200822読んだ本
「杉本、一緒に行くぞ!」に全オリが泣いた(T_T) なお、「水島、一緒に日本に帰ろう!」という映画
「ビルマの竪琴」の名台詞を連想したのは俺だけか(@_@;) 打撃好調なのに西村前監督の意向なのか
シーズン開幕後は一度も1軍に呼ばれなかったラオウ杉本裕太郎について日刊スポーツ(´;ω;`)ウッ…
・・・/20日に成績低迷により西村監督が辞任。[中嶋聡2軍監督は]シーズン途中で
監督代行を務めることになった。この日は朝一番に大阪・舞洲の球団施設に足を運んだ。
2軍で打撃好調だった杉本に「一緒に(1軍に)行くぞ」と声を掛けた。/・・・
デイリースポーツだと次の通りだが、体調不良を理由に登録抹消されてた大城滉二もまさか( ̄◇ ̄;)
・・・/前夜に代行就任を告げられたばかり。朝は舞洲に出向き、2軍の選手たちに
あいさつ。大城、杉本の2人に「一緒に行くぞ」と声を掛け1軍昇格させ、そのまま
スタメンで起用した。・・・
ラオウはアダム・ジョーンズから超高級ステーキを御馳走されたのを妬まれて干さ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
遠山美都男『検証 平城京の政変と内乱』(学研新書,2010)
読了(^o^)丿 平城京での政変・内乱について、従来の理解に対する異議申し立てをしてて面白い(^^)
・・・/藤原氏の陰謀や謀略、野心・野望、皇親勢力と藤原氏との闘争、
さらに天智天皇系と天武天皇系の対立・抗争といった言葉で片付けられがちな、
この時代の政変や内乱の説明に対して、本書は徹底的に疑問を投げかけ、
各事件の真相について、その謎解きに挑戦してみた。・・・
と「はじめに」で述べてて(本書4頁)、以下に目次を引くけど、細目次で疑問符が付いているのが、
「投げかけ」られた「疑問」の一部〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
はじめに
第一章 左大臣の犯罪──長屋王の変
長屋王の変のあらまし
ドキュメント 長屋王の変
長屋王の変の真相に迫る
左大臣に掛けられた容疑とは?
天皇の外戚になりたがっていた藤原氏?
聖武天皇の跡継ぎを生むのは……
皇后の皇子が皇太子に?
長屋王は藤原氏の抵抗勢力か?
藤原氏に「分を知れ!」と威嚇?
冤罪は謀略の結果のみにあらず
断章① 廟堂壊滅! 天然痘の猛威
兄弟四人がそろって閣僚に!
「百官の官人が疾を患う」
それは政権崩壊だった!
第二章 「我こそは大忠臣なり!」──藤原広嗣の乱
藤原広嗣の乱のあらまし
ドキュメント 藤原広嗣の乱
藤原広嗣の乱の真相に迫る
広嗣はなぜ立ち上がったのか?
「大忠臣」にこだわった広嗣
諸兄は藤原氏と対立していたか?
反乱に脅えて逃げ出した聖武天皇?
なぞの東国行幸──壬申の乱の再演?
断章② 安積親王の急死
息子の死を悲しまぬ父?
安積親王は毒殺された?
安積親王はアンチ藤原氏の希望の星?
断章③ 大仏開眼の前後
金鐘寺という聖地への「撤退」
「太上天皇・沙弥勝満」の境地
宇佐八幡大神の入京
大仏開眼、そして鑑真は来た
第三章 戒厳令の夜に──橘奈良麻呂の変
橘奈良麻呂の変のあらまし
ドキュメント 橘奈良麻呂の変
橘奈良麻呂の変の真相に迫る
史上最初の廃太子劇
孝謙女帝にあたえられた独自の権限
「皇嗣がいない」とはどういうことか?
奈良麻呂の立場とその意見
なぜ「反藤原」を標榜したのか?
