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161127読んだ本

本を買いすぎて貧窮問答歌が飛び交う我が家にも来てプレゼントは本をプリーズ、サンタさんm(__)m

【読んだ本】

堀辰雄『かげろふの日記・曠野』(角川文庫,1951初版→1976改版10版)所蔵本

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)の「序の章 春秋の争い」の冒頭「ある恋の記録」は
『更級日記』の一節を「長々と」紹介(^^) んで、「『更級日記』の中に、作者の恋の交渉が描かれて
いるのはわずかにこの一か所だけである。この菅原孝標女という人は橘俊通に嫁して仲俊という男の子を
生んでいる。しかし、日記の表面には俊通との恋など一言もしるされていないし、その結婚のいきさつ
などにも全く触れていない。日記の上では、作者はいつのまにか結婚しており、いつのまにかこどもの
ことが記述せられるようになるだけである。右に引いた源資通との間のロマンスは作者が三十を幾つか
過ぎたころのことであるが、おそらくこの時には橘俊通との結婚生活にはいっていたであろうと推定され
ている。/作者にとって、夫との結婚はいわば実務とでも言うべきもので、記録に残す性質のものとは
思われなかったのであろうが、資通との間のはかない恋の交渉は書き残すに価することだったのである。」
という件を読んだ瞬間、一気に惹き込まれた^_^; 『更級日記』は他にも数回ほど同書で引用・言及
されてたし、興味を持ちメチャ読みたくなったのだが、『更級日記』の註釈書も訳本も我が家には無く、
買う余裕もナスビ(;_;) とりあえず、本書の「姨捨」と「更級日記」の2篇を何十年かぶりに再読^_^;
「姨捨」は『更級日記』をベースにした短篇小説、「更級日記」は随筆で、「姨捨」「かげろふの日記」
「ほととぎす」の執筆に至った動機や原文を改変した理由など舞台裏を明らかに(^^) 「京へ上ったら、
この世にあるだけの物語を見たいというのは、田舎にいる間からの少女の願いだった。」という一文は、
中村真一郎みたい^_^; この貪欲な読書欲求は好きだな(^^) 「少女はもっと物語が見られるようにと母を
責めたてていた。それだけに、そのころ田舎から上って来た一人のおばが、源氏の五十余巻を、箱入りの
まま、他の物語なども添えて、贈ってよこしてくれたときの少女の喜びようというものは、ことばには
尽くせなかった。少女は昼はひねもす、夜は目のさめているかぎり、ともし火を近くともして几帳のうち
に打ち臥しながら、そればかりを読みつづけていた。」というのも可愛い(^^) なお、この「おば」は、
アノ人なのかしら(..) さて、「姨捨」は『王朝びとの四季』が取り上げてた「ロマンス」を描いた後、
「女が前の下野守だった、二十も年上の男の後妻となったのは、それからほど経てのことだった。」と
するし、「更級日記」でも「その[「ロマンス」の]後、彼女は宮仕えを辞し、ある平凡な男と結婚し、
何事もなかったように静かに一生を終える。」とするが、直後に〈・・・「更級日記」の原文からはやや
離れてきたものになってきているらしいことは私も認めないではいられない。〉とも記しているから、
小説的効果を高めるために改変したのかな^_^; ただ、堀は「さらに私は不心得にも、自分の作品の結末
として、原文ではその女は結婚後その夫が信濃守となって任国に下ったときには京にひとりとどまって
いるのであるが、そのときその夫に伴って彼女自身も信濃に下るように書き変えてしまった。」由(@_@)
実際、「姨捨」では「夫がその秋の除目に信濃の守に任ぜられると、女はみずから夫といっしょにその
任国に下ることになった。」としている(^^) ところが、昨日届いた杉本苑子『対談 にっぽん女性史』
(中公文庫,2008改版)をパラパラ眺めると、「五十歳のとき、夫の橘俊通が信濃の国司になったので、
夫と一緒に赴任した。」と杉本は語っている(゚ロ゚;) どちらが正しいのか、『更級日記』を確認すれば、
判るんだろうけど、買う金がない(;_;) 北方謙三に人生相談したら「図書館へ行け!」と御託宣か^_^;

昨夜は今季初の湯たんぽ使用もシモヤケで爪先が痛くて痛くて眠りが浅いせいか今日はずっと頭痛(+_+)
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