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220521読んだ本

タイマンではなく、実は四人対一人だったのなら、別に負けても仕方がないと思うけどねp(・ω・*q)

【読んだ本】

源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 下』(ちくま学芸文庫,2021)所蔵本

    ・・・/たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信ずるかぎり
    人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、
    「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。
    「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、
    人麿歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の
    人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、
    「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。
    現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は
    奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、この説明は
    無理である。奈良時代に接しているからという論法自体コジツケであるが、
    「御時」をそこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において
    「御時」とは天皇の治世、すなわち御宇のことであり、「ならの御時」は
    平城[なら]の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に
    対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。
    「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に
    仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿
    とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところで、「古今集」から
    百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだ
    という歌が二首見える。これ、第四の人麿である。/人麿を一人ではなく
    四人とすると、その間の矛盾はなくなる。・・・

片桐洋一『新装版 小野小町追跡 「小町集」による小町説話の研究』(笠間書院,1975→1993改訂新版
→2015新装版)の記述だが、実は不老不死で全て同一人物・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;サン・ジェルマン伯爵?
「柿本人麿」とは実は名跡で二代目柿本人麿という風に和歌の上手い人が代々襲名してたのかも(^_^;)

んで、本書から巻第六「亭宅諸道」の四七「公任と具平親王、貫之・人麻呂を沙汰の事」の訳(^o^)丿

    四条大納言[藤原]公任卿が具平親王のもとを訪ね、主張なさるには「[紀]貫之は
    和歌の達人です」と。親王は「しかし[柿本]人麻呂には及ばない」とおっしゃった。
    大納言はそうでないと申し上げた。それで後日、それぞれが秀歌十首ずつを持ち寄り
    対戦なさったところ、八首は人麻呂の勝ち、一首は引き分け、一首は貫之の勝利だった。

この説話に対する伊東玉美の「評」を始めとして、本書が間違いだらけなのはさておき、この論争に
おいて「人麻呂の勝ち」とされた歌は、全て同じ人麿の作なのだろうか(@_@;) 手元にある各文献は
この論争を取り上げながら、どれも人麿が複数存在したことには全く言及してないんだよね(@_@;)

・伊東玉美(校訂・訳)『古事談』は注釈がスカスカのカスなんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27

・『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』は一見よく調べてるようで実は手落ちがある(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-29

・「ポルノグラフィティの要素」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?日本のロックバンドの名称(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-07

・ちくま学芸か岩波、どちらかが誤読・誤訳をしていることになるわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-27

・万寿4=1028年没の道長が長久3=1042年生の師実を知るわけねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-28

・光孝天皇は親王時代にはビンボーだったんだ(;_;)と同情したのを後悔(ノ ̄皿 ̄)ノカネカエセー!┫:・

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-25

・注釈スカスカの本書で『古事談』を読むのは愚の骨頂だが、上には上が(下には下が?)( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-20

・出典を調べれば「分憂」とは天子の憂いを分かつ意なのに民の憂いを分かつと解説してる( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-24

・よく知られている花山天皇が藤原道兼に騙されて退位・出家するシーン、誤訳ではないかと(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-31

・誤訳や間違いを何度か指摘してきたが、軽微とはいえ誤記があったので、記しておく_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-18

・伊東玉美は「大型の鳥」と限定も、「小さい鳥」でも「不吉なことだ」とあるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-30

・「子息」とは男子の意味で、女子をも含む「子ども」とするのは誤訳ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-01

・西行の「短絡」と兼好は窘めたのが『徒然草』の主旨だし、鳶と判ってて「見馴れぬ鳥」かよ(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-18
タグ:説話 和歌
コメント(16) 
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コメント 16

アニマルボイス

なるほどなるほど、人麻呂4人説。
白土三平の劇画に出てくる名言「猿飛とは人の名ではない。術の名だ」に匹敵するねえ。888
by アニマルボイス (2022-05-21 21:23) 

middrinn

白土三平『忍者武芸帳〈影丸伝〉⑪蔵六』(小学館文庫,1976)の巻末に
収録の「忍法秘話 夢幻」という短篇では「猿飛」は人名でしたよ(^_^;)
by middrinn (2022-05-21 21:34) 

ナベちはる

タイマンでなく「四対一」であれば、負けても仕方がないですね(^^;)
by ナベちはる (2022-05-22 02:07) 

middrinn

なのに、タイマンで勝ったように書くのは如何なものかと(^_^;)
by middrinn (2022-05-22 05:32) 

df233285

やはり月の入りは往生ではなくて、古来、朝のすがすがしさなのでは。

by df233285 (2022-05-22 08:17) 

