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240109読んだ本

子持ち年上女から言い寄られ夢中にさせたのが自信となって稀代のマダムキラー誕生とかね(@_@;)
今月注文する古本2冊を見繕ったのでネット検索して最安値を探す必要が無くなり、つまらん(´・_・`)

【読んだ本】

井上宗雄『平安後期歌人伝の研究 増補版』(笠間書院,1988)所蔵本

    ・・・〔伊周公のご子息が、こんなになるとは〕あまりなことで、想像もつかなかった
    ことばかりですなあ。この道雅の君は、故帥の中納言[平]惟仲卿のご息女にお通いに
    なって、男子一人、女子一人をお産みなさいましたが、・・・この道雅の君の奥方は、
    どうお考えになったものか、こっそりと道雅の君のもとを去って、現在の皇太后宮
    〔姸子さま〕の御許に参上して、大和の宣旨と申してお仕えしていらっしゃるようです。
    だから、長年つれ添った妻だからといって、あてになるものですか。・・・

保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)による訳だが、この後の語りもチト笑えるんだけど、
それはさておいて、『古本説話集』の「御荒宣旨歌事 第八」という説話の主人公である「御荒宣旨
[みあれのせんじ]」は、この藤原道雅(伊周の子)の妻だった大和宣旨[やまとのせんじ]のこと
であり、例えば、三木紀人&浅見和彦&中村義雄&小内一明(校注)『新日本古典文学大系42 宇治
拾遺物語 古本説話集』(岩波書店,1990)所収の中村義雄&小内一明(校注)『古本説話集』では、
「御荒[みあれ]の宣旨」に付した脚注三で次のように解説されている(同書414頁)(@_@;)

    中納言平惟仲の女、大和守藤原義忠の妻、三条天皇中宮姸子の女房。大和宣旨・宮の宣旨
    とも。なお枕草子、大弐高遠集などに見え、御形(みあれの)宣旨集を残す人は別人。

「宮の宣旨とも」とあるのは、同説話で用いられている和歌3首の作者が『無名草子』(樋口芳麻呂
&久保木哲夫[校注・訳]『新編日本古典文学全集40 松浦宮物語 無名草子』[小学館,1999]所収
の久保木哲夫[校注・訳]『無名草子』)においては「宮の宣旨」と記されているからかな(@_@;)

同説話で用いられた「御荒宣旨」の和歌2首は『後拾遺和歌集』に大和宣旨の作として入集してて、
ともに藤原定頼へのストーカーのような恋歌だが、『後拾遺和歌集』には相模との贈答歌も1首入集
しており、犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,
1996)は同歌の「作者」の項で、大和宣旨の年齢を次のように推定する(担当は清水知子)(@_@;)

    ・・・藤原道雅との間に観尊を儲けたが、のち、大和守藤原義忠と結婚し、一男一女
    を儲ける。父[平]惟仲(九四三~一〇〇五)、夫道雅(九九二~一〇五四)、義忠
    (九八四~一〇四一)との年齢関係からみて、九九〇年頃の生まれか。・・・

同書の藤原義忠の歌の「作者」の項で小柳淳子も指摘する如く『尊卑分脈』の享年38説は誤りと論証
され諸書は揃って「生年未詳」も、典拠不明だけど、工藤重矩(校注)『詞花和歌集』(岩波文庫,
2020)も「・・・長久2年(1041)11月1日(一説,10月11日)没.58歳.・・・」と(修正)(@_@;)
また大和宣旨を「九九〇年頃の生まれ」とすると平惟仲が47歳の時の子になってしまい、チト不自然
な気がするが、話を進めて、前掲『古本説話集』が「山との宣旨とも申けり。」に付してた脚注二二
の解説を引いておく(同書415頁)(@_@;)

    道雅との間に一男一女をもうけたが、逃れて姸子(枇杷殿、万寿四年[1027年]崩)
    の女房となる(大鏡・道隆伝)。道雅との離別は寛仁元年[1017年]頃か(萩谷朴・
    井上宗雄)。定頼との関係は女房時代のことであろう。後、義忠(歌人)と結ばれ、
    夫の官にちなんで大和宣旨と呼ばれるが、長元九年[1036年]十月補任以後の呼称。

この「井上宗雄」とは本書所収の「左京大夫道雅」と題する道雅伝のことを指しているのか、当該件
を本書から引く(@_@;)

    ・・・萩谷朴『平安朝歌合大成三』(九二二頁)によると、義忠は道雅より年長であり、
    惟仲女(大和宣旨)は初め道雅の妻となったが、寛仁二年頃(三十歳と仮定)義忠に
    移ったのではないかと推測する。或いは道雅の[三条天皇の皇女で前斎宮の当子内親王
    との]密通事件、三条院からの勅勘などを契機に(寛仁元年)道雅から逃れて姸子に出仕
    したのではあるまいか。・・・

「寛仁二年[1018年]頃(三十歳と仮定)」なら萩谷朴は大和宣旨を988年生まれと推定か(@_@;)
それでも平惟仲が45歳の時の子となってしまうが、大和宣旨は、992年生まれの道雅よりも4歳上で、
984年生まれの義忠よりは4歳下ということに(@_@;) 気になるのは、藤原定頼が995年生まれなので
寛仁元年(1017年)or寛仁2年には22歳or23歳で、萩谷朴の「仮定」によると大和宣旨は29歳or30歳
で子持ち(@_@;) 定頼が恋歌を贈った「中納言の君」こと宮宣旨源陟子は少なくとも17歳上だし
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-01-07 )、年上に自信アリか(@_@;)
タグ:古典 歴史 和歌
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

女性の優劣は歳ではないと。森高千里さんや石田ゆりこさんは
普通におばさんじゃないし・・・でも、年齢は私より上っ。
じじいがモテる話は全然ないですね〜。
by tai-yama (2024-01-09 23:13) 

middrinn

年齢をごまかせるメイク術がある時代かと(^_^;)
藤原義忠が実はモテモテで若い娘もゲット(^_^;)
by middrinn (2024-01-10 05:43) 

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