「GWも後半戦に」とアナウンサーが言ってたけど、休暇ですら〝戦い〟になっちゃうのか(@_@;)

【読んだ本】

岡村繁『新釈漢文大系99 白氏文集 三』(明治書院,1988)

    ・・・/誤訳のある翻訳はいい翻訳とはいえないだろう。だが誤訳はなくても、
    よくない翻訳はある。それは原作の言葉だけを訳していて、作品そのものを
    摑んでいない翻訳である。/・・・

駒田信二『漢字読み書きばなし』(文春文庫,1994)にあったけど、まさに至言かと( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

和歌の解釈では三十一文字だけではなく詠作事情が記された詞書や勅撰集・私家集での部立・配列も
考慮に入れて読み解いている国文学の研究者が、漢詩文に関しては文字面だけで解釈する謎(@_@;)

『竹取物語』『蜻蛉日記』『源氏物語』『更級日記』には〈月を見ることは忌むこと〉という俗信に
基づいている叙述があるとして、その典拠に白居易(白楽天)の「贈内(内に贈る)」を挙げている
各注釈書を取り上げてきたけど、その「贈内(内[ない]に贈る)」(0796)を本書185~186頁から
通釈も含めて引く(返り点は略し、一部の字体は異なり、訳注稿は竹村則行が担当)( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    漠漠闇苔新雨地  漠漠[ばくばく]たる闇苔[あんたい] 新雨[しんう]の地、
    微微涼露欲秋天  微微[びび]たる涼露[りやうろ] 秋ならんと欲する天。
    莫對月明思往事  月明[げつめい]に對して 往事[わうじ]を思ふ莫[なか]れ、
    損君顏色減君年  君が顔色[がんしょく]を損じて 君が年を減ぜん。

     雨あがりの地一面に、苔がおおいひろがり、
     秋になろうとする時節に、白露がうっすらとおりている。
     ところで、そなたは、月光にやたら往事を偲ばない方がよい。
     物思いは、そなたの容色を損ない、そなたの寿命を縮めるものだから。

この作品も、月を見ると家族・友人や故郷が思い出され、月は人を「物思い」にふけらせる、悲しく
させる、という中国の伝統的な発想がベースにあることは、明白だわな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
要注目なのは、「傷心の妻に贈ったいたわりの詩である。」(185頁)という解題かと(^o^)丿 ただ、
白居易の妻が何故「傷心」だったのか説明が無い(^_^;) 白居易の伝記は読んでないし、『白氏文集』
の読み方が間違っているのかもしれないけど、前の方の頁を見ていくと、本書169頁の「病中哭金鑾子
(病中、金鑾子[きんらんし]を哭[こく]す)」(0776)は、「病中の白居易が、女児金鑾子の死
を悲しんだ詩である。金鑾子は元和四年(八〇九)に生まれ、同六年(八一一)に急病死した。時に
白居易は母の喪中で渭村にいた。・・・」(本書169頁)と解題されてるので、「女児金鑾子の死」に
よって白居易の妻は「傷心」だったかと(@_@;) 月を見ることで家族=「女児金鑾子」のことを思い
出して、その「往事を偲」んだこと、加えて、渭村での作である「秋霽[しうせい]」(0452)には
「多病の妻(病気がちの妻)」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-03
とあることも踏まえて、「君が年を減ぜん(そなたの寿命を縮める)」は理解すべきだろう(@_@;)

つまり、〈月を見る → (家族を思い出して)物思いにふける〉という基本パターンに「女児金鑾子
の死」による「傷心」+「多病」という白居易の妻の特殊事情・状況が相俟って〈→ 寿命が縮む〉と
解されるべき作品(@_@;) ところが、『竹取物語』『蜻蛉物語』『源氏物語』の各注釈書を見ると、
こういったコンテクストを無視して、誰でも月を見ると寿命が縮むと一般化しちゃっている(@_@;)

例えば、〈月を見るのを忌む発想は、「月明ニ対シテ往事ヲ思フコト莫カレ 君ガ顔色ヲ損ジ君ガ年ヲ
減ゼン」(白氏文集・巻十四・贈内)などの中国伝来の思想・・・〉と阿部秋生&秋山虔&今井源衛
&鈴木日出男(校注・訳)『新編日本古典文学全集24 源氏物語⑤』(小学館,1997)402頁の頭注10に
あるけど、漢詩句の「言葉だけを訳していて、作品そのものを摑んでいない」典型かとC= (-。- ) フゥー

他方で、『竹取物語』の「月の顔見るは、忌むこと(月の顔を見るのは不吉なことですよ)」に関し
片桐洋一(校注)『竹取物語』(片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子[校注・訳]『新編日本
古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』[小学館,1994]所収)が次の頭注(@_@;)

    『白氏文集』の「内ニ贈ル」という詩に、「月ノ明キニ対シテ往[い]ニシ事ヲ
    思フナカレ。君ガ顔色ヲ損ジ、君ガ年ヲ減ゼン」とある。これにも、空に照る月
    と時間の単位としての月の対比が基盤にあるようだが、わが国でも、「大方は月
    をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの」(古今・雑上 在原業平、
    伊勢物語・八十八段)というような発想がある。このように理知的なものと土俗の
    民間信仰的なものが入りまじって、月を見るのは不吉という観念ができあがった
    のであろう。「月をあはれといふは忌むなりといふ人のありければ 独寝のわびしき
    ままに起居つつ月をあはれといみぞかねつる」(後撰・恋二 読人しらず)、
    「老人どもなど『今はいらせたまひね。月見るは忌みはべるものを』」(源氏物語
    ・宿木)。

「空に照る月と時間の単位としての月の対比が基盤にある」なんて業平の歌からの付会だろ(@_@;)

研究者も「断章取義的」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-28 )(^_^;)