アニマルボイス

「サスケ」の冒頭を読むべし。
by アニマルボイス (2022-05-22 09:36) 

middrinn

都は山に囲まれているので、〈月は山(の端)に入る〉わけでして、
長さん様、出家・遁世、そして、前に挙げた歌のように寿命を表現
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-08
(^_^;) 出家・遁世によって憂き世を離れることで「すがすがしさ」
は感じるかも(^_^;) 「月の入り」が「古来、朝のすがすがしさ」を
表現している古典作品等の叙述など御教示頂ければ幸甚ですm(__)m
by middrinn (2022-05-22 16:47) 

middrinn

白土三平『サスケ』は未読なので、御教示ありがとうございましたm(__)m
アニマルボイス様、作品が違えば設定も異なるということでしょう(^_^;)
1961年6月から東京タイムズで連載が始まった『風神の門』で司馬遼太郎
は「余談」として猿飛佐助についての「多少の解説」もしておりまして、
「猿飛の異名は、その身がるさから出たものだろう。/佐助は、ただしく
は、三雲佐助賢春という。」と記してて、似た発想かと(^_^;) wikiだと
『サスケ』は「光文社の少年漫画雑誌『少年』1961年7月号から」連載が
始まったようですが、滝田誠一郎『ビッグコミック創刊物語』(祥伝社
黄金文庫,2012)には「青林堂の出版物第1号は貸本用に白土三平が書き
下ろした『サスケ』である。貸本業界はすでに斜陽化していたが『サスケ』
は人気があり、よく売れた。」とあるし、wikiの「白土三平」の項にも
「1961年、長井が三洋社を解散し青林堂を設立、白土はここで『サスケ』
『忍法秘話』などの貸本を手がける。」とあって、ちょっと謎です(^_^;)
by middrinn (2022-05-22 16:55) 

アニマルボイス

「サスケ」を最初に読んだのは貸本だったような気がします(半世紀以上昔のことで、そこにボケが加算されていますので断定はできませんが)。その後「少年」だったか(ここもあやふや)で読んで「あれっ、これ読んだことあるぞ」と思ったので。
白土三平の劇画は、「忍者武芸帖」が小学館から発売されたのを読んだときも、なんとなく貸本で読んだときと絵の感じが違っているような気がしました。貸本のときの原画がなくなっていたのか、いずれにしても赤目プロで描き直したのではと考えています。
で、「サスケ」ですが長い話の前半1/3はお薦めですが、後半は時間の無駄です。冒頭が、猿飛佐助の死から始まるなんて、おもしろそうでしょ。(^^)/
by アニマルボイス (2022-05-22 20:17) 

middrinn

貸本で公刊して「よく売れた」作品を月刊誌で連載するというのは凄いですね( ̄◇ ̄;)
その「冒頭」は、たしかに惹き込まれるツカミで、「よく売れた」のも納得です(^_^;)
by middrinn (2022-05-22 20:45) 

tai-yama

実は本名は、柿本一(ひと)麿でその後に二麿、三麿、四麿と
居たのかも。
by tai-yama (2022-05-22 22:40) 

アニマルボイス

もう誰も読んでいないと思いますが、当時の記憶として・・・
売れたかどうかはわかりませんが、貸本と市販誌とでは売り上げ(読者数)が二桁、三桁ちがいますから、市販誌の編集者から見たら貸本読者なんてものはゼロ。「よく売れた」なんてたかだか貸本屋が買ったというこのに過ぎず、貸本ですでに出ていたなんてことは全く問題にしませんね。
貸本→市販誌という流れはそれほど珍しいものではなく、水木しげるの「鬼太郎」や「悪魔くん」などのその流れです。
白土の「忍者旋風(風魔忍風伝)」とその続編の「真田剣流」は貸本で読んだような記憶がありますが、さらにその続編の「風魔」は「少年ブック」に連載されたなんてこともありました。

by アニマルボイス (2022-05-22 22:50) 

middrinn

直木三十一、直木三十二、直木三十三、直木三十五を、
tai-yama様、何故か連想してしまいましたよ(^_^;)
by middrinn (2022-05-23 05:53) 

middrinn

ナルホド!( ̄◇ ̄;) 当時はよくあるパターンだったんですね( ̄◇ ̄;)
アニマルボイス様、ネット上の人気作品を、その後、紙媒体で出版する
パターン(『電車男』『生協の白石さん』等)を連想しました(^_^;)
by middrinn (2022-05-23 06:14) 

yokomi

私もサン・ジェルマン伯爵を思い出しました(^_^;) ただ近年五麿、六麿...や伯爵の御名も聞きません。「昔の名前」で出るのをやめたのでしょうか。それとも老衰には勝てなかったとか?(^_^;)
by yokomi (2022-05-23 16:12) 

middrinn

四人しかいなかったからでは(^_^;)
by middrinn (2022-05-23 16:56) 

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