作歌や歌人など専門外の人が古典について書いたものには誤りが(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイお前も専門外!
予約していた本がやっと確保も街の図書館まで歩いて往復したら暑さで死んじゃう危険性が(´ヘ`;)

【読んだ本】

百目鬼恭三郎『解体新著』(文藝春秋,1992)所蔵本

岩波書店の「シリーズ 古典を読む」を「・・・作家、歌人といった専門外の人たちが著者になって
いるものは、読んでいて、穴だらけの吊り橋を渡っているような不安にかられる場合が少なくない」
として「二つの特徴」を指摘し(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-12 )、
同シリーズの中野孝次『今昔物語集』を本書は取り上げている(^_^;)

    ・・・おどろくのは、日本古典文学大系本の注では、[『今昔物語集』震旦部巻十
    第二十五話の]高鳳の話は前漢書の司馬相如伝を原話として換骨奪胎した、といって
    いるが、『漢書』列伝の第三十四上に朱買臣のこととして酷似した話がある、と
    得意気に記していることである。/高鳳の話は、『後漢書』列伝七十三逸民伝に
    載っており、幼童の教訓書『蒙求』にも「高鳳漂麦」という標題によって広く
    知られている。また、朱買臣の話も、『漢書』の列伝のほか、やはり『蒙求』の
    「買妻恥醮」によって知られている。だから、[『今昔物語集』第二十五話の高鳳の
    話は]この二つをつないで作った説話であることは、一応古典の読める人なら
    すぐ見当がつくはずだ。それを司馬相如伝から作ったなどとするのは変だと思って、
    体系本の頭注を見ると、ちゃんと『後漢書』の逸民伝と『前漢書』の朱買臣伝とを
    織りまぜて成ったようだとしている。おかしいと思って次ページを繰ると、なんと、
    司馬相如伝うんぬんは次の第二十六話の頭注ではないか。・・・

中野孝次『今昔物語集』の担当編集者は自社刊行物である日本古典文学大系の『今昔物語集』を確認
しなかったんだ( ̄◇ ̄;) 苑子タンの『伊勢物語 謎多き古典を読む』(中公文庫,2000)も単行本は
同シリーズで間違い発見(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-21 )(^_^;)
『枕草子』が朱買臣の逸話に言及も、実は『漢書』ではなくて古注『蒙求』に依拠したものなので、
萩谷朴『枕草子解環 三』(同朋舎出版,1982)は「清少納言の漢学的素養の限界」という項を立てて
いるけど、「近年一部の国文学者が言う『藝文類聚』の如き、他の類書と比べてもとりわけ本文粗悪
な類書によって、断片的な知識を頭脳に詰めこんだのではないということを、平安朝の教養人の為に
立証・弁護したいのであるが、・・・」云々とも記していた〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