ヒヨドリさんが柚子の樹に昨日来ていたけど、あんな固い皮なのに食べることが出来るのかな(@_@;)
メジロさんも番いで来て目の前30cmも離れてない枝にいるから、ついマジマジ見ちゃったけど、ホント
キレイな色してるなぁ(〃'∇'〃) でも、目の辺りがスケキヨこと犬神佐清を連想させる(ノ_-;)トホホ…
目が覚めた時から頭痛が(+_+) 頭痛薬を服用するか我慢するか、老ノ坂の光秀・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;イミフ!

【読んだ本】

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(下)』(講談社学術文庫,2002)所蔵本

読了(^o^)丿 併読したのは山本利達(校注)『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,
1980→2016新装版)、長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠(校注)『新日本古典文学体系24
土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店,1989)、藤岡忠美&中野幸一&犬養廉&石井
文夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』
(小学館,1994)で、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 下巻』(角川書店,1973)
は随時拾い読み(^^) 本書上巻読了時に、萩谷・全注釈、山本・新潮、伊籐・新体系、中野・新全集を
寸評(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-29 )したけど、中野・新全集は
「解説」が良いと補足(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-02 )も(^_^;)

『紫式部日記』『源氏物語』の研究者は紫式部を偶像視し、特に本書は想定され得る全ての批判から
紫式部を守ろうと躍起になり(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-24 )、
紫式部を絶対に過ちを犯さない聖女の如く描く姿勢は研究者ではなくもはや信者の観((;゚Д゚)ヒィィィ!

そんな狂信的な姿勢の本書だが、その信仰が動揺していると思しき件がある∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?
当該件に関する本書の〈解説〉を引くので宮崎莊平の認知的不協和を御覧あれオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 

    かつて弘徽殿の女御付きの女房として内裏(後宮)に出仕していた華やかな過去をもつ
    左京の馬という人物が、このたび侍従の宰相実成が差し出した五節の舞姫の介添役に
    身を落として、老醜をさらしているのを見つけて、「これはおもしろい」とばかりに、
    中宮[彰子]方の女房らが集団でからかいの行為に出たことの一部始終を記している。
    きわめて嗜虐性に富む、この集団的な行為に紫式部が何の抵抗も見せずに参画している
    ことは、不思議といえば不思議である。衆目にさらされる五節の舞姫や童女に、
    あれほど全身的な同情を寄せ、そこからわが身上に思いを及ぼし、宮仕えが
    いかに過酷でつらいものかをかこっている本人の仕業とは思えないものがある。/・・・

紫式部の「仕業」とは「おほかりし豊の宮人さしわきてしるき日蔭をあはれとぞ見し」なる歌を詠み、
左京の馬に送り付けたことで、同歌は家集『紫式部集』に収められているが、『後拾遺和歌集』にも
「よみ人しらず」で入集し、久保田淳&平田喜信(校注)『新 日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』
(岩波書店,1994)の脚注の評(同書の岩波文庫版には無い)を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・宮廷女房達の御殿女中にも通ずる意地悪さが知られる歌。

でも、「いじめを目撃しても仲良く遊んでるとか言いそう」と上巻読了時に宮崎莊平を評したように
本書の〈解説〉でも次のように続けていた∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    ・・・/もっとも、あと(第四二節)で、「はかなかりしたはぶれわざ
    (ほんのちょっとした戯れごと)」と言っているところからすれば、
    たいして悪気はないし、ましてや嗜虐性など意識もしてなかったであろう。/・・・

罪の意識を感じてないサイテーな女と言っているのと同じで、紫式部の弁護になってないかと(^_^;)
続けて、宮崎莊平は次のような弁護論を展開する(^_^;)

    ・・・/それに、定子皇后亡き後の現在は、弘徽殿の女御義子が、彰子中宮の
    最大のライバルであったことを考慮に入れると、いくらか事情が理解できそうである。
    つまり、敵対する相手側に発する女房としての反発である。・・・女房らにしてみれば、
    残虐とも言えるこの行為は、ほかならぬわが中宮への忠誠心から出たものなのであろう。
    このレベルのことにあっては、紫式部も所詮は女房である。首謀者とは言えないまでも、
    かなり率先してことに当たっているふしが見られる。・・・中宮への忠誠の姿勢を示す
    女房としての紫式部の一面を、くっきり見せてくれている。

反社会集団の構成員の犯罪でもボスへの「忠誠心から出たもの」として美談にしそうヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
「忠誠心から出たもの」であれば「嗜虐性」が薄れて「残虐」で無くなる、とでも言うのかね(^_^;)

「定子皇后亡き後の現在は、弘徽殿の女御義子が、彰子中宮の最大のライバルであった」とあるけど、
紫式部は第四八節で「きしろひたまふ女御、后おはせず」と記し、その〈語釈〉を引くC= (-。- ) フゥー

    競い合いなさる女御や后はいらっしゃらない。皇后定子の崩御(長保二年=一〇〇〇、
    十二月)以後の一条後宮は、女御として義子(内大臣藤原公季の娘)、元子(右大臣
    藤原顕光の娘)、尊子(元関白藤原道兼の娘)等がいたが、いずれも[中宮彰子と]
    拮抗する勢力ではなかった。・・・

紫式部自身の認識や〈語釈〉の解説も「女御義子が、彰子中宮の最大のライバル」ではない、と(^_^;)

・紫式部のは伯父の藤原為頼が詠んだ歌をパクって初二句を考えただけなのにオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-18

・藤原道長愛人説を否定しつつ『紫式部日記』の和泉式部評を等閑視するバカチン国文学者ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-11

・池田亀鑑、阿部秋生、秋山虔などの一流の研究者をも狂わす紫式部は魔性の女かもねヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

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