読書の厄介なところは、注釈なしの現代語訳は多くを学べないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
小説でも訳注の無い翻訳の場合は、解った!味わえた!とは言えないということになるのかな(@_@;)
そもそも原文が載ってないから、訳者によってミスリードされてしまう危険があるわなヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)

本書36頁の正暦4年(993年)7月29日条だけど、源雅信はモテモテだったということでOK?(@_@;)

     二十九日、乙卯。 源雅信、薨去

    入道左大臣従一位兼行皇太子傅源朝臣雅信が薨去した。年は七十四歳。
    身は数代の天皇に仕え、位は一品に至った。三朝の補佐の臣となった。
    朝廷が重んじたところである。洛陽の士女は、その薨逝を聞いて、
    皆、恋慕した。

典拠のある紋切型表現っぽいが、「恋慕」に違和感(@_@;) が、疲れてて調べる気にならん(-ω-、)

wikiの「源雅信」の項には〈父の敦実親王[=ウダダの子]が琵琶の名手として有名で、その影響か
雅信自身も「音楽堪能、一代之名匠也」といわれるほどの達人で「源家根本朗詠七首」などを定め、
後世に朗詠の祖とまで言われるようになった。他にも有職故実や和歌、蹴鞠にも通じていたといわれ
ている。その一方で村上天皇の御世、侍従として天皇の側で仕えていたが「仕事中には公務の事しか
口にしない堅物」だとして村上天皇からはやや敬遠されたともいわれている。『大鏡』によれば、
「南無八幡大菩薩 南無金峯山金剛蔵王 南無大般若波羅蜜多心経」という念誦を毎日百回ちょうど
行う事を日課にしていたという。〉とあったけど、勅撰集入集は『新古今和歌集』の1首だけなのに、
「・・・和歌・・・にも通じていたといわれている」というのは、根拠のない紋切型表現か(@_@;)