休校でホワイトデーのお返しをウヤムヤにできるとほくそ笑む不埒者よヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
わざわざ渡しに行けば高得点よオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ打算的なのは「みやび」に非ず!
このチンタラ伊勢物語、阿部俊子ばかり槍玉に挙げてるから、アベガー伊勢物語と呼ばれそうだ(^_^;)

【読んだ本】

片桐洋一『伊勢物語全読解』(和泉書院,2013)

阿部俊子(全訳注)『伊勢物語(上)』(講談社学術文庫,1979)を基本テキストにして、片桐洋一&
福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語
平中物語』(小学館,1994)の福井貞助による校注・訳、石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語
訳』(角川文庫,1979)、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』(講談社文庫,1972)、中河與一
(訳注)『伊勢物語 付 現代語訳』(角川文庫,1953)等で補いつつ、『伊勢物語』をチンタラと読む
ラジコンロックの第19回ゴルァヽ(`д´ ヽ) 第19段を石田穣二の訳で引くオリャ!!(ノ`△´)ノ ┫:・'∵:

    昔、男が、宮仕えしていた女の所で御達[ごたち=やや別格の女房の呼称]であった人と
    情を通じていたが、いくばくもなく疎くなってしまった。同じ所なので、(男の姿が)
    女の目には見えるものの、男は、そんな女が居るよとも思っていない。(そこで)女が、

     天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから

      (天雲のように私から遠い存在にあなたはなってゆくことよ、さすがに私の目には
       見えているものの──)

    と詠んだので、男が、返しの歌に、

     天雲のよそにのみして経[ふ]ることはわがゐる山の風はやみなり

      (天雲があなたから遠く離れてばかりいるのは、私の落着くべき山の風が激しい
       からです)

    と詠んだのは、ほかに男のある女だという話だった。 

この2首は『古今和歌集』にも入ってて、後者(初句が「ゆきかへり」)は在原業平作で、前者は詞書
から紀有常の娘が詠んだものと考えられるし(紀有常とする説も)、また『伊勢物語』とは歌の意味
がチト異なる(^_^;) 渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)33頁の頭注欄の
解説を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /他の男を通わせる女を男が捨てて無視し、女の怨み言を[原因は貴女の方にあると]
    責め返す、後味の悪い段だが、『古今集』と読み比べると面白い。『古今集』は、
    紀有常の娘に通っていた業平が、根にもつ事があって、昼間訪問して夜は帰って行く
    態度をとりつづけた、という状況を語って、この贈答を挙げる(附録参照)。業平は
    『古今集』によれば陰湿ないやがらせをしているのだ。だが『伊勢物語』は同じ贈答を
    語るにあたって、そのような「みやび男」にあるまじき態度を捨てているのである。
    十八段の「なま心」とともに、『伊勢物語』が最もきらったものが何であったかを
    理解すべきであろう。/

本段の女も紀有常の娘なら業平の妻なのに愛人がいたわけで実はイタリア人・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;モラヴィア?

阿部俊子は本段冒頭の「昔、男、宮仕えしける女の方に」の語釈に次の如く記してたヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・[男の「宮仕え」の対象である]「女」は染殿の后(文徳天皇の中宮で
    清和天皇の母である藤原良房の娘・明子)と見られている。/

この男が「宮仕え」した「女」について片桐洋一166頁の語釈は次のように記すオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・『冷泉家流伊勢物語抄』などの古注は、染殿の后に仕えていたと言っているが、
    もちろん根拠はない。/

「もちろん」とあるのが超ウケるねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 片桐洋一147頁は「近現代の注釈書に
おいても、このような[鎌倉から江戸初期の]伝承的注釈書の影響を受けていることを自覚せずに
『伊勢物語』を論じ『伊勢物語』を注釈しているものがあることは遺憾というほかない。具体的に
書名をあげることは避けるが、『伊勢物語』を読む場合は、この点についての見極めが何よりも大切
である。」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-16 )とプンプン(-"-)

『古今和歌集』と対比しつつ、『伊勢物語』の特徴を片桐洋一167~168頁は次のように指摘(⌒~⌒)