見直すべき奈良麻呂の人物像
断章④ 孝謙太上天皇、突然の出家
太上天皇、平城宮に帰らず
審査される淳仁天皇
面子を潰された太上天皇
引き金となった道鏡問題
第四章 正一位太政大臣、湖畔に死す──恵美押勝の乱
恵美押勝の乱のあらまし
ドキュメント 恵美押勝の乱
恵美押勝の乱の真相に迫る
孝謙太上天皇は受け身だった?
早い段階で廃位された淳仁天皇
何が孝謙太上天皇を戦闘モードにしたか?
「今の帝」とは?──押勝の弱点と限界
壬申の乱よ、再び!──押勝の夢破れる
断章⑤ 和気王謀反事件
変転めまぐるしい半生
和気王の容疑とは?
女帝、和気王を許さず
淡路廃帝の不自然な死
断章⑥ 氷上志計志麻呂謀反事件
不破内親王──聖武天皇の札付き娘?
髑髏を宮中にもち込んで……
志計志麻呂は本名ではない
志計志麻呂が邪魔だった理由
第五章 「道鏡を天皇にせよ!」──宇佐八幡神託事件
宇佐八幡神託事件のあらまし
ドキュメント 宇佐八幡神託事件
宇佐八幡神託事件の真相に迫る
なぜ道鏡を天皇にできるのか?
道鏡、即位への階段
なぜ宇佐八幡だったのか?
清麻呂の立場とその意見
事件後の称徳天皇と道鏡
道鏡バッシングの始まり
断章⑦ 井上内親王廃后事件
井上内親王、立后の事情
突然の廃后、そして廃太子
天皇と皇后の夫婦げんかが原因?
事件の深い闇……
怨霊としての再生
第六章 狙われた新天皇──氷上川継謀反事件
氷上川継謀反事件のあらまし
ドキュメント 氷上川継謀反事件
氷上川継謀反事件の真相に迫る
世が世ならば天皇?
聖武天皇との繋がりをアピールする桓武天皇
目障りだった氷上川継
新しい皇統意識の誕生へ
断章⑧ 藤原種継暗殺事件
暗闇から二本の弓矢が…
早良親王、無念の死
アンチ藤原氏? 長岡京造営反対?
新皇統樹立の犠牲に……
「諸兄は藤原氏と対立していたか?」で「通説がいうように、広嗣がたんに橘諸兄を目の敵にして、
その追い落としを企てていたのでないことは、諸兄の素性と経歴を見れば明らかであろう。」(本書
84頁)として、「・・・諸兄は藤原氏の一員といってもよい存在・・・」(85頁)としたり、「反乱
に脅えて逃げ出した聖武天皇?」では「・・・聖武天皇が平城京を出たのは天皇としての自身の力を
誇示する大仏造立という事業のためであって、その構想は広嗣の乱が起こる以前からあたためられて
いた。繰り返し、いおう。彼がひたすら内乱に脅えて平城京を脱出したと見なすのは明らかに間違い
である。」(89頁)などなど、へぇ~!と( ̄◇ ̄;) 孝謙女帝(称徳女帝)は困ったチャンだなぁ~
と思ってたけど、父の聖武天皇にも責任があるようで、孝謙女帝への聖武太上天皇の遺詔は(131頁)、
・・・「王であった者を臣下とするのも、臣下であった者を王とよぶのも、すべて
そなた(孝謙天皇)の思うままにしていいのだ」というものである。また、「一度
天皇に立てた者であろうとも、そなたに対して無礼な言動があった場合には直ちに
廃位してもかまわない」とも告げていたという。そして、孝謙天皇に絶対的な忠誠を
尽くす人物だけが天皇になることができるとも説いていたことになっている。/
要するに孝謙天皇には、皇統を受け継ぐに相応しい人物だけでなく、その人物のために
中継ぎ天皇として立つ者をえらび、審査し、決定できる権限があたえられていた。
このようなことが孝謙天皇にみとめられていたのは、彼女が女性であるといいながら、
文武天皇に始まる皇統を受け継ぐ正当な存在であるからこそであった。彼女は早速
この権限を行使して、亡父[聖武太上天皇]が決めた皇太子[道祖王]をあっさりと
廃してしまったのである。・・・
臣下を天皇にしてもOKということなので、称徳女帝は道鏡を天皇にしようとしたわけね( ̄◇ ̄;)
あくまで称徳女帝の異母姉・井上内親王の子である他戸王(父の白壁王は天智天皇の孫)が聖武天皇
の孫として即位するまでの間の中継ぎの天皇としてだけど( ̄◇ ̄;) 聖武天皇がポイントか(@_@;)
桓武天皇も即位した時は自らが「聖武天皇に連なる者であることを懸命になってアピールしなければ
