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191113読んだ本

朝食の前に地下水を何度も汲み上げて庭のお花にせっせと水をあげたのに雨がポツポツ降り出した(^_^;)
その朝食で(珍しく)焼きおにぎりを食べてたら奥歯(右下)に詰めていた金属が取れちゃった(´・_・`)
買おうと思った古本、2000円以上の値だったのに出品者同士が競い合って毎日数円ずつ値を下げてくれて
300円台まで下がったから、今週末には手に入るギフト券で買うつもりでいたら、昨日買われてしまって
値も2000円以上に戻ったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「この商品は今日×人が見ました」とか表示してほしい(^_^;)

【読んだ本】

目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)所蔵本

正岡子規が、紀貫之を「下手な歌よみ」、『古今和歌集』を「くだらぬ集」と罵った結果、「・・・
貫之の地位は奈落の底まで転げ落ちてしまったのである。」として、本書は次のように記す( ̄◇ ̄;)

    ・・・さて私はいま貫之の像を作ろうとして、彼の下降一途の運命を逆転して、
    ふたたび彼に生前のあの栄光を纏いつかせてやるべき義理もない。けれども
    たとえば貫之の豊かな文学的業績が、「年のうちに春はきにけり一年[ひととせ]を
    去年[こぞ]とやいはむ今年とやいはむ」という下らぬ歌を選りに選って『古今集』の
    巻頭に据えた千慮の一失などによって、頭から否定されてしまった形になっているのも、
    少しばかりバランスを失していると思うのである。/・・・

この在原元方の歌が「下らぬ歌」で、この歌を紀貫之ら撰者が『古今和歌集』の巻頭歌に据えたのは
「千慮の一失」だとぉ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!? 目崎徳衛『日本詩人選6 在原業平・小野小町』
(筑摩書房,1970)収録の論稿「古今的なものについて」では次のように書いてたよなC= (-。- ) フゥー

    ・・・/子規に痛罵された「年のうちに春は来にけり ひととせを去年とやいはん
     今年とやいはむ」の作者は、[在原]業平の孫元方であった。しかし貫之が
    この一首を勅撰歌集の冒頭に据えたのは、決して不用意の処置ではない。第一に
    それは尊敬する古人業平の血を引く今人の作品として「古今」の名称に最もふさわしい。
    第二にそれは立春の歌であり、四季歌の初めの春歌のさらに先頭に配列するには
    絶好の題材である。第三に、それには俊爽な才気が閃き、新しい知的歌風を
    端的に誇示している。大体こんな風な根拠があったと想像されるが、あるいはまた
    第四に、歌柄の軽やかさがプロローグにふさわしいとも計算されたのかも知れない。
    歌仙の場合でも、発句の力み過ぎはいけないのだ。/こうした繊細な心配りを、
    松山藩士族の田舎者、大学予備門出身の野暮書生子規居士は全く理解しなかった。
    たとえ理解したとしても、共感することは無かったであろう。・・・

この「古今的なものについて」は、再収録した目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレ
クション,2007)で読んでたから、先に引用した本書の記述を読んだ時は目が点になったぞ(@_@;)
本書を読み進めると、1973年2月付の〔第四版追記〕なるものがあり、そこに次の件があった(^_^;)

    ・・・貫之の文学に対する私の考えも、この十年間にいくらかは深まった。
    くわしく触れることはできないが、小著『在原業平・小野小町』(日本詩人選)、
    特にその巻末に収めた「古今的なるものについて」という論文に、ごく簡略ながら
    述べておいた。参照願えれば幸いである。

またウダダが醍醐天皇に与えた「寛平御遺誡」に関する本書の次の記述には首を傾げた( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・/この境遇に入るに当って宇多上皇は年わずか十三歳の醍醐新帝のために
    有名な『寛平遺誡』を示した。その中で「功臣之後」なる藤原時平を顧問として
    重用せよと勧めるとともに、菅原道真を「朕の忠臣に非ず、新帝の功臣」として推し、
    紀長谷雄・藤原定国らをも挙げて後顧の憂の無いことを期した。・・・
    
藤原定国の名があるのが解せぬ(@_@;) 例えば、wikiの「寛平御遺誡」の項も次の如く説明(@_@;)

