190529読んだ本
『進撃の巨人』の原作漫画を読んでないので、負傷したサシャに薬を注射して巨人化させて、巨人たち
を捕食させるも、食い意地の張ってるサシャが人類までも食べ尽くしちゃうという次回を予想(@_@;)
ぬいぐるみがベビーカーから落ちるのを見て、追いかけてヤンママに渡したが、物心つかないうちから
トラッキーに親しませておいて筋金入りの虎党に育て上げようとしているのではないかと妄想(@_@;)
最下位でもバファローベルやバファローズポンタの方が可愛いのに(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\)ナカナイデー!!
【読んだ本】
桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』(新潮社,1976)
新古今時代の有名歌人・俊成卿女(実は藤原俊成の娘ではなく孫)が作者とみられている『無名草子』
の一節を、樋口芳麻呂&久保木哲夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集40 松浦宮物語 無名草子』
(小学館,1999)の久保木哲夫の訳で引く(^^)
・・・/本当に、名声を得て、すばらしく奥ゆかしく理想的な例としては、伊勢の御息所
ほどの人は、どうして古今を通じて他にありましょうか。/宇多法皇が出家なさって、
伊勢の御息所が寂しくひっそりと生活していらっしゃったという様子は、
聞いたりなどしますのが、比類なくすばらしく思われます。庭は散り敷いた花びらで
たいそう白いものの、苔がまだらに生え、帽額の簾は、あちこち破れて、古めかしく
いかにも心細い感じでしたが、醍醐天皇の御時、若宮の御袴着の折の御屛風に書く歌を、
今すぐ詠んでさし出すようにと、伊衡中将の御使いで、天皇がおっしゃいましたところ、
散り散らず……(桜の花が散ってしまったかまだ散っていないか聞きたいと思うので、
古里の花を見て帰る人もいてほしいなあと思います)
と詠んでさしあげたあたりのことどもは、どう考えても本当に、その内容も表現も結構
なことに思われます」と言うようですと、/・・・
この醍醐天皇の時の伊勢タンの話は『今昔物語集』にも入ってて前に書いた(^^) 本書117頁の頭注部分
に次のような「簡単な読みどころのまとめ」が載っている(´・_・`)
今度は観点を変えた修正意見である。和泉式部も宮の宣旨も、確かに和歌の力によって
人生を貫いて、その最後を迎えたが、その程度の例はほかにも多い。真実のぞましいのは、
静かな日常生活と和歌の風雅とが結びついたあり方で、その例として伊勢の御息所の話が
あるではないか。時の権勢と無縁になった生活の中での、忘れぬ作歌こそ、優美そのもの
と言えはしまいか、というのである。
そーなんだーと素直に受け取ったが、この歌に関する本書巻末「解説」の144~145頁がチト不審(@_@;)
・・・/まず伊勢の御息所は、藤原継陰の娘。藤原北家の流れを汲む一門は、文事に
携わる人を多く生んだが、継陰の代にはいわゆる受領階級にまで落ちぶれてしまった。
彼女は、寛平四年(八九二)頃から宇多天皇の中宮温子のもとに出仕し、父の前官伊勢守に
ちなんで伊勢と呼ばれた。出仕後、藤原仲平(八七五~九四五)との初恋が破れ、
そのほかにも近づく男はあったが、宮仕えに専念しているうちに、宇多天皇の愛をうけ、
皇子を生む。この皇子は幼くして亡くなっている。/宇多天皇は、伊勢が皇子を生んだ
寛平九年七月には退位し、昌泰二年(八九九)十月出家、以後承平元年(九三一)に
亡くなるまで、上皇・法皇として悠々と暮した。伊勢は、『無名草子』のいうように、
宇多天皇の退位と同時に隠棲したのではなく、延喜七年(九〇七)温子の亡くなるまで
温子に仕えていたし、また宇多天皇第四皇子敦慶親王(伊勢より年少)にも愛され、
延喜末年頃までに一女中務を生んでいる。/彼女が隠棲したのは、宇多法皇や敦慶親王も
亡くなったのち、まったくの晩年だけといってよいのではあるまいか。延喜・延長年間の
伊勢は、歌合にも出詠し、屛風歌を召されること多く、その当時としては女流でこれほど
活躍した人もめずらしい。/しかし、歌集『伊勢集』には、青春の日の藤原仲平との
結ばれなかった恋の傷跡がいやされることなく胸にとどまっていたことを示すような歌が
残されている。その仲平も、宇多法皇も敦慶親王も、彼女と触れ合った男性は、みな彼女を
残して先立ってしまった。『無名草子』作者はそれを知っていて、華やかな活躍の時期に
かげりあるわび住まいをしている伊勢の御息所の姿を、取り上げたのである。/伊勢が
詠んだ屛風歌、
散り散らず聞かまほしきに古里の花見て帰る人もあらなむ
には、古里の花(桜)は不変だという和歌の常套観念をふまえ、そのふるさとを離れ、
年老いて行く人間の悲しみが籠められている(一一七頁)。天皇の求めに応じ、
屛風の画題[花見のために山道を急いで行く人]に添いながらも、伊勢個人の感情をも
充分に汲みとることのできる歌と見ることができよう。
ナニソレ( ̄◇ ̄;) 同歌を『無名草子』『今昔物語集』の話にあてはめて、「古里の花」は伊勢を指し、
その歌才が健在かどうかは「古里の花見て帰る人」=伊衡中将に訊ねて下さいななどと空想するなら