    ・・・『伊勢物語』では、二人が同じ宮の内に出仕していたと、[『古今集』の詞書より]
    さらにわかりやすく説明しつつも、『古今集』では「紀有常女」と女の名を明記していた
    のを「女」と書くだけにして名を隠している。『伊勢物語』の他の章段の「女」と同様に、
    名を示さない方法をとることによって物語らしくするとともに、『古今集』に名が示されて
    いることを知っている読者には、裏づけのない他の章段についても、あたかも事実の裏づけ
    があるかのように思わせる、みごとな「虚構の方法」となっているのである。/一方、男の
    返歌は、『古今集』の「ゆきかへり」の場合は、「行きつ戻りつしながら、雲が山にかかれ
    ないで空で時を過ごしているのは、あなたに近づき難いものがあるからです」と言っている
    ことになるのに対して、『伊勢物語』では相手の言葉「大空の」をそのまま受けて「お言葉
    のように…」と言っている。会話的やりとりの趣きが強く出ているのである。つまり、
    『古今集』の場合に比べて、物語に必要な「場面性」が強く出ているのである。/・・・

『伊勢物語』研究の第一人者だけあるなぁ( ̄◇ ̄;) 168~168頁の本段の【注釈史・享受史の論点】
と【まとめ】で片桐洋一が契沖を批判している((;゚Д゚)ヒィィィ!

    /契沖の『勢語臆断』は、資料に基づいて実証的に注釈することで、中世の『伊勢物語』
    注釈書の説を一変させた画期的な注釈書であるが、その一面、『伊勢物語』の方法を
    考えないで、資料と短絡したり、語法だけで平面的読解をしてしまう弊もないわけではない。
    /この段の場合、/・・・/と記されているのも、その例と言ってよかろう。/「染殿后」
    ならば「女」と呼び捨てにしないで、敬語を使うはずだと言っているのであろうが、実名や
    身分を隠して書くのは、この物語の多くの章段に見られる作者の方法なのである。これに、
    たとえば「染殿后」などという名をあてはめて享受するのが、この物語の読者の方法なので
    ある。/

    /『勢語臆断』において、契沖は、この段については『古今集』の記述が正しいと
    決めつけて、『伊勢物語』の方法を顧慮だにしていないが、同じ宮の内で(染殿の后
    の御殿でもよいし、そうでなくてもよい)、やや顔をそむけながらも、立ち会って
    歌を詠み交わしている男女という構図が想定される『伊勢物語』の場面性を考えたいと
    思うのである。成立過程として言えば、この段の場合は、第二段・第四段・第五段・
    第九段(八橋の場面と都鳥の場面)などのような『古今集』に先行する章段とは違って、
    『古今集』によって作られた章段であるが、成立した限りは、『古今集』に戻って解釈
    するのではなく、『伊勢物語』の方法の中で、最高の読みを心がけるべきであろう。/


第16段で紀有常が仕えた「三代のみかど」について、淳和・仁明・文徳を指すと解釈されていたのを
「・・・これを仁明・文徳・清和と訂正したのは、契沖の『勢語臆断』が最初である。」と評価も、
「契沖の言うように、史実を無視して物語の文脈だけで説くのは確かに問題であるが、史実に拘泥し
過ぎて、物語の本意を無視してしまうのも、足りないものがあるように思われる。」(143頁)とし、
「・・・文学作品としての『伊勢物語』の真意を把握することを何よりも優先させるべきであろう。」
(144頁)と主張して、片桐洋一144~145頁は次のように述べていた_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・つまり、ここ[第16段]で述べられていることは、事実そのものではなく、
    事実と虚構が一体となった虚実皮膜の世界である。ここでは実在の紀有常の姿を
    借りてはいるが、実在の紀有常をそのままに描くのではなく、やさしい「心」、
    打算では動かない「雅」の心を追求しようとしているのである。『伊勢物語』は、
    写実からは遠く離れたところにある「心」を描く文学だったということが、
    あらためて確認されるのである。/

・『伊勢物語』が描く「みやび」( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-28 )、
 日本文化として脈々と受け継がれているとされるがイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-29

・17歳年下から17歳年上まで、この男の守備範囲の広さはゴールデングラブ賞ものやね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-05

・在原業平の歌は鬼たちを感じ入らせるほどじゃなかったということかしらオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-07

・今井源衛の頭の悪さは知ってたが、敢えて言おう、バカチンであるとヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-22