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240228一昨日買った本

版元のHPに目次が掲載されてたけど肝腎な部分の記載が無いので九仭の功を一簣に虧く感じ(@_@;)

【一昨日買った本】

和漢比較文学会編『和漢比較文学叢書 第十一巻 古今集と漢文学』(汲古書院,1992)

「古本倶楽部 楽天市場店」の「良い」を704円(724円-20p)で22日注文して追跡不可能ゆう
メールで26日届いた(^_^;) 函入りなのにそのままビニール封筒で、鉛筆による書き込みが数ヵ所と
薄~いボールペンによる線引きが一ヶ所あったけど、許容範囲なので問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿

    山口博 万葉集から古今集へ ─詠花の歌を文化史の流れの中に─

    渡辺秀夫 王朝詩歌の表現位相 ─詩語と歌ことば─

    波戸岡旭 古今集以前 ─空海の詩論をめぐって─

    谷口孝介 古今集への道 ─宇多院と菅原道真─

    泉紀子 『新撰万葉集』巻頭歌の意味と位置付け ─「水之上丹 文織紊 春之雨哉」─

    工藤重矩 古今和歌集真名序の 「業和歌者」 をめぐって ─律令制社会における詩人と歌人─

    梅野きみ子 『古今和歌集』序文に見られる「艶流」 批判とその源流

    安田徳子 藤詠考 ─古今歌人の詠歌基盤─

    吉川栄治 平安朝七夕再説 ─『古今集』誹諧歌を起点として─

    大塚英子 小町の夢・鶯鶯の夢

    田坂順子 『扶桑集』と三代集

    木藤智子 『後選集』と漢文学 ─文人歌における風雅と交友を中心に─

    近藤みゆき 「見渡せば」 と 「眺望」 詩 ─拾遺集時代の漢詩文受容に関する一問題として─

    小沢正夫 平安前期の歌論と中国詩論 ─藤原公任の歌論を中心として─

    丹羽博之 古今集と漢文学 ─研究史展望・最近二十年を中心に─

同じ和漢比較文学叢書の『第十三巻 新古今集と漢文学』が258円だったことを考えると(180912
読んだ本&買った本)、チト高い気もするけど、工藤重矩論文が再録されてる工藤重矩『平安朝律令
社会の文学』(ぺりかん社,1993)を持ってることを割り引いても、上記のラインナップなら充分に
元は取れるのではないかと(^_^;) お目当ては近藤みゆき論文で、「みわたせば」という歌句が平安
中期に河原院の周辺に集った歌人たちによって用いられて以来、和歌の表現の一類型として定着した
のは、詩壇における「眺望」の詩の流行が影響を与えたためと考えられていると鈴木宏子が犬養廉&
平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,1996)で記していて
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-01-26 )、その典拠が同論文(^_^;)
汲古書院HPを見ると各論文の執筆者名&タイトルは列挙もサブタイトルの記載が無い(@_@;) 本書
や『第十三巻 新古今集と漢文学』は「和漢比較文学叢書 第二期全十巻 巻別明細 (第十・十二
・十四・十六・十八巻は仮題)」が巻末に掲載されてて各論文のサブタイトルも出てるので便利(^^)
タグ:和歌 古典 中国
コメント(5) 
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コメント 5

tai-yama

吉川英治じゃなく、吉川栄治と。同姓同名かな?
「見渡せば」鉛筆による書き込みが数ヵ所と薄~いボールペンによる
線引きが一ヶ所っ。
by tai-yama (2024-02-28 23:57) 

middrinn

今回の書き込みチェックで「見渡せば」を使うことを思い付か
なかったのが悔しい(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
by middrinn (2024-02-29 05:15) 

df233285

2月が29日しか無いのを忘れて、SSブログのバックアップを
取らないようなものの如しか。温暖化で「12まで数値が有るのに、
2月が最後」という、欧州伝統文化の明治以来の怠惰な真似も、
春などとっくに始まった感が強くなり、いよいよ行き詰まり、
どん詰まりを見せて来たようだが、対応の動き一仭有る訳でも無し。
by df233285 (2024-02-29 06:52) 

df233285

(追記)うちのご近所なんか。春草が萌え過ぎて伸び放題になり、
2月末日に、さっきまで草刈してましたよ。これも驚き。
by df233285 (2024-02-29 11:20) 

middrinn

むしろ、2月なのに29日がある!な人も(^_^;) 梅を見に行く予定が、
盛りを過ぎてしまった上に、既に桜が(+_+) 倉本一宏(全現代語訳)
『藤原行成「権記」(下)』(講談社学術文庫,2012)77頁の寛弘4年
(1007年)8月19日条は「十九日、壬子。 花山院、重態/藤原隆家・
藤原正光、双六」として〈花山院の許に参った。「御病悩は重い」と
云うことだ。右将軍(藤原実資)が参られた。権中納言(藤原隆家)
と大蔵卿(藤原正光)が双六を行なった。〉となってました(^_^;)
by middrinn (2024-02-29 14:40) 

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