    ・・・/また、宇多天皇の譲位の事情や当時の宮中の人物評(藤原時平・菅原道真・
    平季長・紀長谷雄ら)も行っており、当時の政治史の研究にも欠かせない。/特に
    藤原時平を「若いが政理に通じているので顧問にして輔導に従うべき」とし、
    菅原道真を「鴻儒で深く政事を知るもので“新君之功臣”として信任すべき」と説き、
    醍醐天皇の立太子も譲位も道真だけに相談して決めたと記している。また、平季長と
    紀長谷雄は将来国家を支える大器になるだろうと予測し、両名を重用するように
    求めている(ただし、平季長は御遺誡が出されてからわずか19日後に突然の病で
    死去している)。/・・・

御覧の通り、藤原定国(醍醐天皇の母・藤原胤子の弟)の名は出て来ない(@_@;) 藤原時平とともに
藤原定国は勅撰集『古今和歌集』の撰集を実際に意図・推進し、壬生忠岑を撰者の一人に推挙したと
推論する藤岡忠美『紀貫之』(講談社学術文庫,2005)ですら、「さらに宇多は、幼少の醍醐のために
天子としての心得を書き記した。それが世に知られる『寛平御遺誡』である。宇多は、醍醐新帝に
与えたこの訓戒の中で、信頼すべき臣下として時平・道真・平季長・紀長谷雄の名を挙げている。」
として、その内容も詳述してるけど、藤原定国の名前は全く出て来ない〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

「寛平御遺誡 藤原定国」でネット検索したところ、「山陰亭」というサイトの「漢詩和歌快説講座
『寛平御遺誡』」というページ(⇒ http://michiza.net/jcp/jcpyuika.shtml )がヒットし、次の
記述があった∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    季長と長谷雄を「大器」と評していますが、この言葉は、もう一度別の箇所で出てきます。
    それは、「外戚に大器の事を寄すべき無きを嗟なげく」という一節です(目崎徳衛氏
    「『寛平御遺誡』の逸文一条」「日本歴史」441、1985年2月)。新帝の外祖父たる
    藤原高藤、伯父の定国・定方兄弟は、時平の牽制役としても、単なる政治家としても、
    とても期待できないという上皇の本音を如実に示しているようです。

本書の新装版第1刷は1985年11月1日発行だが、この点に関する「追記」や「新装版注」は無い(@_@;)

1961年当時の目崎徳衛には、人物叢書は荷が重かったということかしらね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:和歌 伝記 歴史
コメント(16) 
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コメント 16

えくりぷす

変われば変わるものですね。180度説を変えても、非難されないものなのでしょうか。私も歯医者へ行かないと…(;^_^A
by えくりぷす (2019-11-13 20:52) 

middrinn

「千慮の一失」が「決して不用意の処置ではない」になったわけですから、たしかに
「180度説を変えて」ますね(^_^;) 大昔に安保改定反対運動を煽った清水幾太郎が
20年後に核武装を提案し、「諸君!」座談会で渡部昇一が「節操の美学があるのなら、
回心の美学というのもある。聖アウグスティヌスがいい例だけど、コロッとひっくり
返って聖人になる。もっとも何回もやられちゃ困るけど、一回はいいんです。」など
と発言したので、福田恆存が痛烈に批判したことを思い出しましたよ(^_^;) 先日は、
御迷惑をおかけしましたm(__)m 反駁済ゆえ貴ブログでは返信しませんでした^_^;
by middrinn (2019-11-13 21:22) 

enokorogusa

元方の歌、自分はいいと思います。
素人考えですが、業平を彷彿とさせる(^^;機知に富んだ面白い歌。
歌の並び順にも細心の注意を払った貫之が、初の勅撰和歌集の頭を飾るのに、結果2番目になった自分の歌より相応しいと判断したんでしょうね。
むしろ、この歌が途中にあったら返って違和感があるような。
ひょっとして、元方に依頼してたりして?(^^;
by enokorogusa (2019-11-13 21:50) 

middrinn

年内立春は当時の暦だと平均して2年に1回ぐらいあったそうですしね(^_^;)
enokorogusa様のおっしゃる通り、『古今和歌集』の歌の並び順に紀貫之は
意を注いだようで、藤岡忠美『紀貫之』(講談社学術文庫,2005)も「巻末や
歌群のつなぎに自作をあてた跡もうかがい知れ、その結果として入集歌数の多さ
という面があると思われる。この集に賭けた貫之の自負と使命感の大きさとを、
各巻のさまざまな箇所に私たちは感ずるのである。」と指摘してましたよ(^^)
小生の好みでは、『拾遺和歌集』の壬生忠岑、『新古今和歌集』の藤原良経、
両巻頭歌の方が勅撰和歌集の巻頭を飾るのに相応しい作品ではないかと(^_^;)
by middrinn (2019-11-13 22:27) 

