その新解釈に研究者も惹かれ学界で有力説となった小説、作品名の漢字2文字の読み方が判らぬ(@_@;)

【読んだ本】

細川重男『鎌倉幕府抗争史 御家人間抗争の二十七年』(光文社新書,2022)

細かいミスもある本書だが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-12-07 )、
源実朝殺害事件に関する「黒幕はいたのか」という見出しの節で、「三浦義村説」を次のように紹介
している(本書239頁)(@_@;)

    小説家永井路子が連作小説『炎環[えんかん]』中の「覇樹[はき]」(同氏一九六四)
    で公表し、歴史研究者の石井進氏が『鎌倉幕府』(同氏一九六五)で賛同して、昔から
    あった[北条]義時説に匹敵する有力説となった。/・・・

「覇樹」は「はき」と読むのか( ̄◇ ̄;)マジッ!? 手元にあった永井路子『炎環』(文春文庫,1978)を
確認するもルビは無いので、図書館で『永井路子歴史小説全集 第8巻 炎環』(中央公論社,1995)も
見たけど読み方は出ていないし、『作品名よみかた辞典』の類いも数冊調べたが載ってない(@_@;)
ネット検索すると、「Webcat Plus」が「著作名ヨミ」を「ハジュ」としており、小生も「はじゅ」が
適してる気がする(@_@;) この短・中篇小説が描いているのは「四郎」こと北条義時で、タイトルの
「覇樹」も義時を指していると思われるけど、(征夷大)将軍の異名である「大樹」が「たいじゅ」
と読むから、同じような語感で「はじゅ」かなと(@_@;) ちなみに、上記全集あとがきで永井路子は
「炎環」を「私の造語」と書いていたので、おそらくは「覇樹」も永井路子の「造語」かと(@_@;)

なお、本書231頁に「[源頼家の次男の善哉(その法名が公暁)の]乳母夫は三浦義村(建永元年十月
二十日条)。」、更に本書235頁にも「公暁はここから乳母夫であり、門弟駒若丸の父である三浦義村
に使者を送り、/・・・」とあるが、高橋秀樹『対決の東国史2 北条氏と三浦氏』(吉川弘文館,2021
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-01 )に、公暁の「乳母夫」とするの
は「史料[『吾妻鏡』建永元年(1206年)10月20日条]の誤読」で、義村は実朝の「乳母夫」と(^^)