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171013読んだ本

twitterとは違う意味で拙ブログがバカ発券器と化しつつあるのは不本意(+_+) 婆を引く体質か(T_T)
愉しい読書の記憶を残そうと「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」から暖簾分けしたのにね(..)

【読んだ本】

関幸彦『百人一首の歴史学』(NHKブックス,2009)

山田雄司『怨霊とは何か~菅原道真・平将門・崇徳院』(中公新書,2014)を「また、つまらぬ物を
読んでしまったorz」で取り上げた際に、関幸彦『蘇る中世の英雄たち~「武威の来歴」を問う』
(中公新書,1998)の方が同じ問題をヨリ深く考察している云々と紹介したことがあった(^^) 本書の
「あとがき」に「・・・とりわけ目崎徳衞『百人一首の作者たち』(角川書店)、鈴木知太郎『小倉
百人一首』(さるびあ出版)の二著の学恩は大きい。それは二つの定点から発せられる燈台の光源
にも値するものだった。/史学、文学それぞれの接点を探ろうとする本書の試みにあっては、先達的
役割を担うものとなった。本書の具体的叙述のなかには、この二著の孫引き的内容も少なくない。」
とあるので、目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)をじっくり愛読してる今、
その併せ馬にと本書を図書館から借りてきた次第(^^) 「はしがき」に続いて、〈Ⅰ 「百人一首」の
時代〉に入ったんだけどさ、関幸彦はコンプレックスでもあるのか理屈っぽく小難しく書くよねぇ、
素人にも理解できるような平明な文章で歴史の本を書く遠山美都男を見倣うべきだろうに・・・等と
思いつつ読み進めてたら、目が点になったよ(゚ロ゚;)エェッ!? 曰く〈また、配列・構成の相違に関しては、
一九五一年に「百人一首」と類似する定家撰の「百人秀歌」(流布の「百人一首」とは四首ちがうが、
内容は同じ。「嵯峨山庄色紙形、京極黄門撰」の内題をもつ)の存在が紹介され、あらためて、定家
の「百人一首」へのかかわりが指摘されている。〉とあり、その丸カッコ内、百人一首と百人秀歌が
「四首ちがうが、内容は同じ。」だなんて冗談はよし子さん(-"-) 安東次男『百人一首』(新潮文庫,
1976)の巻頭の「百人一首のこと」では、〈じつは、百人一首よりもいっそう定家撰として信憑性の
ある百人秀歌なる成書が、世に知られている。内題に「嵯峨山庄色紙形、京極黄門撰」とあり、歌は
全部で百一人百一首、これを百人一首とくらべると、後鳥羽院・順徳院の歌がなく、かわりに一条院
皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の歌があり、源俊頼の歌が「うかりける」ではなく「やまざくら
咲きそめしよりひさかたのくもゐに見ゆる滝のしら糸」となっている。その他、歌の配列順序は
かなりの違があり、作者の官位では従二位家隆が正三位家隆となっているが、それらの点を別にすると
あとはすべて同じで、二つがもともと別人の手に成ったとは考えられない。〉と説明されているし、
「四首ちがう」なんて、公文式やっとけやヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!! また「配列順序はかなりの
違」がある点を重視して同書を著した安東次男が怒るぞ^_^; 前にも指摘したが、wikiの「百人一首」
を確認したら、「百人秀歌も百人一首の形式で、100人の歌人から一首ずつ100首を選んで編まれた
秀歌撰である。」といまだに書いてあった(゚ロ゚;) 不特定多数の人々が自由に執筆・加筆・修正できる
ということは、正確な知識も無きゃ足し算・引き算も出来ないアホでも書く資格あり、ということで、
ザ・衆愚政治の見本みたいだ(+_+) とまれ、関幸彦の本書も、目崎徳衞のと同様、ヤバそう(@_@;)

拙宅に投票所入場券が届いたのも昨日だけどソレより選挙公報が届かなきゃ期日前投票できねーよ^_^;

タグ:和歌 歴史
コメント(2) 
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コメント 2

ぽちの輔

そろそろ新聞に折り込まれるんですかね?^^;
by ぽちの輔 (2017-10-14 07:21) 

middrinn

候補者による手書きのもあるので、
コレクションにしてる人もいるようですね^_^;
by middrinn (2017-10-14 07:28) 

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