もしかしてもしかするとなんだけど、更新されるSSブログの数が最近は激減してるのかしら(@_@;)
だから、義理返礼nice!が生命線のブログ主たちは必死になっ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; ちなみに、小生の
命綱は明日発売の漫画が届くことウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ 早く明日になるよう早寝(^o^)丿
【読んだ本(18禁バカチン)】
駒田信二『艶笑いろはかるた』(文春文庫,1989)所蔵本
前回(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-02 )から読み進んで、本書も
「か 蛙の面に水」まで来た(^_^;) 「か」の句は、京かるたでは「蛙の面に水」、尾張かるたでは
「陰裏[かげうら]の豆もはじけ時」、江戸かるたでは「かったいの瘡[かさ]うらみ」の由(^_^;)
「娘もういくのの道も承知なり」という句の紹介から、小式部内侍の『百人一首』にも入ってる和歌
に言及した上で、次の笑話を紹介している(^_^;)
・・・/ところで、「大江山幾野[ママ]のみちの──」の作者の小式部内侍だが、
この人は和泉式部の娘で、二条関白藤原教通に寵愛されていたが、教通の弟の
堀河右大臣藤原頼宗が、/密カニ挑ミテ之ト私通スルヲ得タリ。/と『大東閨語』に
記されている。私通している最中に、頼宗はたわむれて小式部にたずねた。/
我ガヘノコ、兄ノヘノコト孰[いず]レゾヤ。/兄のと自分のと、どっちがいいか、
ときいたのである。よほど自信があったのかもしれないが、それにしても、/馬鹿亭主
いいかいいかと矢鱈[やたら]きき/の亭主と「孰レゾヤ」である。だが、こういう
ときには馬鹿も利口もない。馬鹿にならない方が馬鹿なのかもしれない。問題は
そのときの小式部さんの答えである。/小式部、羞渋[しゅうじゅう]シテ応ヘズ。
右府、強[しい]テ問フ。式部[ママ]、笑ツテ答ヘテ曰ク、両根、固[もと]ヨリ
兄[けい]タリ難ク弟[てい]タリ難シト。/・・・
駒田信二は小式部内侍の「羞渋シテ応ヘズ」&「兄タリ難ク弟タリ難シ」の態度&答えを褒めてて、
おっしゃる通りだとは思うけど、小生が感心したのは頼宗(「教通の弟」とあるが、「教通の兄」or
「教通の異母兄」が正しい)から問わせていること(^_^;) 頼宗が嫉妬した歌を犬養廉&平野由紀子
&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)による詞書&歌の現代語
訳(担当は船﨑多恵子)で引く(⌒~⌒)
小式部内侍のもとに二条前太政大臣はじめてまかりぬとききてつかはしける
ひとしらで ねたさもねたし むらさきの ねずりのころも うはぎにをきん
小式部内侍のところに二条前太政大臣[教通]がはじめて通ってきたときいて送った歌
(私と小式部内侍との仲を)人が知らなかったとは、何ともかともねたましいことだ。
(「色にいづなゆめ」といった)あの紫のゆずりの衣を上着に着て、このことを暴露
してしまおう。
船﨑多恵子は「・・・歌の内容から、小式部は先に頼宗と関係を持っていたと思われる。頼宗にして
みれば、異母弟に恋人を取られた訳で、その悔しさが第二句の直情的な表現に表わされている。頼宗
は、官吏としても常に弟教通の後塵を拝しており、教通に対するライヴァル意識は相当強かったと思
われる。・・・」と評(^_^;) さて、さて、さ~て、不思議なのは、この歌に対する返歌(しかも、
開き直った内容の歌)を母の和泉式部が詠んでいる点(^_^;) 小式部内侍は「大江山」の歌のように
即興で当意即妙な秀歌(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-05-13 )を返せ
そうなのにねぇ(^_^;) そこで、気付いたんだけど、『大東閨語』からの引用である「式部、笑ツテ
答ヘテ曰ク、両根、固ヨリ兄タリ難ク弟タリ難シト。」という一文の主語の「式部」は「小式部」の
誤植と判断して原文ママと付記したけど、もしかしてもしかすると頼宗は親子丼・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・今谷明『歴史の道を歩く』岩波新書は小式部内侍の歌が解ってないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-31
・檀ふみはこの歌を小式部内侍タンが丹後国で天橋立を眺めながら詠んだと思っているのか( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-01
・教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-24
