元の作品の作者よりも優れた才能の持ち主だけがリメイクする資格を持つのではないかと(@_@;)
『源氏物語』の現代語版を出す小説家たち、紫式部より才能があるようには見えぬC= (-。- ) フゥー

【読んだ本】

春名好重『上代能書伝』(木耳社,1972)所蔵本

藤原行成が「長和」と書き始めて間違いに気付き、「寛仁二年八月廿一日書之以経師筆点画失所来者
不可㗛ゝゝゝ」(本書は「寛仁二年八月廿一日、これを書く。経師の筆をもってす。点画所を失ふ。
来者笑ふべからず、笑ふべからず。」と読み下す)と「白楽天詩巻」に書いているエピソードを本書
が紹介してたので、「寛仁」なのに前年号の「長和」と書き間違えたのには理由があるとして仮説を
提示(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-03 )オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

この「白楽天詩巻」は行成五世の孫定信が行成の真跡(真筆)であることを証明した奥書があるので
行成の真跡と認められている由(^^)

    ・・・それ[寛仁2年]から百二十二年後の保延六年(一一四〇)十月二十二日の
    辰の刻に、定信(五十三歳)は物売女から「屛風土代」と「白楽天詩巻」とを
    買い求めたのである。その物売女は塩小路の北、町尻の西に住んでいた在俗の経師
    [=「写経をする者」]の妻であった。/「白楽天詩巻」が経師の家にあったので、
    書家某は、行成が経師の家へ行って、経師の筆で「白楽天詩巻」を書き、それが
    経師の家に残されていたと言っていた。そんなばかげた話を今でも信じている人が
    いる。しかし、昔と今と違い、正二位権中納言の行成と書家某とは違うことを考える
    べきである。書家某は行成も書家であり、某も書家であるから、万事同じように
    考えていたらしい。経師は写経ばかりでなく、装潢もするようになった。さらに
    写経や装潢はやめて表具だけするようになっても経師屋といわれた。書家は表具屋
    へ出かけて行く。しかし、表具屋で書を書かない。身分の差別がやかましかった
    藤原時代に、権中納言で正二位の行成が(当時は身分の賤しい)経師の家へ行く
    ことはできない。行成は「手書き」といわれた能書であったから書家といわれて
    いるが、いわゆる書家ではない。また、行成も写経をしていた。それ故、手もとに
    写経用の経師が用いる筆[=上記の「経師筆(経師の筆)」]があったはずである。
    それで「白楽天詩巻」を書い[ママ]のである。/・・・

イミフな点があるも「書家某」は一流の書家ではなさそう(^_^;) 蟹は甲羅に似せて穴を掘るように、
現代の歌人(短歌詠み)が古代・中世の歌人について書いたり和歌を解釈した本などは噴飯もので、
その例外は窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』上・中・下(東京堂出版,1964-65)ぐらいかと(^_^;)
俳人、詩人、小説家による歌人・和歌の本での例外は安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)(^_^;)
こーゆー先入観から小生は読まず嫌いになってるので、例外は実はもっとあるのかもしれない(^_^;)

本書に戻ると、高官が卑官を訪ねるという紀貫之の2ケースが例外として実際にありえたのかどうか
まで論及する必要ありと愚考も、健診結果の予約は11時30分なのに13時30分まで待たされ疲れた(+_+)

・王羲之が王右軍と言われたから藤原敏行も藤右軍と言われたんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-28

・書道の神様とされている菅原道真は実は能書ではなかったと本書の「菅原道真」の章は指摘(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-20

・藤原道長は、たられば能書であって、能書とは言えないのではないか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-21