ニッキー

頑張って花に水をあげたのに雨模様とは(⌒-⌒; )
うちは洗車をすると雨が降ります(ー ー;)
私も先日、歯の詰め物取れて歯医者に行ったら
「あっ、虫歯になってますねぇ」ってにっこり微笑まれて
未だに通ってます(*_*)
by ニッキー (2019-11-13 22:34) 

middrinn

お花は喉が渇いてるだろうと朝食の前に頑張ったのに(´;ω;`)ウッ…
取れた詰め物の裏側が黒くなってると虫歯とか聞いた記憶が(@_@;)
by middrinn (2019-11-13 22:38) 

yokomi

 地下水というと井戸でしょうか。万が一の断水に備え、常に使っていた方が良いです(^_^)v 使っていないと汚くなり、万が一の時に使えません(>_<) 水遣りは、まっ、天気予報を見て、それからでも...(^_^;) 我が家は高台の断水常襲地帯。井戸、欲しいです(>_<)
by yokomi (2019-11-13 23:04) 

tai-yama

自分の書いた別の書を参考にして欲しい・・・と言う記述は
~の勉強方法とかのビジネス書(しかも勉強方法自体は参考の方に記載)
の記述にある手だったり(笑)。この手の本の帯表紙に騙されて
何冊かかったことがあると言う事実も・・・・・
by tai-yama (2019-11-13 23:32) 

ナベちはる

水やりにおにぎりに買おうとしていた古本に…トリプルパンチはショックですね((+_+))
by ナベちはる (2019-11-14 01:03) 

mimimomo

おはようございます^^
middrinnさんの所は井戸があるのですか?(@@
うちの鉢にも時々夫が水遣りをしたら雨が降る・・・
根腐れ起こしそうなのがあります。

今読んでいる石川九楊さんの本にも正岡子規が紀貫之のことをよく言っていないことが書かれています^^ 
by mimimomo (2019-11-14 07:59) 

middrinn

井戸ありましたが、油みたいなのが浮いてて使ってなかったので、
yokomi様、かなり前に潰したかフタしたかしてしまいました(..)
それとは別にキレイな地下水が湧き出てくるところがありまして、
その水をバケツで汲んで生活用水として節約しております(^_^;)
by middrinn (2019-11-14 09:18) 

middrinn

悪徳商法のビジネス書に騙されてしまった
tai-yama様に涙(´;ω;`)ウッ… 本書だと、
ここまで説が変ると改訂しなければならず、
版元が許さなかったのかもしれません^_^;
by middrinn (2019-11-14 09:27) 

middrinn

言われてみれば、たしかにトリプルパンチだ( ̄◇ ̄;)
ナベちはる様に拙ブログを監修してもらいたい(^_^;)
by middrinn (2019-11-14 09:29) 

middrinn

井戸ありましたけど、油みたいなのが浮いたりしてたので長年使わなくて、
かなり前に潰したかフタしたかしてしまいました(^_^;) キレイな地下水
が湧き出てくるところが別にあるので、そこからバケツで汲んでます(^^)
mimimomo様の旦那様、斉明天皇の如く雨乞いで力を発揮されそう(^^)
紀貫之と言えば、正岡子規ですからねぇ(^_^;) 芸術新潮2006年2月号に
「石川九揚、紀貫之になる」という特別企画まで載ってましたよ(⌒~⌒)
by middrinn (2019-11-14 09:42) 

Rifle

井戸ですと?おやおや珍しい物があるんですねぇ。
紀貫之が貶されたりしていたのは知りませんでした。
あの最初の句、高校時代に触れた時には「ナニコレ?」でしたが、今見るとそんなにおかしい歌ではないですね。(汗)
by Rifle (2019-11-14 09:46) 

middrinn

この正岡子規の紀貫之&『古今和歌集』批判で、『万葉集』しか認めない万葉バカが
世に蔓延したので、凄い影響力ですよ(^_^;) 最近の某ベストセラーも『万葉集』を
高く評価していたことも、新元号に対する支持に繋がっているのではと愚考(@_@;)
by middrinn (2019-11-14 10:14) 

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