北京にはハエが一匹もいないと言ったのは誰だっけ(@_@;) 連載時に読んだ稲垣武『「悪魔祓い」の
戦後史 進歩的文化人の言論と責任』(文春文庫,1997)にざっと目を通してみたけど判らん(@_@;)
【読んだ本】
駒田信二(編訳)『中国笑話集』(講談社文庫,1978)所蔵本
「のどとふところ」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-08 )、そして、
「おたのしみ」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-10 )、三番目の章の
「商売しょうばい」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-23 )に続いて、
「できる!」も読んで、以前に読んだ村山吉廣(訳編)『中国笑話集』(社会思想社現代教養文庫,
1972⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-01-15 )にも載っていた話を、両書が
訳し方のスタイルだけでなく細部までビミョーに異なっていることを示すために引いてみたりもした
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-26 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
さて、本書も最終章「とんちん漢」に入り、まるでダルタニャンのような斉の景公の話を引いたけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-30 )、同章の117篇の笑話を読んで、
巻末の駒田信二による「解説」(笑話を中心としたちょっとした中国文学史になっている)も読み、
本書も読了(^o^)丿 同章からは「北京かぶれ」と「お粗末」を引いておく(^_^;)
ある息子、北京から郷里に帰ってきて、事ごとに北京のことをほめる。月の夜、
父親といっしょに道を歩いていると、誰かが/「今夜の月はいい月だなあ」/
というのがきこえた。すると息子は、/「こんな月のどこがいいんだ。北京の月は
こんなものよりずっとすばらしいよ」/といった。父親がそれをきいて怒り、/
「月は世界に一つだ。なんで北京の月だけがよいものか」/といって、息子に
拳骨をくらわした。息子は泣きべそをかきながらも、/「そんな拳骨なんか
珍しくないよ。お父さんは知るまいが、北京の拳骨はそんなものよりもずっと
すばらしいよ」
ある男、人と話をするとき、自分のことについては何ごとにも
「お粗末でございますが」といって謙遜する。/あるとき、
客を招いて酒をふるまっていると、月がのぼってきた。
客がよろこんで、/「今夜はまことによい月で」/というと、
その男、/「いいえ、ほんのお粗末な月でございまして」
・清少納言らが月光の絶対主義ならば、花山院や西行らは相対主義かな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-17
戦後史 進歩的文化人の言論と責任』(文春文庫,1997)にざっと目を通してみたけど判らん(@_@;)
【読んだ本】
駒田信二(編訳)『中国笑話集』(講談社文庫,1978)所蔵本
「のどとふところ」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-08 )、そして、
「おたのしみ」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-10 )、三番目の章の
「商売しょうばい」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-23 )に続いて、
「できる!」も読んで、以前に読んだ村山吉廣(訳編)『中国笑話集』(社会思想社現代教養文庫,
1972⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-01-15 )にも載っていた話を、両書が
訳し方のスタイルだけでなく細部までビミョーに異なっていることを示すために引いてみたりもした
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-26 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
さて、本書も最終章「とんちん漢」に入り、まるでダルタニャンのような斉の景公の話を引いたけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-30 )、同章の117篇の笑話を読んで、
巻末の駒田信二による「解説」(笑話を中心としたちょっとした中国文学史になっている)も読み、
本書も読了(^o^)丿 同章からは「北京かぶれ」と「お粗末」を引いておく(^_^;)
ある息子、北京から郷里に帰ってきて、事ごとに北京のことをほめる。月の夜、
父親といっしょに道を歩いていると、誰かが/「今夜の月はいい月だなあ」/
というのがきこえた。すると息子は、/「こんな月のどこがいいんだ。北京の月は
こんなものよりずっとすばらしいよ」/といった。父親がそれをきいて怒り、/
「月は世界に一つだ。なんで北京の月だけがよいものか」/といって、息子に
拳骨をくらわした。息子は泣きべそをかきながらも、/「そんな拳骨なんか
珍しくないよ。お父さんは知るまいが、北京の拳骨はそんなものよりもずっと
すばらしいよ」
ある男、人と話をするとき、自分のことについては何ごとにも
「お粗末でございますが」といって謙遜する。/あるとき、
客を招いて酒をふるまっていると、月がのぼってきた。
客がよろこんで、/「今夜はまことによい月で」/というと、
その男、/「いいえ、ほんのお粗末な月でございまして」
・清少納言らが月光の絶対主義ならば、花山院や西行らは相対主義かな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
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