月も替わり注文可能とはいえ、買う予定の古本、出品者同士の値下げ競争が一昨日に止まってしまい、
出品者として設定した最安値だろうけど、小生的にはまだまだ高~い山の頂のような値だよ(´ヘ`;)
朝から尾根道を歩いて寺へ行き、お墓もキレイに(^_^;) 読まずに歩くと35分で到着__φ( ̄^ ̄ )メモメモ

【読んだ本】

上坂信男&神作光一&湯本なぎさ&鈴木美弥(全訳注)『枕草子(上)』(講談社学術文庫,1999)所蔵本

メチャ有名な「秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに」云々という件の「山の端」の
本書の語釈に吃驚仰天∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    山頂。「山と天の接する部分を山の方からいう語。『山ぎは』[←「春は曙。
    やうやう白くなりゆく、」の後に出てくる]に対する。」(旧体系)。

岩波の日本古典文学大系から引用した「山と天の接する部分を山の方からいう語」という説明からも
明白なように〈山の稜線〉のことなのに何故「山頂」に限定するんだヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
てゆーか、「山の端」は(歌語だけど)フツーに各社の国語辞典も〈山の稜線〉と説明してるぞ(-"-)

当然のことだけど、萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 上』(新潮社,1977→2004年15刷)は
「春は曙。」の件に出てくる「山ぎは」の頭注で、

    山の稜線と接する天空の下際。天空に接する山の稜線を指す「山のは」と対照語。

と説明するように、「山の端」を「天空に接する山の稜線」としている〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

ところが、石田穣二(訳注)『新版 枕草子 上巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1979)の脚注も
「山の端」を「山の頂。」としてるじゃんヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ まさか!?と思って、石田穣二(訳注)
『新版 伊勢物語 付 現代語訳』(角川文庫,1977)を披いて、メチャ有名な第八十二段に出てくる歌
「飽かなくにまだきも月の隠るるか 山の端逃げて入れずもあらなむ」の脚注を見てみたら、〈・・・
「山の端」は、山の頂。・・・〉だって((;゚Д゚)ヒィィィ! こーゆー基本的な歌語も知らぬ連中のために
片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)の「やまのは【山端】」の項を引く(-ω-、)

    山の稜線。月が出入りする時によまれることが多かった。「あかなくにまだきも月の
    隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ」(古今集・雑上・業平、伊勢物語・八十二段)
    「おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月も入らじを」(伊勢物語・八十二段)
    など例は多い。

まともに和歌も解せぬ連中が古典の注釈に手を出すんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!

・何でも恋話に脳内変換する恋愛脳の湯本なぎさは読者をミスリードし『枕草子』訳注者に不適格(-"-)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-09

・清少納言の自慢話で肝心な点を解説せず、湯本なぎさと上坂信男は『枕草子』訳注者失格ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-13

・『新潮日本古典集成 枕草子』を日本文学大賞受賞として絶賛しているAmazonレヴューの浅薄さ(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-06