
昨日に続き、伊藤梅宇(著)亀井伸明(校訂)『見聞談叢』(岩波文庫,1940)をパラパラ読んでて、
第四巻の361「堀河院和歌を好ませらる」に目が留まったので引く(なお、□は底本=自筆本の判読に
堪えない所の由)(@_@;)
堀河院和歌をこのみ、源俊頼などの其道に名ある者を伺候す。周防内侍伊勢大輔など
云へる女房□歌を詠ずる者多し。
周防内侍は堀河院(1079年生まれで1086年に即位し1107年没)の時代にも活躍した女流歌人だけど、
常識的に考えて、伊勢大輔タンが堀河院歌壇で活躍していたなんてことはありえないかと( ̄◇ ̄;)
久保木哲夫(校注・訳)『私家集注釈叢刊2 伊勢大輔集注釈』(貴重本刊行会,1992)巻末の「解説」
にも次のように記されているからね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・・・本集[=『伊勢大輔集』]の再下限は康平三、四年(一〇六〇、一〇六一)
ごろまで求められるので、少なくとも伊勢大輔は七十代の半ばまでは生きたことに
なり、・・・
『見聞談叢』は巻末「解題」によれば伊藤梅宇(仁斎の次男)が既読の書物から興味あるトピックを
集めたものらしいから、伊藤梅宇が書写する際に間違えたのでなければ、種本に伊勢大輔タンの名が
(他の誰かと間違えて)載っていたことになる(@_@;) 後者の可能性に小生は興味がある(⌒~⌒)
後藤祥子「伊勢大輔伝記考」(山中裕編『平安時代の歴史と文学 文学編』[吉川弘文館,1981]所収)
は次の一文から始まっている(@_@;)
/いわゆる道長時代に名をとどめた幾人かの女流の中で、伊勢大輔の存在は
後の和歌史では比較的地味に扱われるが、・・・
伊勢大輔タンは、六条源家の源俊頼(金葉集の撰者で歌論書『俊頼髄脳』の著者)や六条藤家の藤原
顕輔(詞花集の撰者)&藤原清輔(歌学書『袋草紙』の著者)等から非常に高い評価を受けた優れた
歌人だけど、「後の和歌史」を支配した二条家や冷泉家の家祖である御子左家の藤原俊成(千載集の
撰者)&定家(新古今集・新勅撰集の撰者)からの評価が低かったから、仕方ないわな(-ω-、)
でも、本書を改めてパラパラ読んでいたら、能書家で知られた三条西実隆(将棋の駒も書いてる)が
書写した歌集や家集等のリストが載っていた(⌒~⌒)
・・・歌道は飛鳥井家の門人であって出藍の誉高かったから、歌集の書写等を下命に
なったこともしばしばで、たんに勅命のみならず、宮家、武家等からも依頼があった。
歌集でないものにも筆を染めた。/今それ等を列挙すると、続後拾遺集、殷富門院大輔集、
道因法師集、寂然法師集、鎌倉大納言家五十番詩歌合、北院御室御集、伊勢大輔集、
出羽弁集、康資王母集、四条宮主殿集で、これ等の多くは伝奏たる広橋家を通じての
武家からの注文であった。・・・
「後の和歌史」と異なり、室町中期に伊勢大輔タンの歌に興味を持った人がいたわけだv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・中宮彰子が最終兵器の伊勢大輔タンに「アレを取れ!」と出撃命令キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
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・彰子からの出撃命令を受け、伊勢大輔タン、こっそり女院に侵入した女房たちを見事撃墜v( ̄∇ ̄)ニヤッ
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・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)
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・優れた歌人輩出の大中臣家の末なので伊勢大輔タンの孫娘に御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
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・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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・エガちゃんじゃないが、伊勢大輔タンは確実に伝説を創り、生ける伝説だったという話ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
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・少なくとも70代前半にはなっていたはずも老いてなお歌を召されるほど活躍していた伊勢大輔タン(^^)
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・伊勢大輔タンの容貌を褒めつつ、その欠点を論うことも決して忘れない紫式部の性格の悪いこと(^_^;)
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・そんな紫式部にも「気に入られるような、つつましく素直で、人なつこい人だった」伊勢大輔タン(^^)
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・降り積もった雪が若菜を摘んでるのかしら、だなんて、伊勢大輔タン、発想が可愛いよん(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-02
・末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2019)42巻は伊勢大輔タンの歌が解ってないぞヾ(`◇´)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08