ともかく、同歌に「ふるさとを離れ、年老いて行く人間の悲しみが籠められている」かねぇ( ̄◇ ̄;)
犬養廉&後藤祥子&平野由紀子(校注)『新日本古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)所収
の『伊勢集』の同歌の脚注は紙幅の関係からか平野由紀子は何も記してないけど、小町谷照彦(校注)
『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)の同歌の脚注は「故里の花への関心。」だし、
秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)も次の如し(^^)
・・・屛風に描かれている人にみずからの心を移入し、画中の山のかなたに思いをはせる。
「散り散らず」の畳みかけの語調に心のときめきをあらわし、また「ふるさと」の語には、
なつかしみ、あこがれる気持ちもこもっているといえよう。まことに巧妙な詠みくちと
いえまいか。・・・
中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』(笠間書院,2011)59頁も同歌を次の如く解説してる(^^)
・・・/しかし、これ[山に急いで花見に行く画]は歌にするにはなかなか難しい題材だ。
花見に行く途中だから、桜の美しさを表現するわけにもいかない。それでいて花への心情は
表現しなくてはいけない。そこで伊勢は、画中に描かれた人物の気持ちになり、
花見帰りの人に花の様子を聞きたいと逸る心を詠んでいる。花見に行くという
気持ちからすれば、現在の花の状態が気がかりであろう。しかも「古里」とあるので、
ある程度なじみがある土地で、自分でも、もしかしたら散ってしまったのでないかと
心配しており、それを確認したいという気持ちなのである。/ところが花見帰りの人には
出会わない。それも当然のことだ。なぜなら[屛風の]絵には描かれていないのだから。
伊勢はそれを逆手にとり、確認の取れないもどかしさを、桜への愛情として表現することに
成功している。/・・・
「ふるさとを離れ、年老いて行く人間の悲しみ」など籠められてねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-07
・ウダダが譲位した際に伊勢タンが弘徽殿に書きつけた歌とソレに対するウダダの返歌について(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-07
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-08
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-09
・桑原博史は国文学者だけど物語文学が専門で和歌には疎いのではないかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24
を捕食させるも、食い意地の張ってるサシャが人類までも食べ尽くしちゃうという次回を予想(@_@;)
ぬいぐるみがベビーカーから落ちるのを見て、追いかけてヤンママに渡したが、物心つかないうちから
トラッキーに親しませておいて筋金入りの虎党に育て上げようとしているのではないかと妄想(@_@;)
最下位でもバファローベルやバファローズポンタの方が可愛いのに(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\)ナカナイデー!!
【読んだ本】
桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』(新潮社,1976)
新古今時代の有名歌人・俊成卿女(実は藤原俊成の娘ではなく孫)が作者とみられている『無名草子』
の一節を、樋口芳麻呂&久保木哲夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集40 松浦宮物語 無名草子』
(小学館,1999)の久保木哲夫の訳で引く(^^)
・・・/本当に、名声を得て、すばらしく奥ゆかしく理想的な例としては、伊勢の御息所
ほどの人は、どうして古今を通じて他にありましょうか。/宇多法皇が出家なさって、
伊勢の御息所が寂しくひっそりと生活していらっしゃったという様子は、
聞いたりなどしますのが、比類なくすばらしく思われます。庭は散り敷いた花びらで
たいそう白いものの、苔がまだらに生え、帽額の簾は、あちこち破れて、古めかしく
いかにも心細い感じでしたが、醍醐天皇の御時、若宮の御袴着の折の御屛風に書く歌を、
今すぐ詠んでさし出すようにと、伊衡中将の御使いで、天皇がおっしゃいましたところ、
散り散らず……(桜の花が散ってしまったかまだ散っていないか聞きたいと思うので、
古里の花を見て帰る人もいてほしいなあと思います)
と詠んでさしあげたあたりのことどもは、どう考えても本当に、その内容も表現も結構
なことに思われます」と言うようですと、/・・・
この醍醐天皇の時の伊勢タンの話は『今昔物語集』にも入ってて前に書いた(^^) 本書117頁の頭注部分
