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190501読んだ本

ついに歴史に名を残すことになった勇者みどりんヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 光栄なことに令和最初の
お風呂掃除をした者として我が家の歴史にオホホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 明日は令和最初のトイレ掃除を
した者として我が家の歴史に名を刻んでやるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 晴れて20度超えも夕方前から雨(..)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(下)』(講談社学術文庫,2012)

病が重くなり皇太子の居貞親王(三条天皇)への譲位が決まった一条天皇、新皇太子には、亡くなった
皇后・定子との間に生まれた敦康親王をしたくとも、藤原道長の娘である中宮・彰子との間の敦成親王
を押す策動が(@_@;) 一条天皇が側近の藤原行成を召して、敦康親王の処遇について諮問した寛弘8年
(1011年)5月27日、敦成親王の立太子を進言した藤原行成が挙げた理由の一つを本書270頁から(゚ロ゚;)

     ・・・このような大事は、ただ宗廟社稷の神に任せて、あえて人力の及ぶところでは
     ないものです。ただし、この皇子(敦康親王)については、故皇后宮(藤原定子)の
     外戚高階氏の先祖(高階師尚)は、斎宮(恬子内親王)の事件の、その後胤の者
     であることによって、皆、和すことはないのです。今、皇子の為に怖れるところが
     無いわけではありません。能く伊勢大神宮に祈り謝られるべきです。・・・

「斎宮(恬子内親王)の事件」とは何か?本書は「全訳注」ではなく「全現代語訳」ゆえ注釈ナシ(+_+)

だが、本書巻末の「おわりに」には、藤原行成が『権記』で「何度も王権の秘事を詳細に記している」
として、次の件(490頁)があったヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

    特に、道長の上表に対する一条の態度(病気が治ったら、道長の出家や伊周の復帰を
    考えるというもの)、彰子立后を一条に納得させた理屈(定子は神事を勤めない禄盗人)、
    定子崩御に際しての周囲の冷ややかな反応(や道長に襲いかかったという女官のこと)、
    詮子崩御にいたる経緯、敦成立太子を一条に迫って敦康立太子を諦めさせた説得
    (業平斎宮密通の子孫など)、敦明の皇太子辞退と敦良立太子の動き(それに娍子の怒り)
    など、『権記』がなくては、我々はその詳細を知ることができなかったのである。

「斎宮(恬子内親王)の事件」とは、どうやら「業平斎宮密通の子孫」の話だったようだヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

『伊勢物語』の六十九段の話と判明し、手元にある各注釈書を披くも「高階師尚」は出てこず(´ヘ`;)

倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)の当該件を読んだ(^^)

    ・・・行成が述べた[敦成立太子の]理屈というのは、以下の通りである。/・・・
    第三に、定子の外戚である高階氏は、「斎宮の事」の後胤であるから、その血を引く
    敦康が天皇となれば神の怖れがあり、大神宮に祈り謝らなければならない。・・・/
    これらのうち、「斎宮の事」というのは、在原業平が伊勢斎宮の恬子内親王に密通し、
    生まれた師尚が高階氏の養子となったことを指すのであるが、もちろん事実かどうかは
    不明である。・・・

次に目崎徳衛『日本詩人選6 在原業平・小野小町』(筑摩書房,1970)も調べると面白い話が満載(^_^;)

    ・・・ところが顕昭と同時代の儒者大江匡房の「江家次第」にはもっと奇怪な事実が
    記されている。「中将(業平)斎宮と密通し、師尚真人を生ましむ。よりて高家(高階氏)
    今に伊勢に参らず」。密通の結果斎宮は懐妊し、生れた子が高階師尚で、そんな不始末な
    子孫だから、高階氏は今も伊勢に参詣しないというのである。匡房は名高い学者であるが、
    奇譚怪説を吹聴する癖があったから、この話も一応眉に唾を付けたくなる。しかし、
    同時代人藤原仲実の「古今和歌集目録」にはさらに詳しい事が記されている。・・・
    一応年次の辻褄は合う。それに「古今和歌集目録」という古今集作者の略伝は、
    わたくしの判断によれば割合に記事の根拠が確実なのである。・・・

この密通は事実なのか虚構なのか、目崎徳衛の本には、上記の他、顕昭、契沖、賀茂真渕、荷田春満、
上田秋成、角田文衛の各見解を紹介し、行成『権記』の上記記述もちゃんと引いてて、面白かった(^^)
タグ:歴史
コメント(20) 
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コメント 20

センニン

こんばんは。
夕方の報道番組では明治生まれの110歳の女性を取り上げていました。
五つの年号を生きるというのはなかなか難しいですねえ。
昭和は長かったし。
皇嗣が即位することになれば可能性はあるかもですが。
by センニン (2019-05-01 20:32) 

middrinn

その女性は新聞でも紹介されてましたね(^^)
一世一元の制ですからねぇ(^_^;) 今上天皇と
年齢が近いので即位はありえないと皇嗣は前に
お答えになられたと新聞で読みました(@_@;)
by middrinn (2019-05-01 20:43) 

