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161103読んだ本

名前も知らなかった作家を発見しコレクターのサイトに載る表紙の画が気に入ったので集めようかと^_^;

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「養源院―淀殿とお江ノ方―」によると、「三十三間堂の、ちょうど真向かいに門を開いているお寺
なのだが、ふしぎなくらい境内は、近隣の喧騒に煩わされていない。」由、養源院は穴場なのかも(^^)
淀殿が実父浅井長政り冥福を念じて秀吉に願って建立した寺だが、現在の本堂は、お江ノ方が姉淀殿の
遺志を継いで再建したもので、伏見桃山城からの移築(^^) 故に、その「正面側面にめぐらされた鶯張り
の廊下、廊下の上に見られる天井板の血痕」、それは「石田三成勢に囲まれた鳥居元忠一党の討死の際の
血がしみこんでいるという。」(゚ロ゚;)ヒエェッ! 「彼らが腹かっさばいた広間の板敷きを、捨て石となって
死んだ忠誠の形見として、廊下の天井に張ったわけで、養源院に限らず、京都には七、八ヵ所も血天井
を呼びもの(?)にしている寺院がある。そのどれもが伏見桃山城から用材を運んで建てた寺々だが、
建立の由来から推して、ここ、養源院の血天井がもっとも信憑性の高い遺跡ではなかろうか。」(@_@)
なお、浅井長政、崇源院お江の方、お江の方の夫徳川秀忠、その子家光ら歴代将軍の位牌もある由(^^)
「長楽寺―建礼門院徳子―」も読んだ(^^) この長楽寺で建礼門院徳子は落飾したあと、大原に隠棲し、
亡くなるまで寂光院で過ごしたため、寂光院に徳子の陵やお仕えしていた女房たちの墓はある由(^^)
同寺の阿弥陀三尊が崇徳上皇の念持仏だったらしいのだが、上田秋成『雨月物語』の中の〈「白峯」に
よれば壇ノ浦での平家の滅亡も、崇徳上皇の呪詛の結果ということになる。建礼門院徳子の画像が、
この阿弥陀三尊と一つ堂内に向き合っている現実は、歴史の皮肉か。〉(@_@;) 本書も残り4篇^_^;

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

寺尾善雄『中国英雄伝』(旺文社文庫,1986)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

しかし、wikiにも名前が無い感じだし、その文庫は品薄で、どれも安値では手に入らなさそうだな(..)
タグ:歴史 紀行 列伝
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