240204読んだ本
こーゆータメになる良書を始めユニークで面白い本とか出してても潰れちゃうんだからねぇ(@_@;)
【読んだ本】
松原朗『唐詩の旅 長江篇』(社会思想社現代教養文庫,1997)所蔵本
匡廬便是逃名地 匡廬は便[すなわ]ち是れ名を逃るるの地
司馬仍爲送老官 司馬は仍[なお]老を送るの官為[た]り
心泰身寧是歸處 心泰[やす]く身寧[やすら]かなるは是れ帰する処
故郷何獨在長安 故郷何ぞ独り長安にのみ在[あ]らんや
この廬山こそ名誉利益の俗世間から逃れる恰好の地であり、司馬という官は
つまらない職ながら、老後を送るにはふさわしい官である。心も安まり身も
安泰であるところこそ、人間にとって安住の地だ。なにも長安だけが故郷では
ないのだ。
駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)から白居易(白楽天)「香炉峰下新卜山居草堂
初成偶題東壁」(香炉峰下、新に山居を卜し、草堂初めて成り、偶[たまたま]東壁に題す)五首の
第三首の第五句~第八句を訳とともに引いたけど、一部の漢字の字体が異なることは例の如し(^_^;)
この「草堂」で「老後を送る」というブランだけど、先ずは岡村繁『新釈漢文大系99 白氏文集 三』
(明治書院,1988)420頁から、この連作五首の第一首(0975)の第七句&第八句(返り点は省略し、
一部の漢字の字体は異なる)を通釈(語釈からも補記したが、訳注稿は竹村則行が担当されてる由)
も含めて引く(^_^;)
來春更葺東廂屋 來春 更に東廂の屋を葺き、
紙閣蘆簾著孟光 紙閣 蘆簾 孟光を著[つ]けん
来春は更に東廂[=「奥座敷の東の間。」]の屋根を葺き、紙障子の部屋に
蘆の簾を垂れ、愚妻孟光[←「・・・ここは白居易の妻楊氏をいう。」]を
そこに置こうか。
「草堂」が「初めて成」った時点では、「妻」の「楊氏」を「置」ける状態ではなかったことが読み
取れるので、「楊氏」を連れてきてない_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 岡村繁『新釈漢文大系101 白氏文集 五』
(明治書院,2004)から『白氏文集』巻二十六の「草堂記」(1472)の関係する件の本文(同書217
~218頁)&訓読文(同書217頁)&通釈(同書220頁)を順に引く(返り点は省略し、一部の漢字は
字体が異なり、また訳注稿は安東俊六が担当された由)(^_^;)
・・・待予異時弟妹婚嫁畢、司馬歳秩滿、出處行止、得以自遂、則必左手引妻子、
右手抱琴書、終老於斯、以成就我平生之志。・・・
・・・予が異時弟妹の婚嫁畢[をは]り、司馬の歳秩[さいちつ]滿つるを待ちて、
出處行止[しょっしょかうし]、以て自ら遂ぐるを得[う]れば、則[すなわ]ち
必ず左手に妻子を引き、右手に琴書[きんしょ]を抱へ、老[ろう]を斯[ここ]に
終[を]へて、以て我が平生の志を成就せん。・・・
・・・やがて私が他日弟や妹の嫁入りや嫁とりが終わり、司馬の任期が満ちるのを
待って、出処進退が自分の思いどおりになったなら、必ずや左手に妻子をつれ、
右手に琴と書物を抱えて、ここに一生を終え、私の平素の志をとげたいと思う。
・・・
この連作五首の詠作時点では白居易は「妻子をつれ」てきてないわけで(同書所収の『白氏文集』巻
二十八の「與微之書(微之に與ふる書)」に白居易が「獨り」で訪れていることを示唆する件が)、
その理由が上述の「草堂」の造りにあることは要注目(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)バカチンのための布石かな?
