クレカの年会費を払いたくないので買う予定だった古本、買ったら大損なことが判明ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
注文前に確認したら数頁だけ図書館でコピー取れば充分なので千円以上も損するとこだった(ノ_-;)ホッ
しかし、数ヶ月前から決めてたのがダメとなって、何を買うか改めて考えるのがチト面倒(´ヘ`;)

【読んだ本】

黒板勝美(編輯)『新訂増補國史大系 第十一巻 日本紀略 後篇 百錬抄』(吉川弘文館,1929→2000新装版)

バカチンを進呈したばかりの(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-25
河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』(岩波新書,2014)をパラパラと拾い読みしてて、
不審に思ったのが次の件(@_@;)

    ・・・/長和四年(一〇一五)二月には、同じく周文裔が珍獣の孔雀と鵞(がちょう)
    を献上し、三条天皇の唐物御覧の後、道長に下賜されている。道長は土御門第で飼育し、
    卵が十一個産まれたものの、百日を過ぎても孵化せず、といった苦労話もあったようで
    ある。/・・・

藤原道長の日記『御堂関白記』の記述と異なるため不審なのだが、河添房江は何に依拠した件なのか
は拙ブログ内の検索により(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-06 )、
『日本紀略』と呆気なく判明ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ そこで、本書から『日本紀略』後篇十二
の「三條院」の長和4年(1015年)2月12日条(本書234頁)の一部と同年閏6月25日条(本書235頁)
を引く(返り点等は略し、一部の漢字は字体が異なる)_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    〇十二日癸亥。・・・今日。大宰大監藤原藏規進鵞二翼。孔雀一翼。

    〇廿五日癸卯。大宋國商客周文徳所獻孔雀。天覧之後。於左大臣小南第。作其巣養之。
     去四月晦日以後。生卵十一丸。異域之鳥忽生卵。時人奇之。或人云。此鳥聞雷聲孕。
     出因縁自然論云々。但經百餘日未化雛。延喜之御時。如此之事云々。

これに対して、『御堂関白記』の長和4年(1015年)4月10日条と長和4年(1015年)8月29日条は、
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)の訳だと、
次の通り(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18 )( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

     十日、己未。 物忌/孔雀、産卵

    物忌であったので、小南第に籠った。(藤原)蔵規朝臣が献上した孔雀は、未だ雄雌が
    判明しなかったけど、酉剋に、小南第の東の池の辺りにおいて、卵を産んだ。近辺に
    食ひ置いていた草葉に、卵を蔵していた。見付けた者が云ったことには、「この昼には、
    卵はございませんでした。ついさっき、鶏のように土を払っていました。その後、また
    見ましたところ、この卵が有りました。巣のような物を作って卵を入れ、寝床の上に
    置きました。孔雀は、これを見て物を啄み、また、卵を抱くような様子がありました」と。
    『修文殿御覧』の孔雀部を見たところ、「鳥というものは、必ずしも交合しなくても、
    音影によって相交り、それで孕[はら]むということが有る」ということだ。これに
    よって、自然に孕むということがわかった。文書[もんじょ]には信が置けるものである。

     二十九日、丙午。 孔雀の卵、孵化せず

    内裏に参った。孔雀が卵を抱いたのは、四月二十日の頃から今月二十日に及んでいた。
    その後は、抱かなくなった。卵が孵る事は無かった。先年の外記日記の記述と同じで
    あった。

『御堂関白記』も『日本紀略』も「小南第」と記すのに、河添房江が「土御門第」とした理由は不明
だけど、「小南第」は「土御門第」の敷地内にあるから、さほど問題ではない(^_^;) 小生が不審に
思ったのは、『御堂関白記』には「卵を産んだ」のは4月の「十日」とあるのに、『日本紀略』には
「四月晦日」=4月の末日からとある点(@_@;) 前にも引いたように、藤原実資も日記『小右記』の
長和4年(1015年)4月11日条に「・・・/昨日、孔雀が小南第に於いて卵を生んだ〈卵は鶏より頗る
大きい。〉。・・・」(倉本一宏編『現代語訳 小右記7 後一条天皇即位』[吉川弘文館,2018])と
記しており、4月「十日」であることは間違いない(@_@;) また『日本紀略』は「百餘日」を「經」
ても「雛」にならなかったとするが、『御堂関白記』は4月10日から8月29日までの(長和4年は閏6月
があるため)170日(「孔雀が卵を抱いた」期間としても「四月二十日の頃から今月[8月]二十日」
で150日)ゆえ、両者の齟齬は大きいかと(@_@;) 念のため言うが、『御堂関白記』『小右記』等の
貴族の日記は古記録として史料価値が高いとされる(@_@;) そもそも『御堂関白記』は「蔵規朝臣
が献上した孔雀」として、三条天皇からの「下賜」とは記してない(@_@;) 藤原道長は三条天皇と
対立してたから、その旨を記さなかったと解するのかな(@_@;) でも、河添房江も「唐物御覧」を
経ずに(=天皇からの「下賜」ではなく)、大宰府の役人から直接献上されるケースがあったことは
記述しており、後の話だけど大宰大弐の藤原惟憲が白鹿を関白藤原頼通に献上した一件は『小右記』
から紹介した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-12-05 )(@_@;) こう
見てくると、『御堂関白記』の記述と齟齬がある『日本紀略』の記述には信を置けないかと(@_@;)
そこで気になるのは、『百錬抄』第四の「三條天皇」の長和4年(1015年)閏6月25日条(本書15頁)
で、本書から引く(返り点等は略し、一部の漢字は字体が異なる)_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

     〇閏六月廿五日。大宋國商客周文商所獻孔雀。天覧之後。於右大臣小南第養之。
      生卵十一。但未化雛。云云。

「右大臣」となっていて、藤原顕光のことを指している(@_@;) ネックなのは「小南第」だけど、
「小南第」の「小」が原文では「北」となっていたと頭書にある点(本書15頁)が鍵かも(@_@;)

[追記230221]

唐物御覧後に三条天皇から下賜されたことを『御堂関白記』に記した例があることは返信コメに(^^)