ニッキー

「令和」最初のRUNはさすがに連日の疲れで
22kmで撃沈(*_*)
30km走りたくて、出社するかみさんと時間合わせたのに(⌒-⌒; )
そして気合を入れて昼食に中本(ラーメン)まで行ったのに
あまりの待ち時間にやっぱり撃沈w
いまいちなスタートになりました(⌒-⌒; )
by ニッキー (2019-05-01 21:23) 

middrinn

まだ「令和最初の完走」「令和最初のサブ3」あります(^o^)丿
神コーチによる「令和最初のシゴキ」も・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2019-05-01 21:38) 

喜んぶ

平成最後の日に、middrinnさん特製座布団を!!(^^♪
。。タグ:歴史・和歌、、共通テーマ:資格・学びなのに。
。。令和中には??、記事に沿った内容のコメントを!?ホントカァ?
あっ、新元号最初のコメです、、、。他でコメシテナイダロ!!m(__)m
by 喜んぶ (2019-05-01 22:08) 

middrinn

まだ特製令和座布団はあげられませんなぁC= (-。- ) フゥー
また出直してくるのよぉ~オホホホホホ( ^^)/~~~~~ ピシッ!
拙ブログは神出鬼没なのよんオホホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
by middrinn (2019-05-01 22:27) 

ナベちはる

令和に変わりましたね!
しばらくは、いろんな方面で「令和初の…」が聞かれそうです。
by ナベちはる (2019-05-02 00:11) 

tai-yama

伊勢の神がお怒りになるとは・・・伊勢物語は在原業平の物語
なのに。関係ないか(笑)。高階氏と道隆の娘が定子なんですよね。
まぁ、でも結局は道長の意向だったり。
by tai-yama (2019-05-02 00:18) 

middrinn

数日は「令和初」「令和最初」が流行語に
ナベちはる様の周りでもなるのかな(^_^;)
by middrinn (2019-05-02 06:31) 

middrinn

伊勢の斎宮との話(六十九段)が『伊勢物語』という書名の由来とも(^_^;)
tai-yama様も在原業平のように旅での女性との出逢いを綴って下さい(^o^)丿
by middrinn (2019-05-02 06:35) 

mimimomo

おはようございます^^
令和最初のお風呂掃除にトイレ掃除・・・(@@ ま、考えようでは改元後することは一つ一つが「最初の・・・」でござりまするな^^
昔の人間関係は複雑ですね~もっとも最近は離婚、結婚もそれほどの隠し事でもないから、だんだん複雑さを増すかしら。
by mimimomo (2019-05-02 07:01) 

middrinn

令和最初の・・・という冠・称号が一生残りますv( ̄∇ ̄)ニヤッ
伊勢斎宮は不犯でなければならないのでスキャンダル化^_^;
by middrinn (2019-05-02 07:21) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
令和初のお風呂掃除とは、斎戒沐浴の準備ですか・・・?
by ネオ・アッキー (2019-05-02 11:48) 

middrinn

サボってたので少しは働かないといけませんからね(^_^;)
by middrinn (2019-05-02 11:55) 

oko

武勇伝がどんどん増えますねっっ
by oko (2019-05-02 14:40) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製武勇伝座布団1枚 ♪
たしかに、やることなすこと「令和最初の」( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2019-05-02 15:45) 

enokorogusa

基経に高子を奪い返された業平の怨念が、巡り巡って藤原氏の宗家となるはずだった道隆流の邪魔をした、なんて(^^;)
by enokorogusa (2019-05-03 12:54) 

middrinn

業平の霊が道長に肩入れする理由が何かあったんですかね(^_^;)
by middrinn (2019-05-03 13:19) 

YURI

こんにちは。楽しく拝見しています。
「伊勢物語」の業平と斎宮の逸話、フィクションと思いつつ、ではなぜこんな不敬とも思える話が出来上がって、物語として流布されたのか不審でした。これを理由に皇子が即位できなかったのなら、少しは実話の要素もあるのかしら?それとも、難癖のゴリ押し?やはり不審ですね。
by YURI (2019-05-05 12:30) 

middrinn

謎ですよねぇ(^_^;) 恬子内親王は斎宮を二十年近く勤められた上で、
次の方と交代しているので、少なくとも表面上は問題は無かったはず
なんですが(^_^;) この『権記』の問題の記述も実はその記事の行間
に細字で書き込まれたもの(『一条天皇』に写真)な点も不審^_^;
by middrinn (2019-05-05 13:52) 

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