全八巻を大枚をはたいて買い揃えたのに(´;ω;`)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ全て古本で計1640円じゃん!
財布の中も寒いが、3月に入り20度超えた日もあったのに、ここ数日は寒すぎて風邪ひきそう(+_+)

【読んだ本】

松田浩&上原作和&佐谷眞木人&佐伯孝弘(編)『古典文学の常識を疑う』(勉誠出版,2017)

谷沢永一は、『紙つぶて(全)』(文春文庫,1986)では「書評史上に空前の透徹した直言、痛切な
身銭を切る購読者側の立場を貫く『風の書評』(ダイヤモンド社)・・・」と高く評価していたが、
『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋,2005)では「稀代の読書通」としつつも「どうしたことか
時として偽物[パチモノ]に引っかかって無暗に賞めそやす癖があった」などと、和辻哲郎が国文学
の世界に成立過程論を導入したのを百目鬼恭三郎が持ち上げていたことを厳しく批判してる(@_@;)

    ・・・源氏物語は現存の順序で書かれたのではなく、最初に進行した物語の間へ、
    後から書き足し挿入したのだと[和辻哲郎は]提唱した。実証の上に立たない
    思いつきである。それから三十年を経て武田宗俊が『源氏物語の研究』(昭和29年)
    を書いて和辻説をいちおう理論化した。・・・/しかし武田説の弱いところは、
    挿入であるのに文体の変化がないのは何故かという問題である。文体の面から微細
    に迫った清水好子は実証的に和辻武田説を事実上葬った。論文集の代表作『源氏物語
    の文体と方法』(昭和55年)および注釈『源氏物語』全八巻(新潮日本古典集成)が
    その成果である。/・・・

この件を読んでいたこともあって、もしも『源氏物語』を読むことになったら、清水好子が石田穣二
と一緒に校注を担当している新潮日本古典集成版だと思い、その全八巻をなけなしの貯金をはたいて
買い集めたのに・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シツコイ! 本書には『源氏物語』に関する論考が何本も載っており、
そーゆーとこが嫌なんだけど、偶々「第二部 平安朝時代文学」の中川照将「『源氏物語』の巻々は
どのような順序で作られたか?」を読んでみたら吃驚( ̄◇ ̄;)

    ・・・/「玉鬘系後記挿入説」とは、一九五〇年に武田宗俊が提唱したもので、
    その論旨は、次のとおりである。

      『源氏物語』第一部の巻々のうち「玉鬘系」の十六巻は、紫上系の十七巻
      が作られた「後」に「記」され、その後現在の位置に「挿入」されたもの
      である。

    ・・・/武田が『源氏物語』第一部の成立順序を[紫上系十七巻→玉鬘系十六巻]と
    する根拠は〝記憶喪失〟にある。/『源氏物語』の巻々は、物語内の時間に沿って
    並んでいる。しかし、玉鬘系の巻であれほど活躍していた人物が、次の紫上系の巻
    では、なぜかぱったりと出てこなくなる。玉鬘系の巻であれほど重大な出来事が
    起きていたのに、次の紫上系の巻では、なぜかだれもそのことを気にとめない。
    武田は、その理由を、紫上系の巻が、その直前の玉鬘系の巻の内容を忘れたから
    ではない。そもそも紫上系の巻が作られた時点では玉鬘系十六巻はこの世に存在
    しなかった。だから、思い出そうにも思い出すことなどできるはずがない、と結論
    づけたのである。/・・・

本書84~85頁から引いたが(「[紫上系十七巻→玉鬘系十六巻]」は小生の挿入に非ず)、この後、
中川照将は映画『スターウォーズ』の例も挙げて、〈「物語内の時間の流れ」と「作られた順番」が
一致しないという現象〉はよくあることとした上で(本書85頁)、次の如く記す(本書85頁)(゚o゚;)

    ・・・武田説は、発表直後から、ごく一部の賛成派をのぞく、すべての研究者から
    批判され、抹殺ともいうべき状況にまで追い込まれてしまったのである。/わたしは、
    基本的に武田説は認められるべきだと考えている。ただ、「基本的に」と、あえて
    条件を付けているのは、武田説に関しても、その論旨とは別の部分で、反対派と同じ
    誤りを犯しているからである。その誤りとは、玉鬘系十六巻を「後記」し「挿入」した
    人物を、すべて作者紫式部だと考えている点である。/・・・

作者の藤子・F・不二雄が亡くなった後にも新しいストーリー・脚本の作品がTV放送され映画も制作
されている『ドラえもん』の例を挙げるなど、この論考には説得力があるな(^_^;) 作者が別人でも
「文体」は真似できるかと(^_^;) ところで、所蔵未読だけど、西村亨『源氏物語とその作者たち』
(文春新書,2010)は表紙カヴァーに〈原稿用紙に換算して二千五百枚にもなる長大な物語を、本当
に紫式部が一人で書いたのか───文体や登場人物の扱いなどに着目し、錯綜する展開を解きほぐす
ことで見えてきたのは、光源氏死後の話である「宇治十帖」のみならず多くの部分が、読者によって
自由に加筆や修正が行われ「成長」していった事実だった。〉とあるも中川照将と同説かな(@_@;)

・「鈴虫」の「女三の宮」が詠んだ歌は下句が丸々パクリなのに全く触れてないエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-04

・「鈴虫」の頭注が「富士山は、当時噴煙を上げていた」とする判断根拠は存在するのかね(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-06

・「柏木」の頭注を見る限り引歌の多い『源氏』の訳注をやる資格なしヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-18