ならなかった。」として、その例を幾つか挙げている(252~253頁)( ̄◇ ̄;)
・・・/たとえば、桓武天皇が即位にあたり、天智天皇が制定したという
「不改常典」にしたがって皇位を継承したことを宣言したのもそのためで
あった。彼が「不改常典」を引き合いに出したのは、彼が天智天皇の曾孫
であることを強調しようとしたからであるといわれるが、それは間違いで
あろう。/なぜならば、「不改常典」とは、文武天皇とその後継者による
皇位継承を正当化する法とされていたからである。桓武天皇は自身の即位が
「不改常典」にもとづくものであると主張することで、文武天皇に始まる
皇統の正しき継承者である聖武天皇に連なる者であることをアピールしようと
したのであった。/また、桓武天皇が、[父である]光仁天皇[=白壁王]と
井上内親王との間に生まれた酒人内親王を娶ったのも、彼が何とかして
聖武天皇に連なろうとしていたことを物語っている。異母妹である彼女と
結婚すれば、彼は聖武天皇の孫娘の配偶者であり、聖武天皇の娘婿の娘婿に
なることができるのである。/・・・
母が聖武天皇の娘の不破内親王である氷上川継が罪を得て皇位継承資格を完全に失うと、聖武天皇の
血統を受け継ぐも者は事実上いなくなって、桓武天皇は聖武天皇の皇統という呪縛から解放されて、
「川継事件のあった年の八月に延暦と改元を行ったのは、桓武天皇にとって聖武天皇とその皇統への
絶縁宣言であったといえよう。」(256頁)( ̄◇ ̄;) 257頁でも従来の理解に異議を唱える( ̄◇ ̄;)
・・・/桓武天皇の視界から川継が消え去った後、桓武天皇は光仁天皇に始まる
中国的な新王朝、新しい皇統の誕生を高らかに宣言したのである。したがって、
川継事件は、従来いわれているような、川継に代表される天武天皇系に対する
桓武天皇の天智天皇系の最終的な勝利といった単純な話などではなく、
聖武天皇とその皇統に終焉をもたらした事件ということができよう。/・・・
遠山美都男のは何冊か読んでたけど内容は忘れてたから簡潔に纏まってる本書でおさらい出来た(^^)
「ビルマの竪琴」の名台詞を連想したのは俺だけか(@_@;) 打撃好調なのに西村前監督の意向なのか
シーズン開幕後は一度も1軍に呼ばれなかったラオウ杉本裕太郎について日刊スポーツ(´;ω;`)ウッ…
・・・/20日に成績低迷により西村監督が辞任。[中嶋聡2軍監督は]シーズン途中で
監督代行を務めることになった。この日は朝一番に大阪・舞洲の球団施設に足を運んだ。
2軍で打撃好調だった杉本に「一緒に(1軍に)行くぞ」と声を掛けた。/・・・
デイリースポーツだと次の通りだが、体調不良を理由に登録抹消されてた大城滉二もまさか( ̄◇ ̄;)
・・・/前夜に代行就任を告げられたばかり。朝は舞洲に出向き、2軍の選手たちに
あいさつ。大城、杉本の2人に「一緒に行くぞ」と声を掛け1軍昇格させ、そのまま
スタメンで起用した。・・・
ラオウはアダム・ジョーンズから超高級ステーキを御馳走されたのを妬まれて干さ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
遠山美都男『検証 平城京の政変と内乱』(学研新書,2010)
読了(^o^)丿 平城京での政変・内乱について、従来の理解に対する異議申し立てをしてて面白い(^^)
・・・/藤原氏の陰謀や謀略、野心・野望、皇親勢力と藤原氏との闘争、
さらに天智天皇系と天武天皇系の対立・抗争といった言葉で片付けられがちな、
この時代の政変や内乱の説明に対して、本書は徹底的に疑問を投げかけ、
各事件の真相について、その謎解きに挑戦してみた。・・・
と「はじめに」で述べてて(本書4頁)、以下に目次を引くけど、細目次で疑問符が付いているのが、
「投げかけ」られた「疑問」の一部〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
はじめに
第一章 左大臣の犯罪──長屋王の変
長屋王の変のあらまし
ドキュメント 長屋王の変
長屋王の変の真相に迫る
左大臣に掛けられた容疑とは?
