EneKeyご利用感謝キャンペーン!の「大丈夫、あなたなら当たるわ。」というセイラさんの顔が変(:_;)
体重が昨日より4.3kg増え体年齢も一日で5歳も年とった(^_^;) 昨日から薄いセーターに((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本】

杉森久英『苦悩の旗手 太宰治』(河出文庫,1983)所蔵本

太宰治の短篇集『富嶽百景・走れメロス 他八篇』(岩波文庫,1957)を愉しく読み終えたばかりだが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-01 )、「富嶽百景」と「東京八景」
は私小説、てゆーか、自伝的作品の由、折角の機会なので、続けて本書も読み出して、読了(^o^)丿

杉森久英は伝記文学の第一人者だけあって、あまり関心のない人物を描いた伝記小説なのに最後まで
興味深く読めた(^_^;) 谷崎潤一郎は若い頃は悪魔派と呼ばれ不良少年の代表のように言われたとか、
中野・高円寺・阿佐ヶ谷等の中央線沿線の住宅地には五万人の文学青年がいると言われていたとか、
井伏鱒二は新進の頃はプロレタリア文壇から問題にもされておらず階級文学の唱道者たちから「鯉」
や「山椒魚」はどこが面白いのか分からないという至極真面目な呟きを幾度となく聞かされたとか、
昭和14、15年頃はその数年前までの左翼思想全盛の反動で古い民話や伝説の中に民族の夢や憧憬を
さぐる風潮が起こってきた、などといった文学史的(文壇的?)小ネタも本書は豊富だったし(^_^;)

モチ本書が紹介する太宰治(津島修治)についての伝記的事実でも驚かされるものが幾つもあったが、
ネタバレ防止なので、ここではマージナルなことをメモっておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

太宰治はお見合い(『富嶽百景』で描かれてた)で結婚した石原美知子(次女が作家の津島佑子)と
東京の三鷹に新居を構えたわけだが、

    ・・・/そのころ、津軽の金木の村人(もう町になっていたが)の一人が、東京へ出て、
    太宰の新居を訪れた。津島家の修治も、親兄弟にさんざん苦労させたものだが、近ごろは
    相当な小説家になっているそうだから、どんな立派な家に住んでいるかと、楽しみにして
    来てみたら、金木の本家の鶏小屋より小さな家だったと嘆いた。/・・・

「本家の鶏小屋」はどれくらいの大きさなんだヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 太宰治の代表作の一つである「斜陽」、
太田静子(太宰治との間に産まれたのが作家の太田治子)の日記を元に書かれた作品らしいが、

    ・・・/そのうちに彼女[=太田静子]は大岡山の本宅を手ばなして、
    洗足池のほとりの借家に引越した。その隣は正宗白鳥の家であった。/
    やがて、正宗家に同居するある男と彼女の間に、縁談がおこった。彼女は
    あそびに来た太宰に、そのことを告げたところ、太宰はおもしろがって、
    のち「斜陽」の中にそのことを書いたが、それは同居の男が彼女に恋したのでなく、
    白鳥自身と思われるような芸術院会員の老人が恋したという風に書かれていたので、
    白鳥は怒り、白鳥夫人から絶交の手紙が来た。白鳥が彼女を見ると顔を赤くするなど、
    甚だ現実味に乏しく、考えるだけでも滑稽なのだが、ちょっと聞きかじったことから、
    そういう滑稽をひねり出すところが、太宰の天分であった。/・・・

さてさてさ~て! 「東京八景」に「私は泳げるので、海で死ぬのは、むずかしかった。」と記され、
「うん。こんな川でよく自殺できたよね。太宰って、泳げなかったのかなあ」という女性達の会話も
取り上げたけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-23 )、本書からは
小山初代(太宰治の最初の結婚相手)と別れた直後の話を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/ある寒い夜、太宰と檀一雄は夜おそくまで酒を飲んでいた。
    二人は簡便な自殺について際限もなく話し合っていた。太宰は/
    「この位飲んでいれば、わけはない。飛び込みさえすればいいんだ。
     井の頭の池に。今頃は氷が張っているね」/といった。
    太宰の飲酒入水のアイデアは既にあの時に、はっきりと念頭にあったものだと、
    檀は言う。/・・・

なお、本書の人名に誤植が散見され、「和泉武部」なんてのもあったぞオリャ!!(ノ`△´)ノ ┫:・'∵:.

・「三度しか会ったことがなかった」カフェ女給と江の島で心中しようとした文字通り〝女殺し〟(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-07-03