日本の歴史上の人物で悪人(男女を問わず)と言ったら、誰の名前が挙がるのだろうか(@_@;)

【読んだ本】

山中裕(日本歴史学会編集)『藤原道長』(吉川弘文館人物叢書,2008新装版)

    ・・・/ここで道長の人物像に迫るにあたって、取りあつかう文献について
    のべておきたい。古文書と同様に古記録(個人の日記)は、第一史料として
    特に重要とされている。しかも男性の手による政治上の日記であるから、最も
    信頼できるとするのが常識である。まず道長本人の日記である『御堂関白記』
    があり、藤原実資の『小右記』、藤原行成の『権記』、源経頼の『左経記』等々、
    この時代には豊富な古記録が残されている。『御堂関白記』は本人の日記で
    あるから、とくに重視したい。実資の『小右記』も同様に重視しなければ
    ならないが、その表現にはやや大げさな部分もあり、同じ史実を扱いながらも、
    こんなに異なるのかと思うところも少なくない。このような箇所は、とくに
    大きく取り上げてみて行くことにした。/・・・

このように本書の「はしがき」で述べられているが(本書8頁)、「表現」の問題なのかね(@_@;)
一条天皇の譲位の経緯に関する『御堂関白記』の記述なんかは『権記』のと比較すると虚偽で道長は
嘘をついてると判るわけだし(^_^;) さて、本書は「第七 道長の最期」の「五 『御堂関白記』に
ついて」において、「記主の個性」として次のような興味深い指摘(本書226頁)をしているので、
原文ママで引いておく( ̄◇ ̄;)

    ・・・/古記録、いわゆる和風漢文の公卿の日記は、いずれも史実が正確に書かれて
    いると言われ、古文書とともに大変重んじられるものである。しかし、一人ひとりの
    個性があり、書き手の独特な個性を反映している。それでこそ、個人の日記としての
    価値が存するのである。『小右記』は実資の個性がつよく現れており、戦前(昭和
    二〇年)ごろまで道長の人柄があまりよくないように言われていたのは『小右記』の
    影響が強かったのである。/・・・

「昭和二〇年」ごろまでは「『小右記』の影響」で「道長の人柄」が悪く言われてたんだ( ̄◇ ̄;)
ただ、そもそも貴族の日記は子孫を始めとする他人に読まれることを前提に執筆されたものであり、
しかも、『小右記』は「・・・実資の生前から宮廷社会において読まれていた・・・」と倉本一宏編
『現代語訳 小右記1 三代の蔵人頭』(吉川弘文館,2015)の「はじめに」にあるから(同書5頁)、
「道長の人柄」は既に「実資の生前から」悪く言われていた、ということになるのかなぁ(@_@;)

・藤原実資は自身が源俊賢から「頻りに讒舌」されたことの「意味がわからない」と不思議がるけど、
 前日の日記に書いた「批判的な記事」を俊賢本人に既に「読まれていた」からだったりして(^_^;)

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