SSブログ

170610読んだ本

東大名誉教授・文学博士といっても、人間だもの(^^) 日本語の誤用も大目に見てあげよう(^o^)丿

【読んだ本】

久保田淳『新古今歌人の研究』(東京大学出版会,1973)

藤原俊成は千載集の撰者だけど「・・・やはり身贔屓の感を免れない。」と本書が評してることは
昨日指摘したが、久保田淳が藤原俊成を依怙贔屓してるというのが本書の読後感(@_@) 藤原俊成に
肩入れするあまり、次の件には言葉の誤用が(゚ロ゚;) 「公卿に列して以後の俊成の活躍ぶりは、相当
目覚しいものがあるが、しかし[藤原]清輔の生存中は、両者の勢力は殆ど伯仲し、強いて言えば、
やはり清輔が少々俊成を凌駕していたと見るべきであろう。その関係を、現在知られる限り、俊成が
判者を勤めた初めてのものである、白河歌合以後の主要な歌合について見ると、左の如くなる。/
現存資料に照し合わせてみる限り、清輔が生存している間は、やはり清輔の方が、俊成よりも、歌合
の席に招かれて判者の座に着くことが多かったと言い得る。」と論じてるけど、お分かりかしら^_^;
『大辞林』(第一刷)には、「凌駕」とは「他のものを追い抜いてその上に立つこと。」とある(^^)
どの本にも書いてあることだけど、「平安末の歌壇は、藤原顕季―顕輔―清輔と続く六条家が長い間
主流をなしていた。俊成を中心とする新興の御子左家一派が、ようやく歌壇を制覇し得たのは、六条
家の中心人物であった清輔が没してからである。」(百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』[新潮社,
1982])という歴史があり、そのことは久保田淳自身も上記のように歌合の判者の座で例証してるし、
歌壇での地位は元から清輔の方が俊成より上なのに「・・・清輔が・・・俊成を凌駕していた・・・」
は可笑しいだろ(^。^;) この「凌駕」という言葉を正しく使って、清輔と俊成の関係を記してるのが、
井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』(笠間書院,1978)で、曰く「俊成は諸方の歌合の判者となり、
打聞を準備し、高い声望を持ち、清輔と対抗する勢いを持つに至ったが、遂にそれを凌駕するには
至らず、清輔の没後、第一人者として不動の地位を確立する。」(^^) ちなみに、久保田淳の「・・・
強いて言えば、・・・清輔が・・・少々俊成を凌駕していた・・・」という一文の「強いて言えば」
と「少々」に、俊成の劣位を認めたくない久保田淳の心情が滲み出ちゃっててメチャ笑えるね(^。^;)

超暑いけど風がメチャクチャ強すぎて網戸にしにくい(+_+) 今日は両足でホームインしたマレーロ^_^;
タグ:古典 言語 和歌
コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

コメント 4

riverwalk

大歓声だったらしいですね。
見たかった。(^^)
by riverwalk (2017-06-10 16:42) 

middrinn

ネット動画では分らないんですけど、
そうだったらしいですね(^^)
両足でホームベースを踏む姿が可愛いです^_^;
東スポの〈球場関係者によると「ブルとベルは怒られて、
へこんでいました」という。〉のも可愛いです^_^;
by middrinn (2017-06-10 17:00) 

yahantei

鵬斎(俗?)よりも、俊成(雅?)の方が似合う感じかな(?)
by yahantei (2017-06-10 18:09) 

middrinn

上部のブログの紹介文はブログのタイトルが
「けふものむべし あすものむべし」から
ヒントを得たことを明らかにしただけで、実は
鵬斎については詳しくなく意識もしてないです^_^;
貴ブログと違って、内容が薄っぺらいので、
お恥ずかしい限りです^_^;
by middrinn (2017-06-10 19:58) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0