だから、義理返礼nice!が生命線のブログ主たちは必死になっ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; ちなみに、小生の
命綱は明日発売の漫画が届くことウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ 早く明日になるよう早寝(^o^)丿
【読んだ本(18禁バカチン)】
駒田信二『艶笑いろはかるた』(文春文庫,1989)所蔵本
前回(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-02 )から読み進んで、本書も
「か 蛙の面に水」まで来た(^_^;) 「か」の句は、京かるたでは「蛙の面に水」、尾張かるたでは
「陰裏[かげうら]の豆もはじけ時」、江戸かるたでは「かったいの瘡[かさ]うらみ」の由(^_^;)
「娘もういくのの道も承知なり」という句の紹介から、小式部内侍の『百人一首』にも入ってる和歌
に言及した上で、次の笑話を紹介している(^_^;)
・・・/ところで、「大江山幾野[ママ]のみちの──」の作者の小式部内侍だが、
この人は和泉式部の娘で、二条関白藤原教通に寵愛されていたが、教通の弟の
堀河右大臣藤原頼宗が、/密カニ挑ミテ之ト私通スルヲ得タリ。/と『大東閨語』に
記されている。私通している最中に、頼宗はたわむれて小式部にたずねた。/
我ガヘノコ、兄ノヘノコト孰[いず]レゾヤ。/兄のと自分のと、どっちがいいか、
ときいたのである。よほど自信があったのかもしれないが、それにしても、/馬鹿亭主
いいかいいかと矢鱈[やたら]きき/の亭主と「孰レゾヤ」である。だが、こういう
ときには馬鹿も利口もない。馬鹿にならない方が馬鹿なのかもしれない。問題は
そのときの小式部さんの答えである。/小式部、羞渋[しゅうじゅう]シテ応ヘズ。
右府、強[しい]テ問フ。式部[ママ]、笑ツテ答ヘテ曰ク、両根、固[もと]ヨリ
兄[けい]タリ難ク弟[てい]タリ難シト。/・・・
駒田信二は小式部内侍の「羞渋シテ応ヘズ」&「兄タリ難ク弟タリ難シ」の態度&答えを褒めてて、
おっしゃる通りだとは思うけど、小生が感心したのは頼宗(「教通の弟」とあるが、「教通の兄」or
「教通の異母兄」が正しい)から問わせていること(^_^;) 頼宗が嫉妬した歌を犬養廉&平野由紀子
&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)による詞書&歌の現代語
訳(担当は船﨑多恵子)で引く(⌒~⌒)
小式部内侍のもとに二条前太政大臣はじめてまかりぬとききてつかはしける
ひとしらで ねたさもねたし むらさきの ねずりのころも うはぎにをきん
小式部内侍のところに二条前太政大臣[教通]がはじめて通ってきたときいて送った歌
(私と小式部内侍との仲を)人が知らなかったとは、何ともかともねたましいことだ。
(「色にいづなゆめ」といった)あの紫のゆずりの衣を上着に着て、このことを暴露
してしまおう。
船﨑多恵子は「・・・歌の内容から、小式部は先に頼宗と関係を持っていたと思われる。頼宗にして
みれば、異母弟に恋人を取られた訳で、その悔しさが第二句の直情的な表現に表わされている。頼宗
は、官吏としても常に弟教通の後塵を拝しており、教通に対するライヴァル意識は相当強かったと思
われる。・・・」と評(^_^;) さて、さて、さ~て、不思議なのは、この歌に対する返歌(しかも、
開き直った内容の歌)を母の和泉式部が詠んでいる点(^_^;) 小式部内侍は「大江山」の歌のように
即興で当意即妙な秀歌(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-05-13 )を返せ
そうなのにねぇ(^_^;) そこで、気付いたんだけど、『大東閨語』からの引用である「式部、笑ツテ
答ヘテ曰ク、両根、固ヨリ兄タリ難ク弟タリ難シト。」という一文の主語の「式部」は「小式部」の
誤植と判断して原文ママと付記したけど、もしかしてもしかすると頼宗は親子丼・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・今谷明『歴史の道を歩く』岩波新書は小式部内侍の歌が解ってないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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・檀ふみはこの歌を小式部内侍タンが丹後国で天橋立を眺めながら詠んだと思っているのか( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-01
・教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-24