読書に厄介なことは、阪神の西や楽天の浅村をゲストに呼ぶ局である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
阪神の糸井が第6戦のTV中継のゲストに呼ばれたが、オリファンは糸井に対しては好意的かと(^_^;)
深読みではなく邪推すると、フツーの著者は枚数を抑えるため一つの論点は一箇所に纏めて書くが、
著者が版元の(元?)社長だったから枚数がいくら膨らもうと誰も制止できなかったのか(@_@;)

【読んだ本】

保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)

今日も拾い読みしてたら、昨日取り上げた『おくのほそ道』への「深読み」を保坂弘司が再(力)説
してたので、本書555頁から引く(^_^;)

    /花山院は出家ののち、元慶寺いわゆる花山寺にあってご精進あり、播磨国書写山に
    幸して性空に道を問い、あるいは比叡山に登って廻心戒を受け、諸国の名山古刹を
    遍歴されて、艱苦をきわめられたようである。『奥の細道』で、加賀国の那谷寺で、
    芭蕉が花山院を追慕して、「石山の石より白し秋の風」という一句を残している。
    諸学者はほとんど問題にしていないが、これは「左の山際に観音堂あり。花山の法皇
    三十三所の巡礼遂げさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷と名づけ給ふ
    とや。那智・谷組の二字をわかち侍りしとぞ。」という地の文との関連において
    味わい読むべき句であろう。つまり、花山院のご悲運への感慨がこの句の背景になって
    いるのである。このことは『銀河の序』における序と句との関係を考えてみれば、
    容易に理解されるところである。・・・

俳諧はさっばり解らんけど、この発句への「深読み」を「諸学者はほとんど問題にしていない」のも
当たり前かと(^_^;) 芭蕉が『銀河の序』で佐渡の流人に言及してることから「荒海や佐渡によこたふ
天河」には流人への「感慨」も込められてるとするように「石山の石より白し秋の風」も解釈すべし
という保坂弘司の主張だけど、久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)は、
「荒海や」をちゃんとそう解釈してるし、「芭蕉は新しい俳諧紀行文を創始するために、地の文章は
発句をどのように効果的に紀行文の中に据えるかというところに重点を置いて書き、地の文と発句と
が文芸的相乗効果を挙げ得るように不可分の関係にあるものに仕上げている。」と巻末の「解説」で
書いてるぐらいだから「石山の」も「地の文との関連において味わい読」んだ結果、保坂弘司が言う
芭蕉の「花山院を追慕」「花山院のご悲運への感慨」などは汲み取れなかったのではないかと(^_^;)
この「深読み」は、テクストを掘り下げたというよりも保坂弘司の頭の中を投影したものでは(^_^;)
『大鏡』に引かれた花山院の「こゝろみにほかの月をも見てしがなわがやどからのあはれなるかと」
を「わが家で眺める月の趣きふかさを現実にしみじみ感じ入っている趣があって、佳詠といえる。」
(本書565~566頁)と評しているけど、もし「深読み」したいのなら『詞花和歌集』以外も調べれば
良かったのにね(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-29 )C= (-。- ) フゥー
保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)の275~276頁に次の記述があった____φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    /(一) 前段に引き続いて、そして前段よりさらに鮮烈に、若き日の道長
    を「こゝろ魂のたけき」人として描いている。すでにふれてきたことだが、
    このことは『大鏡』の文芸性の探求にきわめて重要である。『大鏡』に
    おける人間的優越は学問・和歌の教養よりも、より多く「こゝろだましひ」
    「やまとごゝろ」を根底条件としているからである。これらのことばに
    よって表わされる強靭なる意志、不屈なる気魄、豪快なる胆力といった
    積極的人間美は、王朝男性の理想として追求されている。・・・

たしかに、と思うけど(渡辺実『大鏡の人びと 行動する一族』[中公新書,1987]を読んだから)、
だからといって、『大鏡』の読解には「和歌の教養」は不要とはならんだろうオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

・花山院が播磨国で月の光の明るさに都を恋しがる歌を詠んでいるのが意味深に思えてしまう(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-28

・よく知られている花山天皇が藤原道兼に騙されて退位・出家するシーン、誤訳ではないかと(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-31