ポイント当たるスロットが今回も無いので楽天市場お買い物マラソンはエントリーもせず(-ω-、)
とはいっても、前々回の時のスロットは一回も当たらなかったけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
海音寺潮五郎『武将列伝(四)』(文春文庫,1975→『武将列伝 戦国終末篇』2008新装版)所蔵本
・・・/彼の鴆殺[ちんさつ]説は勿論虚伝だ。江戸の家康と仙台の政宗と、
油断のならぬ人間同士の間に据えた氏郷を、数年ならずして毒殺しようとは、
秀吉としてあるまじきことだ。到底信じられないことだ。しかし、彼には、
或時政宗が毒を仕込んだ茶をすすめたという話がある。氏郷はそれを毒と
知りつつ飲んだ。そして外へ出るや否や西大寺を服して吐いてしまったという。
或は政宗と彼の間には、そうした事実もあったろうか?/
森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「二月七日 蒲生氏郷」から引いたけど、蒲生氏郷と
伊達政宗は色々と対立してたような(@_@;) 本書(両書)の「蒲生氏郷」から引く(@_@;)
・・・/氏郷と政宗とは、大崎の一揆のおこる以前から領分の境目論などで
不和であったようだ。こんな話が蒲生軍記に出ている。/安達ガ原は蒲生家
の所領であったが、その近くの黒塚は自分の領分であると伊達家では主張し、
公訴になった。その時、氏郷が、/「平兼盛の歌に『陸奥の安達の原の黒塚に
鬼こもれりと人や見るらん』というのがござる。されば黒塚は安達ガ原のうち
ではござるまいか」/と言ったので、氏郷の勝訴になったというのだ。/・・・
チト不審な点に気付いたけど、南條範夫『武家盛衰記』(文春文庫,2010)の「蒲生氏郷」とwikiの
「蒲生氏郷」の項からも、順に引く(@_@;)
・・・しぶとい政宗は、この後も、常に氏郷の領土を狙い、事毎に文句をつけ、
争いを起こしている。/両者の国境近くにある安達原は蒲生領と認められていたが、
その川向うにある黒塚は伊達領だと、政宗が強く主張した時、氏郷は、『拾遺集』
の平兼盛の、/──陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか/という
歌を引き、昔から黒塚は安達原に属しているから、当然蒲生領だと反駁して勝利を
得たこともある。/氏郷はかなり文事を解したらしい。/・・・
氏郷が会津に入ると、隣国の政宗と領地の境界をめぐって度々対立した。
ある時、政宗は氏郷領内の安達が原の川を挟んだ向かいにある黒塚は
自分の領土だと難癖をつけてきた。しかし氏郷は「みちのくの安達が原の
黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と拾遺和歌集に載っている平兼盛の歌
を引用して自分の領地であることを主張し、政宗を黙らせた。
同歌の第五句を、本書(『蒲生軍記』)は「人や見るらん」、南條範夫やwikiは「いふはまことか」
(おそらく能の「黒塚」「安達原」のかと)としているが、『拾遺和歌集』では「聞くはまことか」
(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』[岩波書店,1990]、小町谷照彦&倉田
実[校注]『拾遺和歌集』[岩波文庫,2021])、『拾遺抄』(竹鼻績『拾遺抄注釈』[笠間書院,
2014])や『大和物語』(柿本奨『大和物語の注釈と研究』[武蔵野書院,1981])でも「聞くは
まことか」となっているので、南條範夫とwikiは「『拾遺集』の」「拾遺和歌集に載っている」と
する以上は間違いヾ(`◇´)ノ それはさておき、小生がチト不審に思ったのは別の点である(@_@;)
・平兼盛は「伝説」の「鬼」のこと=「鬼女伝説」を詠んだと苑子タンは思い込んでるが、この歌は
「女性」(しかも若い「女性」)を「鬼」と詠んでからかった歌ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-02
とはいっても、前々回の時のスロットは一回も当たらなかったけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
海音寺潮五郎『武将列伝(四)』(文春文庫,1975→『武将列伝 戦国終末篇』2008新装版)所蔵本
・・・/彼の鴆殺[ちんさつ]説は勿論虚伝だ。江戸の家康と仙台の政宗と、
油断のならぬ人間同士の間に据えた氏郷を、数年ならずして毒殺しようとは、
秀吉としてあるまじきことだ。到底信じられないことだ。しかし、彼には、
或時政宗が毒を仕込んだ茶をすすめたという話がある。氏郷はそれを毒と
知りつつ飲んだ。そして外へ出るや否や西大寺を服して吐いてしまったという。
或は政宗と彼の間には、そうした事実もあったろうか?/
森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「二月七日 蒲生氏郷」から引いたけど、蒲生氏郷と
伊達政宗は色々と対立してたような(@_@;) 本書(両書)の「蒲生氏郷」から引く(@_@;)
・・・/氏郷と政宗とは、大崎の一揆のおこる以前から領分の境目論などで
不和であったようだ。こんな話が蒲生軍記に出ている。/安達ガ原は蒲生家
の所領であったが、その近くの黒塚は自分の領分であると伊達家では主張し、
公訴になった。その時、氏郷が、/「平兼盛の歌に『陸奥の安達の原の黒塚に
鬼こもれりと人や見るらん』というのがござる。されば黒塚は安達ガ原のうち
ではござるまいか」/と言ったので、氏郷の勝訴になったというのだ。/・・・
チト不審な点に気付いたけど、南條範夫『武家盛衰記』(文春文庫,2010)の「蒲生氏郷」とwikiの
「蒲生氏郷」の項からも、順に引く(@_@;)
・・・しぶとい政宗は、この後も、常に氏郷の領土を狙い、事毎に文句をつけ、
争いを起こしている。/両者の国境近くにある安達原は蒲生領と認められていたが、
その川向うにある黒塚は伊達領だと、政宗が強く主張した時、氏郷は、『拾遺集』
の平兼盛の、/──陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか/という
歌を引き、昔から黒塚は安達原に属しているから、当然蒲生領だと反駁して勝利を
得たこともある。/氏郷はかなり文事を解したらしい。/・・・
氏郷が会津に入ると、隣国の政宗と領地の境界をめぐって度々対立した。
ある時、政宗は氏郷領内の安達が原の川を挟んだ向かいにある黒塚は
自分の領土だと難癖をつけてきた。しかし氏郷は「みちのくの安達が原の
黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と拾遺和歌集に載っている平兼盛の歌
を引用して自分の領地であることを主張し、政宗を黙らせた。
同歌の第五句を、本書(『蒲生軍記』)は「人や見るらん」、南條範夫やwikiは「いふはまことか」
(おそらく能の「黒塚」「安達原」のかと)としているが、『拾遺和歌集』では「聞くはまことか」
(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』[岩波書店,1990]、小町谷照彦&倉田
実[校注]『拾遺和歌集』[岩波文庫,2021])、『拾遺抄』(竹鼻績『拾遺抄注釈』[笠間書院,
2014])や『大和物語』(柿本奨『大和物語の注釈と研究』[武蔵野書院,1981])でも「聞くは
まことか」となっているので、南條範夫とwikiは「『拾遺集』の」「拾遺和歌集に載っている」と
する以上は間違いヾ(`◇´)ノ それはさておき、小生がチト不審に思ったのは別の点である(@_@;)
・平兼盛は「伝説」の「鬼」のこと=「鬼女伝説」を詠んだと苑子タンは思い込んでるが、この歌は
「女性」(しかも若い「女性」)を「鬼」と詠んでからかった歌ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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