天皇の外戚になりたがっていた藤原氏?
聖武天皇の跡継ぎを生むのは……
皇后の皇子が皇太子に?
長屋王は藤原氏の抵抗勢力か?
藤原氏に「分を知れ!」と威嚇?
冤罪は謀略の結果のみにあらず
断章① 廟堂壊滅! 天然痘の猛威
兄弟四人がそろって閣僚に!
「百官の官人が疾を患う」
それは政権崩壊だった!
第二章 「我こそは大忠臣なり!」──藤原広嗣の乱
藤原広嗣の乱のあらまし
ドキュメント 藤原広嗣の乱
藤原広嗣の乱の真相に迫る
広嗣はなぜ立ち上がったのか?
「大忠臣」にこだわった広嗣
諸兄は藤原氏と対立していたか?
反乱に脅えて逃げ出した聖武天皇?
なぞの東国行幸──壬申の乱の再演?
断章② 安積親王の急死
息子の死を悲しまぬ父?
安積親王は毒殺された?
安積親王はアンチ藤原氏の希望の星?
断章③ 大仏開眼の前後
金鐘寺という聖地への「撤退」
「太上天皇・沙弥勝満」の境地
宇佐八幡大神の入京
大仏開眼、そして鑑真は来た
第三章 戒厳令の夜に──橘奈良麻呂の変
橘奈良麻呂の変のあらまし
ドキュメント 橘奈良麻呂の変
橘奈良麻呂の変の真相に迫る
史上最初の廃太子劇
孝謙女帝にあたえられた独自の権限
「皇嗣がいない」とはどういうことか?
奈良麻呂の立場とその意見
なぜ「反藤原」を標榜したのか?
見直すべき奈良麻呂の人物像
断章④ 孝謙太上天皇、突然の出家
太上天皇、平城宮に帰らず
審査される淳仁天皇
面子を潰された太上天皇
引き金となった道鏡問題
第四章 正一位太政大臣、湖畔に死す──恵美押勝の乱
恵美押勝の乱のあらまし
ドキュメント 恵美押勝の乱
恵美押勝の乱の真相に迫る
孝謙太上天皇は受け身だった?
早い段階で廃位された淳仁天皇
何が孝謙太上天皇を戦闘モードにしたか?
「今の帝」とは?──押勝の弱点と限界
壬申の乱よ、再び!──押勝の夢破れる
断章⑤ 和気王謀反事件
変転めまぐるしい半生
和気王の容疑とは?
女帝、和気王を許さず
淡路廃帝の不自然な死
断章⑥ 氷上志計志麻呂謀反事件
不破内親王──聖武天皇の札付き娘?
髑髏を宮中にもち込んで……
志計志麻呂は本名ではない
志計志麻呂が邪魔だった理由
第五章 「道鏡を天皇にせよ!」──宇佐八幡神託事件
宇佐八幡神託事件のあらまし
ドキュメント 宇佐八幡神託事件
宇佐八幡神託事件の真相に迫る
なぜ道鏡を天皇にできるのか?
道鏡、即位への階段
なぜ宇佐八幡だったのか?
清麻呂の立場とその意見
事件後の称徳天皇と道鏡
道鏡バッシングの始まり
断章⑦ 井上内親王廃后事件
井上内親王、立后の事情
突然の廃后、そして廃太子
天皇と皇后の夫婦げんかが原因?
