読書の厄介なところは、著者がパラレルワールドの住人という疑惑である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(2バカチン)】   

上宇都ゆりほ『源平の武将歌人 コレクション日本歌人選 047』(笠間書院,2012)所蔵本

ダルくて偶々視界に入った本書を手に取りパラパラめくってたら目が留まった件が2つヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

平忠盛の「有明の月も明石の浦風に波ばかりこそ寄ると見えしか」の「鑑賞」の末尾に( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・/後に見るが、藤原俊成に自作の和歌の巻物を託して壇の浦に沈んだ
    忠盛の子薩摩守忠度の感動的な最期は、父忠盛のこの和歌にすでに遠く胚胎
    されていたとみられないこともない。/

「薩摩守忠度」の辞世とされてる歌を取り上げた「後」の方では、正しく記されてるのにね(@_@;)

北条政子(本書によると『曾我物語』作者の創作歌)の「積もるとも五重[いつへ]の雲は厚くとも
祈る心に月を宿さん」の「鑑賞」で次のように解説されていた∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?

    ・・・/覚一本『平家物語』巻五「奈良炎上」において、東大寺の大仏が焼き討ちされた
    場面で「秋の月が五重の雲に溺れる」という表現が見受けられるため、右の歌の第二句
    「五重の雲」とは、のちに頼朝が犯すことになる大仏焼き討ちの罪を暗示すると思われる。
    とすれば、政子の歌は、単に頼朝の戦勝を祈るのではなく、挙兵によって頼朝が犯すで
    あろう罪業の深さを述べ、それを自らの罪として、祈りによって浄化しようとしたものと
    なろう。・・・

もしかして、もしかすると、著者と小生とでは、歴史が異なるのかもしれないねエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?