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目処が付いたから、Amazonで注文する古本を検討し始めたけど、最有力候補は17757円(ノ_-;)トホホ…
【読んだ本】
芸術新潮2002年2月号所蔵誌
特集「最後の大茶人 松永耳庵 荒ぶる侘び」の福田和也「松永安左エ門、または闘争としての風流」
に引かれている『わが茶日夕』の一節を孫引きするm(__)m
・・・/「風流といえば怠惰の代名詞のようであり隠退的である。しかし
ホントの風流は俗気満々の不風流な努力であり、(中略)人手に任せず自分で工面し、
自分でお給事[ママ]をすることである。『風流ならざるところ也[ま]た風流』
これが風流の本体であり、心入れの生活茶であるがドウモ生まれつき精力の足らぬ人や
わがままで世を渡った人にはそれと解っていても面倒がったり、また何かの考え違いで
この努力の俗茶が出来ない。」・・・
目が留まったのは、「風流といえば怠惰の代名詞のようであり隠退的である」という一文( ̄◇ ̄;)
高津内親王(父は桓武天皇で、母は坂上田村麻呂の姉妹)が嵯峨天皇の妃だったのに廃された理由が
謎なのだが、勅撰集『後撰和歌集』の彼女の歌の詞書「いたく事好むよしを、時の人言ふと聞きて」
が鍵になりそうと2回ほど取り上げてきた(@_@;) 例えば、片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』
(講談社学術文庫,2019)は『後撰和歌集』の当該歌とその詞書を引いて次のように指摘(@_@;)
・・・「いたく事好む」すなわち「ひどい色好み」という噂があったことがわかる。
ところが、工藤重矩(校注)『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)は「事このむよし」を
風流を好むこと。
と説明し、たしかに、古語辞典でも「事好む」は〈もの好きである〉〈はなやかなことを好む〉の意
だけど、「風流を好むこと」が高津内親王の「細かな欠点」になるのかしら(@_@;)と先月書いたが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-17 )、松永耳庵が書いているような
否定的ニュアンスでの「風流」概念は平安時代まで遡れるのかしら(@_@;)
・欲しいものはどんな手段を用いても手に入れる松永耳庵、豆狸が欲しくて持ち主に「予告状」を(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-25
・問題です(^^)「鳴かずんば仕方がないよ時鳥」は誰の句? 正解は越後製菓(^o^)丿ヾ(-_-;)オイオイまた?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-09-17
・電力の鬼と言われた松永安左ェ門の交友関係がメチャ興味深いのだが∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-27
・加藤唐九郎と小山富士夫を中心に展開された事件を描いた本の最終章の章題が素晴しいよ(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-04
目処が付いたから、Amazonで注文する古本を検討し始めたけど、最有力候補は17757円(ノ_-;)トホホ…
【読んだ本】
芸術新潮2002年2月号所蔵誌
特集「最後の大茶人 松永耳庵 荒ぶる侘び」の福田和也「松永安左エ門、または闘争としての風流」
に引かれている『わが茶日夕』の一節を孫引きするm(__)m
・・・/「風流といえば怠惰の代名詞のようであり隠退的である。しかし
ホントの風流は俗気満々の不風流な努力であり、(中略)人手に任せず自分で工面し、
自分でお給事[ママ]をすることである。『風流ならざるところ也[ま]た風流』
これが風流の本体であり、心入れの生活茶であるがドウモ生まれつき精力の足らぬ人や
わがままで世を渡った人にはそれと解っていても面倒がったり、また何かの考え違いで
この努力の俗茶が出来ない。」・・・
目が留まったのは、「風流といえば怠惰の代名詞のようであり隠退的である」という一文( ̄◇ ̄;)
高津内親王(父は桓武天皇で、母は坂上田村麻呂の姉妹)が嵯峨天皇の妃だったのに廃された理由が
謎なのだが、勅撰集『後撰和歌集』の彼女の歌の詞書「いたく事好むよしを、時の人言ふと聞きて」
が鍵になりそうと2回ほど取り上げてきた(@_@;) 例えば、片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』
(講談社学術文庫,2019)は『後撰和歌集』の当該歌とその詞書を引いて次のように指摘(@_@;)
・・・「いたく事好む」すなわち「ひどい色好み」という噂があったことがわかる。
ところが、工藤重矩(校注)『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)は「事このむよし」を
風流を好むこと。
と説明し、たしかに、古語辞典でも「事好む」は〈もの好きである〉〈はなやかなことを好む〉の意
だけど、「風流を好むこと」が高津内親王の「細かな欠点」になるのかしら(@_@;)と先月書いたが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-17 )、松永耳庵が書いているような
否定的ニュアンスでの「風流」概念は平安時代まで遡れるのかしら(@_@;)
・欲しいものはどんな手段を用いても手に入れる松永耳庵、豆狸が欲しくて持ち主に「予告状」を(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-25
・問題です(^^)「鳴かずんば仕方がないよ時鳥」は誰の句? 正解は越後製菓(^o^)丿ヾ(-_-;)オイオイまた?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-09-17
・電力の鬼と言われた松永安左ェ門の交友関係がメチャ興味深いのだが∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-27
・加藤唐九郎と小山富士夫を中心に展開された事件を描いた本の最終章の章題が素晴しいよ(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-04