に次のような「簡単な読みどころのまとめ」が載っている(´・_・`)
今度は観点を変えた修正意見である。和泉式部も宮の宣旨も、確かに和歌の力によって
人生を貫いて、その最後を迎えたが、その程度の例はほかにも多い。真実のぞましいのは、
静かな日常生活と和歌の風雅とが結びついたあり方で、その例として伊勢の御息所の話が
あるではないか。時の権勢と無縁になった生活の中での、忘れぬ作歌こそ、優美そのもの
と言えはしまいか、というのである。
そーなんだーと素直に受け取ったが、この歌に関する本書巻末「解説」の144~145頁がチト不審(@_@;)
・・・/まず伊勢の御息所は、藤原継陰の娘。藤原北家の流れを汲む一門は、文事に
携わる人を多く生んだが、継陰の代にはいわゆる受領階級にまで落ちぶれてしまった。
彼女は、寛平四年(八九二)頃から宇多天皇の中宮温子のもとに出仕し、父の前官伊勢守に
ちなんで伊勢と呼ばれた。出仕後、藤原仲平(八七五~九四五)との初恋が破れ、
そのほかにも近づく男はあったが、宮仕えに専念しているうちに、宇多天皇の愛をうけ、
皇子を生む。この皇子は幼くして亡くなっている。/宇多天皇は、伊勢が皇子を生んだ
寛平九年七月には退位し、昌泰二年(八九九)十月出家、以後承平元年(九三一)に
亡くなるまで、上皇・法皇として悠々と暮した。伊勢は、『無名草子』のいうように、
宇多天皇の退位と同時に隠棲したのではなく、延喜七年(九〇七)温子の亡くなるまで
温子に仕えていたし、また宇多天皇第四皇子敦慶親王(伊勢より年少)にも愛され、
延喜末年頃までに一女中務を生んでいる。/彼女が隠棲したのは、宇多法皇や敦慶親王も
亡くなったのち、まったくの晩年だけといってよいのではあるまいか。延喜・延長年間の
伊勢は、歌合にも出詠し、屛風歌を召されること多く、その当時としては女流でこれほど
活躍した人もめずらしい。/しかし、歌集『伊勢集』には、青春の日の藤原仲平との
結ばれなかった恋の傷跡がいやされることなく胸にとどまっていたことを示すような歌が
残されている。その仲平も、宇多法皇も敦慶親王も、彼女と触れ合った男性は、みな彼女を
残して先立ってしまった。『無名草子』作者はそれを知っていて、華やかな活躍の時期に
かげりあるわび住まいをしている伊勢の御息所の姿を、取り上げたのである。/伊勢が
詠んだ屛風歌、
散り散らず聞かまほしきに古里の花見て帰る人もあらなむ
には、古里の花(桜)は不変だという和歌の常套観念をふまえ、そのふるさとを離れ、
年老いて行く人間の悲しみが籠められている(一一七頁)。天皇の求めに応じ、
屛風の画題[花見のために山道を急いで行く人]に添いながらも、伊勢個人の感情をも
充分に汲みとることのできる歌と見ることができよう。
ナニソレ( ̄◇ ̄;) 同歌を『無名草子』『今昔物語集』の話にあてはめて、「古里の花」は伊勢を指し、
その歌才が健在かどうかは「古里の花見て帰る人」=伊衡中将に訊ねて下さいななどと空想するなら
ともかく、同歌に「ふるさとを離れ、年老いて行く人間の悲しみが籠められている」かねぇ( ̄◇ ̄;)
犬養廉&後藤祥子&平野由紀子(校注)『新日本古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)所収
の『伊勢集』の同歌の脚注は紙幅の関係からか平野由紀子は何も記してないけど、小町谷照彦(校注)
『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)の同歌の脚注は「故里の花への関心。」だし、
秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)も次の如し(^^)
・・・屛風に描かれている人にみずからの心を移入し、画中の山のかなたに思いをはせる。
「散り散らず」の畳みかけの語調に心のときめきをあらわし、また「ふるさと」の語には、
なつかしみ、あこがれる気持ちもこもっているといえよう。まことに巧妙な詠みくちと
いえまいか。・・・
中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』(笠間書院,2011)59頁も同歌を次の如く解説してる(^^)
・・・/しかし、これ[山に急いで花見に行く画]は歌にするにはなかなか難しい題材だ。
花見に行く途中だから、桜の美しさを表現するわけにもいかない。それでいて花への心情は
表現しなくてはいけない。そこで伊勢は、画中に描かれた人物の気持ちになり、
花見帰りの人に花の様子を聞きたいと逸る心を詠んでいる。花見に行くという
気持ちからすれば、現在の花の状態が気がかりであろう。しかも「古里」とあるので、
ある程度なじみがある土地で、自分でも、もしかしたら散ってしまったのでないかと
心配しており、それを確認したいという気持ちなのである。/ところが花見帰りの人には
出会わない。それも当然のことだ。なぜなら[屛風の]絵には描かれていないのだから。
伊勢はそれを逆手にとり、確認の取れないもどかしさを、桜への愛情として表現することに
成功している。/・・・
「ふるさとを離れ、年老いて行く人間の悲しみ」など籠められてねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