事件の深い闇……
怨霊としての再生
第六章 狙われた新天皇──氷上川継謀反事件
氷上川継謀反事件のあらまし
ドキュメント 氷上川継謀反事件
氷上川継謀反事件の真相に迫る
世が世ならば天皇?
聖武天皇との繋がりをアピールする桓武天皇
目障りだった氷上川継
新しい皇統意識の誕生へ
断章⑧ 藤原種継暗殺事件
暗闇から二本の弓矢が…
早良親王、無念の死
アンチ藤原氏? 長岡京造営反対?
新皇統樹立の犠牲に……
「諸兄は藤原氏と対立していたか?」で「通説がいうように、広嗣がたんに橘諸兄を目の敵にして、
その追い落としを企てていたのでないことは、諸兄の素性と経歴を見れば明らかであろう。」(本書
84頁)として、「・・・諸兄は藤原氏の一員といってもよい存在・・・」(85頁)としたり、「反乱
に脅えて逃げ出した聖武天皇?」では「・・・聖武天皇が平城京を出たのは天皇としての自身の力を
誇示する大仏造立という事業のためであって、その構想は広嗣の乱が起こる以前からあたためられて
いた。繰り返し、いおう。彼がひたすら内乱に脅えて平城京を脱出したと見なすのは明らかに間違い
である。」(89頁)などなど、へぇ~!と( ̄◇ ̄;) 孝謙女帝(称徳女帝)は困ったチャンだなぁ~
と思ってたけど、父の聖武天皇にも責任があるようで、孝謙女帝への聖武太上天皇の遺詔は(131頁)、
・・・「王であった者を臣下とするのも、臣下であった者を王とよぶのも、すべて
そなた(孝謙天皇)の思うままにしていいのだ」というものである。また、「一度
天皇に立てた者であろうとも、そなたに対して無礼な言動があった場合には直ちに
廃位してもかまわない」とも告げていたという。そして、孝謙天皇に絶対的な忠誠を
尽くす人物だけが天皇になることができるとも説いていたことになっている。/
要するに孝謙天皇には、皇統を受け継ぐに相応しい人物だけでなく、その人物のために
中継ぎ天皇として立つ者をえらび、審査し、決定できる権限があたえられていた。
このようなことが孝謙天皇にみとめられていたのは、彼女が女性であるといいながら、
文武天皇に始まる皇統を受け継ぐ正当な存在であるからこそであった。彼女は早速
この権限を行使して、亡父[聖武太上天皇]が決めた皇太子[道祖王]をあっさりと
廃してしまったのである。・・・
臣下を天皇にしてもOKということなので、称徳女帝は道鏡を天皇にしようとしたわけね( ̄◇ ̄;)
あくまで称徳女帝の異母姉・井上内親王の子である他戸王(父の白壁王は天智天皇の孫)が聖武天皇
の孫として即位するまでの間の中継ぎの天皇としてだけど( ̄◇ ̄;) 聖武天皇がポイントか(@_@;)
桓武天皇も即位した時は自らが「聖武天皇に連なる者であることを懸命になってアピールしなければ
ならなかった。」として、その例を幾つか挙げている(252~253頁)( ̄◇ ̄;)
・・・/たとえば、桓武天皇が即位にあたり、天智天皇が制定したという
「不改常典」にしたがって皇位を継承したことを宣言したのもそのためで
あった。彼が「不改常典」を引き合いに出したのは、彼が天智天皇の曾孫
であることを強調しようとしたからであるといわれるが、それは間違いで
あろう。/なぜならば、「不改常典」とは、文武天皇とその後継者による
皇位継承を正当化する法とされていたからである。桓武天皇は自身の即位が
「不改常典」にもとづくものであると主張することで、文武天皇に始まる
皇統の正しき継承者である聖武天皇に連なる者であることをアピールしようと
したのであった。/また、桓武天皇が、[父である]光仁天皇[=白壁王]と
井上内親王との間に生まれた酒人内親王を娶ったのも、彼が何とかして
聖武天皇に連なろうとしていたことを物語っている。異母妹である彼女と
結婚すれば、彼は聖武天皇の孫娘の配偶者であり、聖武天皇の娘婿の娘婿に
なることができるのである。/・・・
母が聖武天皇の娘の不破内親王である氷上川継が罪を得て皇位継承資格を完全に失うと、聖武天皇の
