「悲劇の・・・」と形容される人物の評価にはバイアスがかかりがち〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

池田亀鑑『古典学入門』(岩波文庫,1991)所蔵本

源実朝は、辞世とされてる歌も在原業平、藤原清正、式子内親王、菅原道真の4首のコラージュ和歌に
過ぎないし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-07 )、和歌の師藤原定家
が作った本歌取りのルール=規範に違反している詠作がメチャ多くて、盗作将軍かとC= (-。- ) フゥー
定家の教えを誤解したようだし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-09 )、
実朝を見ると通信教育やオンライン授業に教育効果を期待してもやっぱり限界が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

    ・・・『金槐集』の実朝の歌に、

      奥山の岩根におふる菅のねもころころにふれる白雪

    とあるのは、『万葉集』巻二十の諸兄の歌の第五句「ふりゆく白雪」を改訂しただけで
    ある。一体に実朝の歌には、『万葉集』の歌のつぎはぎによって成立したものが多い。
    これは剽窃と見るべきものであろうか、あるいは、かえ歌のようなものと見るべきで
    あろうか。または、習作時代に、単なる模倣によって作法を学んだ初心者の練習過程を
    示すにすぎぬものと見るべきであろうか。それは、偽瞞や策謀の意図があるかないかに
    かかっているが、実朝の歌は、他の理由からして、剽窃や盗用というような道徳的規範
    に照らして批判すべき性質のものではないと思われる。───すくなくとも、わたくし
    にはそう考えられる。/・・・

「すくなくとも」から、「そう考え」ない人も存在すると池田亀鑑も流石に認識してるみたい(^_^;)
「『万葉集』の歌のつぎはぎによって成立したものが多い」とあるが、辞世とされる歌は『古今和歌
集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『新古今和歌集』の各入集歌の「つぎはぎ」=コラージュ(^_^;)
さて、『万葉集』の注釈書が手元に無いので、ネットを検索して見付けたのは、橘諸兄の「高山の巌
[いはほ]に生ふる菅[すが]の根のねもころごろに降り置く白雪」という歌だけど、どう見ても、
〈第五句「ふりゆく白雪」を改訂しただけ〉ではないと思うのだが、どうなってるのかしら(@_@;)