読書の厄介なところは、名前は知ってても顔は知るはずがないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ねぇ、ボクが誰だかわかる? ボク、実は、安徳なんだよ! えっ!? 知らない!? 山川の教科書にも
出てくるはずだよ! 壇ノ浦の戦いとか聞いたことないかな? えっ!? 歴史の勉強は大嫌いだって!?
日本史だけでもまじめにしておけば、今頃ちょっとした文化人って、森高千里も言・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)

本書所収の今川了俊の旅日記『道行きぶり』(稲田利徳による校注・訳)に面白い件(422頁)が(^^)

    ・・・/その東に寺がある。阿弥陀堂という。安徳天皇がこの浦で亡くなられた後に、
    知盛卿の女の少将の尼とかいった人が、この所に残りとどまって、平家の人々の菩提を
    弔っていたが、その後に菩提所になされ、そこに安徳天皇の御尊影もいらっしゃる。
    そこの本尊は、清盛公の、福原の持仏堂にあった阿弥陀仏ということだ。さらに、
    小松の大臣[重盛]の本尊といった仏も立っていらっしゃる。この度、安徳天皇のことを
    いつか夢の中にお目見えしたので、幾度となく、その御菩提を弔った。どのような世々の
    契りがあってのことかと思われた。/・・・

「いつか夢に見えさせ給ふことの侍りしほどに」(422~423頁)に付された頭注22(423頁)に「了俊
は以前、安徳天皇の霊夢を見たことがあり、そのためもあって、御霊を弔ったようだ。」とあるが、
藤原行成が夢で小野道風に逢って「書法を授けよう」と言われたという話について「小野道風は康保
3年(966年)没らしく、藤原行成は天禄3年(972年)生まれゆえ、面識は無い(^_^;)」と指摘したの
と同様(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-08 )、今川了俊は南北朝時代
・室町時代初期の武将だから、安徳天皇の顔など知るはずがない(^_^;) 夢の中で「朕は安徳なり」と
名乗ったのかな(^_^;) でも、諡号を本人が知る由も無い(^_^;) 「御尊影」を見て、あの夢の少年は
安徳天皇だったのか!と判ったのか(^_^;) だとして、前に見た夢を憶えてるとは、流石、了俊(^_^;)