血統を受け継ぐも者は事実上いなくなって、桓武天皇は聖武天皇の皇統という呪縛から解放されて、
「川継事件のあった年の八月に延暦と改元を行ったのは、桓武天皇にとって聖武天皇とその皇統への
絶縁宣言であったといえよう。」(256頁)( ̄◇ ̄;) 257頁でも従来の理解に異議を唱える( ̄◇ ̄;)
・・・/桓武天皇の視界から川継が消え去った後、桓武天皇は光仁天皇に始まる
中国的な新王朝、新しい皇統の誕生を高らかに宣言したのである。したがって、
川継事件は、従来いわれているような、川継に代表される天武天皇系に対する
桓武天皇の天智天皇系の最終的な勝利といった単純な話などではなく、
聖武天皇とその皇統に終焉をもたらした事件ということができよう。/・・・
遠山美都男のは何冊か読んでたけど内容は忘れてたから簡潔に纏まってる本書でおさらい出来た(^^)
タグ:歴史
超高級ステーキ、一人だけ奢ってもらったら
確かに妬まれるかも(⌒-⌒; )→違うw
簡潔に纏まってる本って読むと「そうそう」って思い出せるし、
良いですねぇ=(^.^)=
by ニッキー (2020-08-22 21:20)
開幕前の練習中にラオウ杉本が要望し、
オリ外野陣でジョーンズを囲む食事会
が実現し、超高級ステーキ店で30万を
ジョーンズが支払ったと報道(^_^;)
by middrinn (2020-08-22 21:28)
監督代行に変わったことで、結果も(いい方向に)変わるといいですよね(^^;
by ナベちはる (2020-08-23 00:58)
相変わらず貧打で一発病の中継ぎ陣もいますが、
今のところは、いい結果が出てますね(^_^;)
by middrinn (2020-08-23 05:16)
そもそも”昔日本ではミャンマーを『ビルマ』と呼んでいた”という事実すら
いまでは知る者も少ない・・・
by df233285 (2020-08-23 07:13)
ナルホド(^_^;) 今や、ソ連だって、ナニソレ?かも(^_^;)
by middrinn (2020-08-23 07:29)
イチローがいた時はよくドームに観に行きましたよ
オリックス日ハム戦。
もちろん三塁側内野席、ドームって結構狭いなって思いました
ちなみにあたしゃ、ジャイアンツが負けていれば大喜びな人種です(^^;
by そら (2020-08-23 08:27)
「読売巨人軍」は軍隊の保持を禁止する憲法第九条違反という説も(^_^;)
イチローがいた頃は、どこを応援してたかなぁ(@_@;) 西武かな(@_@;)
by middrinn (2020-08-23 08:32)
middrinnさんこんにちは。
こんな私でも、オリックスの監督の辞任は知っていました。
原因はチームの成績不振・・・?
by ネオ・アッキー (2020-08-23 13:30)
チームの成績不振の原因が監督の選手起用・采配・作戦にあると判断され、
ほとんどのファンも同様に考えていたので、その辞任は大歓迎かと(^_^;)
by middrinn (2020-08-23 15:11)
杉本、大城の影に二軍に落ちた選手が・・・(当たり前だけど)。
孝謙天皇を惚れさせる、道鏡(元祖ラスプーチン)のちん〇が凄いと。
by tai-yama (2020-08-23 23:35)
その一人は廣澤伸哉という守備固め要員なのに
西村監督が(隣県の出身者だからか)重用して
いたためファンから評判が悪かった選手(^_^;)
by middrinn (2020-08-24 06:38)
ややこしいけど、ますます興味が湧いてきました(^_^;)
by yokomi (2020-08-24 11:52)
系図を参照してれば、その典拠となる文献名を挙げる
注も無い本なので、かえって読み易いですよ(^_^;)
by middrinn (2020-08-24 15:06)