さて、この作品を松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(社会思想社現代教養文庫,1972)は「白楽天の、
自然への愛好と、知識人としての生きかたを示す詩である。」とした上で、次のように指摘(@_@;)
・・・/最終聯「心泰身寧是帰処、故郷何独在長安[←第八句に傍点]」。ここには、
この時点における作者の物の考えかたや感じかたが、非常にはっきりと表明されている。
長安での政治的役割りにあれほど執着していたことからみると、この達観ぶりは・・・
「故郷」は和歌では昔の都(平城京等)なのに唐詩では今の都(長安)のことが多いというのが気に
なると一昨日書いたが、白居易も「長安」を「故郷」とするのは「政治的」人間だからかな(@_@;)
・・・と思い込んでたら、久しぶりに本書を披いて、次の件を読み流していたことに気付いた(^_^;)
・・・/白居易は下邽[かけい](陝西省渭南県)の人。そこは長安を東にわずか
五十キロはずれた、いわば近郊であったので、彼の意識の中では、無理なく長安を
故郷と言えたのである。しかし、長安ばかりが故郷ではない。こう言うとき、
白居易はみずからのおかれた流謫の境遇を、新しい希望の中に生きようと努めて
いたのである。/・・・
この作品を取り上げている件を再読したところ、本書には色々と有益な情報が記されていたぞ(^_^;)
予想通り、本書も宇野直人&江原正士『漢詩を読む 3 白居易から蘇東坡へ』(平凡社,2011)巻末の
「主要参考文献」に挙げられてなかった(宇野直人は松原朗より一歳上で同じ大学院を修了)(^_^;)
【読んだ本】
松原朗『唐詩の旅 長江篇』(社会思想社現代教養文庫,1997)所蔵本
匡廬便是逃名地 匡廬は便[すなわ]ち是れ名を逃るるの地
司馬仍爲送老官 司馬は仍[なお]老を送るの官為[た]り
心泰身寧是歸處 心泰[やす]く身寧[やすら]かなるは是れ帰する処
故郷何獨在長安 故郷何ぞ独り長安にのみ在[あ]らんや
この廬山こそ名誉利益の俗世間から逃れる恰好の地であり、司馬という官は
つまらない職ながら、老後を送るにはふさわしい官である。心も安まり身も
安泰であるところこそ、人間にとって安住の地だ。なにも長安だけが故郷では
ないのだ。
駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)から白居易(白楽天)「香炉峰下新卜山居草堂
初成偶題東壁」(香炉峰下、新に山居を卜し、草堂初めて成り、偶[たまたま]東壁に題す)五首の
第三首の第五句~第八句を訳とともに引いたけど、一部の漢字の字体が異なることは例の如し(^_^;)
この「草堂」で「老後を送る」というブランだけど、先ずは岡村繁『新釈漢文大系99 白氏文集 三』
(明治書院,1988)420頁から、この連作五首の第一首(0975)の第七句&第八句(返り点は省略し、
一部の漢字の字体は異なる)を通釈(語釈からも補記したが、訳注稿は竹村則行が担当されてる由)
も含めて引く(^_^;)
來春更葺東廂屋 來春 更に東廂の屋を葺き、
紙閣蘆簾著孟光 紙閣 蘆簾 孟光を著[つ]けん
来春は更に東廂[=「奥座敷の東の間。」]の屋根を葺き、紙障子の部屋に
蘆の簾を垂れ、愚妻孟光[←「・・・ここは白居易の妻楊氏をいう。」]を
そこに置こうか。
「草堂」が「初めて成」った時点では、「妻」の「楊氏」を「置」ける状態ではなかったことが読み
取れるので、「楊氏」を連れてきてない_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 岡村繁『新釈漢文大系101 白氏文集 五』
(明治書院,2004)から『白氏文集』巻二十六の「草堂記」(1472)の関係する件の本文(同書217
~218頁)&訓読文(同書217頁)&通釈(同書220頁)を順に引く(返り点は省略し、一部の漢字は
字体が異なり、また訳注稿は安東俊六が担当された由)(^_^;)