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・ウダダが譲位した際に伊勢タンが弘徽殿に書きつけた歌とソレに対するウダダの返歌について(⌒~⌒)
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・桑原博史は国文学者だけど物語文学が専門で和歌には疎いのではないかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24
タグ:和歌
「ふるさとを離れ、年老いて行く人間の悲しみが籠められている」と
解説するのは、きっと解説者がそういう心境なんじゃないかと(⌒-⌒; )
『進撃の巨人』私もかみさんも読んでないので
いまいちわかりませんが、例えば私が巨人化したら
今以上に食いしん坊になるのは間違いないですw
by ニッキー (2019-05-29 21:06)
ナルホド( ̄◇ ̄;) それは卓見ですねヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
たしかに、解釈者の心理が投影されてるだけのように
思える解釈がありますね(^_^;) 圭太様らが主演で、
実写版『進撃の巨にゃん』を撮ってみるとか(^_^;)
by middrinn (2019-05-29 21:18)
私も「進撃の巨人」はなんだかさっぱりわかりません。
私も故郷を離れて老いて行く人間ですが果たしてその悲しみとは?
by 美美 (2019-05-29 23:33)
「私の愛した人は皆先に死んでしまった」と言う意味合いで捉えて
いるのかな?確かに、あるあるな展開な気も。最後には本人も
死んでしまうので「そして誰もいなくなった」になったり(笑)。
by tai-yama (2019-05-29 23:51)
昔過ごしたふるさとを離れて年老いていくのは、寂しくなります。
ただ、今回の場合は(それが話に当てはめたうえでの空想ならともかく)歌にその描写がないというので、本当にそう言っているのかと疑問に思ってしまいますね…
by ナベちはる (2019-05-30 00:10)
『進激の巨人』?は、確か形振り構わず人を集め!?
。。優勝!を狙うノンフィクションっだった様な!?
、、年老いて力無きモノは、容赦なく切り捨てる!!ォイ!(^^ゞ
by 喜んぶ (2019-05-30 05:39)
主題歌が紅白にも出たし現在はNHKが放送するアニメですが、残虐なので、
美美様のような方が御存知ないのは当然かと(^_^;) 故郷を離れているので
故郷や故郷の花がどうなっているのか分らないので悲しい、だったり^_^;
by middrinn (2019-05-30 05:52)
その場合には、「古里」=都になりますね(^_^;)
tai-yama様、長生きを嘆いている歌ですか^_^;
by middrinn (2019-05-30 05:58)
たしかに寂しいですし、故郷の花がどうなっているか気になりますね(^_^;) でも、
ナベちはる様のおっしゃる通り、この歌からはソレを読み取れないですよね(^_^;)
by middrinn (2019-05-30 06:01)
枕の後半の野球ネタ、更には、本文の年老いて行く人間の悲しみにまで絡めてますけど、
喜んぶ様、惜しいC= (-。- ) フゥー 座布団を目指して頑張るのよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2019-05-30 06:05)
進撃の巨人、今だに読んだことなくて
なんだか大きな人間が色々なものを破壊する印象しかありません(^^;
by そら (2019-05-30 06:58)
原作漫画は作画が下手なんで敬遠してたんですけど、
アニメ化されたのは悪くないので視聴中です(^_^;)
by middrinn (2019-05-30 07:03)
進撃の巨人?へぇー、そんなのがあるんですねぇ。
「古里」に今に至る迄の時間経過を、「聞かまほしき」に通る人の少なさは読み取れますけど、それ以上は前後を知らないと読み取れないですねー...って解説者に依ってこんなに違うんじゃ何が何だか分からん。A(^^;)
by Rifle (2019-05-30 11:43)
『進撃の巨人』が、こんなに知られてなかったとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
屛風歌なので屛風に描かれている画が解釈の指針になるわけですが、
何が描かれていたかは『伊勢集』と『拾遺集』のそれぞれの詞書や
『今昔物語集』に記されている内容で微妙に異なるからかも^_^;
by middrinn (2019-05-30 11:53)
いや、やっぱりダントツなのは千葉ロッテマリーンズの謎の魚でしょう
( *´ー`)y─┛~oΟ
by そらそら (2019-05-30 19:56)
ガチャガチャで巨大だんごむしフィギュアをゲットして
喜ばれてたセンスの持ち主らしいチョイスですね(^_^;)
by middrinn (2019-05-30 20:17)