昨日から今日の気温の落差、急変ぶりは、まるで女心のよ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;男心と言うべきでは?

【読んだ本(バカチン)】

中村真一郎『日本古典にみる性と愛』(新潮選書,1975)所蔵本

「中村真一郎といえば現代の作家の中でももっとも多読家の一人・・・」と坪内祐三は高評したが、
日本の古典は「多読」でも誤読しまくっていることに気付き、『平家物語』『大鏡』『平中物語』を
例に指摘したC= (-。- ) フゥー 続いて、本書の「11 社交界==『枕草子』」を取り上げる(@_@;)

    ・・・/たとえば、[清]少納言は、恋の寝床から男が起き上って帰って行った
    明け方に、ひとり疲れきって眠っている女を、別の男がやはり彼の恋人のもとからの
    帰りがけに、偶然、のぞき見をして、その風情の面白さについ上りこんで、枕もとに
    坐ってしまう、というような情景を描きだしている。/男は「昨夜は大分、お疲れの
    御様子で、……」などとからかい、女は襟に寝顔を埋めて胸をときめかしている。
    男は愛人きどりですねてみせたりしていると、女の本物の恋人の方から文使いが来て、
    しかし別の男が寝室にいるので、使者はその文を差しだすことができないでいる。
    男は自分の女のところにも、今の自分のように別の男が上りこんでいるのではないかと
    思って、席を立つ……/少納言はこの情景に、「男心とは勝手なものである」という
    感想を書き加えている。・・・

この話は「七月ばかり、いみじう暑ければ」で始まる段の後半で、手元の萩谷朴(校注)『新潮日本
古典集成 枕草子 上』(新潮社,1977→2004年15刷)の第三十三段、石田穣二(訳注)『新版 枕草子
上巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1979)の三三段、萩谷朴『枕草子解環 一』(同朋舎出版,
1981)の第三三段、上坂信男&神作光一&湯本なぎさ&鈴木美弥(全訳注)『枕草子(上)』(講談社
学術文庫,1999)の三四段で確認したが、清少納言の〈「男心とは勝手なものである」という感想〉
など見当たらぬ(@_@;) 『枕草子』の古写本を読んだ誰かによって「書き加え」られた「感想」が
転写過程で誤って本文化してしまった異本が存在してソレを中村真一郎が読んだ可能性もあるけど、
誤読による捏造の可能性の方が高そう(@_@;) 「男」が「女」の「胸をときめか」せておきながら
「席を立」ったので「男心とは勝手なものである」と中村真一郎は考えたのだろうが、喜びや期待で
「女は・・・胸をときめかしている」と解したのが誤読(@_@;) 萩谷・前掲『枕草子解環 一』の訳
の通り、「女」は危険や不安を感じて「胸がどきどきし」たんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

    ・・・(男が)枕もとの扇を、自分の持ってる扇で、及び腰になってかき寄せるのが、
    (女は)「くっついて来すぎるのじゃないかしら」と、胸がどきどきして、自然と身が
    ひける。(男は扇を)手に取って見たりして、
     男 「毛嫌いなさったものですね」
    なんて、気をもたせたり、怨み言をいったりするうちに、(あたりも)明るくなって、
    ・・・

「女」が「胸をときめかしている」なら「男」が「すねてみせた」ことの説明が付かないだろ(^_^;)

・『平家物語』で「貴族社会の世論」は「二代の后」を「肯定」せずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-18

・「女性」は中納言の妻のままで、「一段ずつ下って行った」は誤読ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

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・「女は人は病気で死ぬのであって、恋愛で死ぬのではないと認識」はどこから出てくるんだ(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-01