・・・待予異時弟妹婚嫁畢、司馬歳秩滿、出處行止、得以自遂、則必左手引妻子、
右手抱琴書、終老於斯、以成就我平生之志。・・・
・・・予が異時弟妹の婚嫁畢[をは]り、司馬の歳秩[さいちつ]滿つるを待ちて、
出處行止[しょっしょかうし]、以て自ら遂ぐるを得[う]れば、則[すなわ]ち
必ず左手に妻子を引き、右手に琴書[きんしょ]を抱へ、老[ろう]を斯[ここ]に
終[を]へて、以て我が平生の志を成就せん。・・・
・・・やがて私が他日弟や妹の嫁入りや嫁とりが終わり、司馬の任期が満ちるのを
待って、出処進退が自分の思いどおりになったなら、必ずや左手に妻子をつれ、
右手に琴と書物を抱えて、ここに一生を終え、私の平素の志をとげたいと思う。
・・・
この連作五首の詠作時点では白居易は「妻子をつれ」てきてないわけで(同書所収の『白氏文集』巻
二十八の「與微之書(微之に與ふる書)」に白居易が「獨り」で訪れていることを示唆する件が)、
その理由が上述の「草堂」の造りにあることは要注目(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)バカチンのための布石かな?
さて、この作品を松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(社会思想社現代教養文庫,1972)は「白楽天の、
自然への愛好と、知識人としての生きかたを示す詩である。」とした上で、次のように指摘(@_@;)
・・・/最終聯「心泰身寧是帰処、故郷何独在長安[←第八句に傍点]」。ここには、
この時点における作者の物の考えかたや感じかたが、非常にはっきりと表明されている。
長安での政治的役割りにあれほど執着していたことからみると、この達観ぶりは・・・
「故郷」は和歌では昔の都(平城京等)なのに唐詩では今の都(長安)のことが多いというのが気に
なると一昨日書いたが、白居易も「長安」を「故郷」とするのは「政治的」人間だからかな(@_@;)
・・・と思い込んでたら、久しぶりに本書を披いて、次の件を読み流していたことに気付いた(^_^;)
・・・/白居易は下邽[かけい](陝西省渭南県)の人。そこは長安を東にわずか
五十キロはずれた、いわば近郊であったので、彼の意識の中では、無理なく長安を
故郷と言えたのである。しかし、長安ばかりが故郷ではない。こう言うとき、
白居易はみずからのおかれた流謫の境遇を、新しい希望の中に生きようと努めて
いたのである。/・・・
この作品を取り上げている件を再読したところ、本書には色々と有益な情報が記されていたぞ(^_^;)
予想通り、本書も宇野直人&江原正士『漢詩を読む 3 白居易から蘇東坡へ』(平凡社,2011)巻末の
「主要参考文献」に挙げられてなかった(宇野直人は松原朗より一歳上で同じ大学院を修了)(^_^;)
日本だと50kmは近郊にならないと。ここは国の広さと感覚の
違いなんだろうけど。廬山は三国志で言うと荊州の地ですね。
長安からは確かに遠い・・・・
by tai-yama (2024-02-04 23:05)
たしかにスケールが違うんでしょうね(^_^;)
by middrinn (2024-02-05 05:43)
日本だって近世までは、江戸を含む武蔵の国はその程度の範囲だった。
明治政府が、勝手に小さく刻んだ都市も、日本には有るんですよ。
by df233285 (2024-02-05 06:47)
たしかに、自国であっても時代によってスケールは異なりますね(^_^;)
ただ、松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(社会思想社現代教養文庫,1972)
が杜甫の「春望」の「城」を「まち。中国の都市は多くのばあい城郭に
囲まれているためこういう。」と説明してるのが気になります(@_@;)
by middrinn (2024-02-05 15:09)