「お寿司が食べたい~」と大声で駄駄を捏ねて親を困らせているガキがいたが今日はこどもの日(-ω-、)
本が全品2割引きのブックオフのウルトラセール最終日、街の店舗には昨日なかったという本を頼まれた
こともあり、隣りの県の店舗まで朝から電車に乗って遠征オホホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 時間があれば歩いて
山を越えて行くんだけどね(´・_・`) かかった電車賃を取り戻そうと無駄な買い物をしがちだし(´ヘ`;)
いったん買って店を出た後、見忘れた棚があることに気付いて戻って再度購入し、頼まれてた本を含めて
5冊計1644円のが1314円で買えたから、かかった電車賃を考えても得したオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 歩いて
東京都シガンシナ区に戻り、街の中心街の店舗を覗くも何も買わず、街はずれの店舗には寄らず、歩いて
山を越え谷を越えて帰宅し13時からのオリ戦中継に間に合った(^^) K-鈴木、大城、福田が可哀想(;_;)
・・・ここまで書いてきて、ブックオフのウルトラセールが明日までだったことに気付きましたよm(__)m

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)

「ひとくちにいって、三条天皇と道長とはそりが合わなかった。」と、土田直鎮『日本の歴史5 王朝の
貴族』(中公文庫,2004改版)は断定するが、三条天皇が皇太子だった頃に藤原行成が意外なシーンを
目撃していた( ̄◇ ̄;) 本書の長保2年(1000年)2月3日の記述から一部(316頁)を引く(⌒~⌒)

    ・・・遊戯はすでに闌[たけなわ]であって、日は傾いた。左大臣[藤原道長]が退出した。
    時に殿の前の梅樹の南枝が、もう開いていた。殿下(居貞親王)がおっしゃって云ったこと
    には、「花の色は、新たに開いている。空しく[梅樹の前を通り]過ぎてはならない。」と。
    大臣(道長)はすぐに跪いて令旨を承り、花の下に進んで、ねじって一枝を折り、これを
    献上した。東宮[居貞親王]がおっしゃって云ったことには、「君折れば匂ひ勝れり梅の花
    (君が折ったので色も勝っている。この梅の花は)」と。大臣がすぐに啓上して云った
    ことには、「思ふ心の有ればなるべし(君を思う心が有るからでしょう)」と。大臣がまた、
    啓上したことには、「栽[う]え[ママ]置きし昔の人の詞にも君が為とや花に告げけん
    (この梅を栽えておいた昔の人の詞にも、「君の為」と花に告げたのでしょう)」と。
    この事は、これは即妙のことであって、感興はこの上なかった。・・・

「君が折った」「君を思う心」「君が為」と、全て「君」と訳してるので同一人物を指すかのよう(-"-)
居貞親王(後の三条天皇)の上句「君折れば匂ひ勝れり梅の花(君が折ったので色も勝っている。この
梅の花は)」の「君」は藤原道長を指しているけど、対する道長による下句「思ふ心の有ればなるべし
(君を思う心が有るからでしょう)」は居貞親王を「思ふ心」であるし、道長による一首「栽ゑ置きし
昔の人の詞にも君が為とや花に告げけん(この梅を栽えておいた昔の人の詞にも、「君の為」と花に
告げたのでしょう)」も居貞親王「の為」であることが伝わらない訳だぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

「[居貞親王のことを]思ふ」のは道長かと思ったら、ネット上で北山円正「居貞親王と藤原道長──
『権記』長保二年二月の和歌──」國文學論叢56号(2011年)を読んで脱帽、勉強になりましたm(__)m
この「[居貞親王のことを]思ふ心」が誰の心かを説明しようと、道長は「栽ゑ置きし昔の人の詞にも
君が為とや花に告げけん」を詠んでて、「昔の人」とは藤原兼家で、藤原兼家が「思ふ」由( ̄◇ ̄;)

んなわけで、専門家による委細をつくした論文があり、小生の如き素人が書くことナシオン主権(^_^;)

紫式部=藤原道長愛人説を裏付けるような両者の歌の遣り取りが『紫式部日記』『紫式部集』『新古今
和歌集』に載ってるんだけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-11 )、
藤原道長の当該返歌と久保田淳『新古今和歌集全注釈 五』(角川学芸出版,2012)の訳を引く(⌒~⌒)

    白露は 分きてもおかじ 女郎花 心からにや 色のそむらん

     白露は分け隔てして置きはしないだろう。おみなえしは自身の心のせいで
     美しい色に染まるのだろう。

「女郎花」は女房達の寓意とはいえ、この歌では花「自身の心」で美しい色に染まるとしている(^_^;)