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210404読んだ本

読書の厄介なところは、パクリと気付かずに創作と思い込まされることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
珍しく電車(=金)を使って帰って来たのに一冊借り忘れた(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

【読んだ本】

石田穣二&清水好子(校注)『新潮日本古典集成 源氏物語 五』(新潮社,1980)
柳井滋&室伏信助&大朝雄二&鈴木日出男&藤井貞和&今西祐一郎(校注)『新日本古典文学大系22
源氏物語 四』(岩波書店,1996)

宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(上)』(講談社学術文庫,2002)は何ら根拠も示さずに「[藤原]
実資は詠歌などに不得手」と断じてて、その当否は何とも言えぬが、その日記『小右記』の現代語訳
を読んでいると、和歌が詠まれた場にいたり、自ら和歌を詠んだり、更には人々を誘って和歌の宴を
自ら主催してたりするので、もし本当に実資は詠歌が「不得手」だとするなら、下手の横好きかもと
前に指摘したことがある(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-29 )(^_^;)

倉本一宏編『現代語訳 小右記 1 三代の蔵人頭』(吉川弘文館,2015)は永延2年(988年)7月4日条の
次は同年8月7日条だったので出てなかったんだけど、萩谷朴『おもしろ奇語辞典』(新潮社,1990)の
「鈴虫・松虫」の項には「・・・実資(九五七~一〇四六)が、三十二歳で正四位下蔵人頭であった
九八八年(永延二)七月七日に自家で催した歌合が、なんと珍しいことに鈴虫一つを歌題として、家司
や家女房その他のごく親しい人々を集めた、五番十首の構成になるものであった・・・」云々という
記述が( ̄◇ ̄;) ここまで和歌にのめり込んでたのに「不得手」と言われちゃう実資(´;ω;`)ウッ…

さて、さて、さ~て!同書の同項で興味深かったのは次の記述(原文は各下句に傍線)(⌒~⌒)ニヤニヤ

    ・・・かねがね尊敬する賢人の大将実資若かりし頃の功績を顕彰し、その歌合の歌から、

      思ひやる星合の空の心にもふり捨て難き鈴虫の声(二番左・行頼)

    の下の句を取って、

      大方の秋をば憂しと知りにしをふり捨て難き鈴虫の声

    の一首を構成し、・・・

「行頼」(橘行頼?)の歌の下句(ふり捨て難き鈴虫の声)と全く同じだけど、後者は『源氏物語』
の「鈴虫」の巻にある歌の由(^_^;) 試しに手元の樋口芳麻呂(校注)『王朝物語秀歌選(上) 風葉
和歌集 下・源氏物語歌合』(岩波文庫,1989)を調べたら、「源氏物語歌合」にも選ばれてたけど、
その注釈に『永延二年七月七日蔵人頭実資歌合』の行頼の歌のことなんて一言もナシオン主権(゚ロ゚;)
下句(14/31文字)を丸々パクってても紫式部が創作した「秀歌」扱いかよ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?

石田穣二&清水好子(校注)『新潮日本古典集成 源氏物語 五』(新潮社,1980)を調べると、当該歌
は「鈴虫」の巻に「女三の宮」が詠んだ歌として出てたが、同書353頁の頭注12を引くヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    秋という季節はつらいものと、よく分ったのですが、鈴虫の声にはまだ心ひかれます。
    「秋」に「飽き」を掛け、源氏に嫌われたのを怨む気持をこめる。「ふり」は「振り」
    の掛詞。「鈴」の縁語。

同じ「鈴虫」の巻で、冷泉院に対して光源氏が詠んだ「月かげは同じ雲居に見えながらわが宿からの
秋ぞかはれる」という歌の頭注2(同書356頁)では、〈・・・「こころみにほかの月をも見てしがな
わが宿からのあはれなるかと」(『詞花集』巻九雑上、花山院)〉というように踏まえている先行歌
も挙げているのに、下句が全く同一の先行歌を紹介しないのは、何か意図があるのだろうか(@_@;)

柳井滋&室伏信助&大朝雄二&鈴木日出男&藤井貞和&今西祐一郎(校注)『新日本古典文学大系22
源氏物語 四』(岩波書店,1996)76頁の当該歌の脚注9もまた次の通りであった((;゚Д゚)ヒィィィ!

    女三宮の歌。おおよそ秋というものを、つらいと知ってしまったというのに、
    鈴虫の声だけは未練を振り切ることが難しい。「秋」に「飽き」をかけて、
    「ふり」は鈴の縁語。裏に、上の句では男女の飽きを詠みこみ、下の句で
    源氏への感謝を言う。

「源氏に嫌われたのを怨む気持をこめ」ているのか、「源氏への感謝を言う」のか、興味深いけど、
やはり下句が『永延二年七月七日蔵人頭実資歌合』の行頼の歌と全く同一な点に触れてない(@_@;)
「月かげは」の歌の脚注で花山院の歌に言及すらしてないから頼りにならない注釈書だけど(@_@;)

清水好子『紫式部』(岩波新書,1973)の「第一章 娘時代」の冒頭を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /紫式部は、たぶん源氏物語の執筆が相当進んだか終ったこと、自分の生涯の点検を
    試みた。歌集の編纂をしたのである。紫式部集と、のちの人から呼ばれている。同時代の、
    おなじような役割を果すことによって名を残した女性──清少納言、和泉式部、赤染衛門、
    伊勢大輔たちにも、自纂かどうかの違いはあるが、それぞれ歌集あって、それを「家集
    [かしゅう]」、古くは「いえのしゅう」と言い、紫式部集は現在わかっているのは
    一二八首ある。これを他と比較すると、清少納言集は断簡なので別にして、和泉式部集が
    重複は多いにしても正続あわせて約一三七〇首、赤染衛門集が約六一〇首、伊勢大輔集が
    約一七〇首あるのにくらべて、歌数の点ではけっして多いほうではない。/・・・

紫式部の家集『紫式部集』の歌数が、同時代の女流歌人の家集の歌数と比べて少ないのは、そもそも
紫式部はたいした歌人ではないから・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;コロサレルゾ 他者比較の他に、山本利達(校注)
『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980→2016新装版)巻末の「解説」には、次の
指摘が(@_@;)

    ・・・/『源氏物語』には七九四首もの歌が紫式部によって創作されているのに、
    『紫式部集』には、少し欠落した歌の存在も推定されるが、他人の歌を含めて、
    わずかに一一四首しかない。・・・

794首「もの」歌を「創作」とあるが、先行歌と下句が丸々同じ歌も「創作」と言えるのかね(@_@;)

紫式部を「いじわるな女性」と井上宗雄が発言したら、先輩である『源氏物語』研究者が「たいへん
お怒りにな」ったぐらいだし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08 )、
『源氏物語』研究者は紫式部が先行歌の下句を丸々パクッてる事実を認めたくないのかもね(@_@;)

小学館の新編日本古典文学全集『源氏物語』は、例によって例の如く、後日「追記」する予定m(__)m

[追記210419]

阿部秋生&秋山虔&今井源衛&鈴木日出男(校注・訳)『新編日本古典文学全集23 源氏物語④』
(小学館,1996)382頁の頭注3は次の通り〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    源氏の「鈴虫は…らうたけれ」を受けて詠ずる。「秋」に「飽き」をかける。
    「ふ(振)り」は「すず虫」の「鈴」の縁語。出家の身であるが、なお鈴虫の音には
    心がひかれる、で、庭を野辺の風情に造りかえ、虫を放たせた源氏の配慮に対する
    感謝の心を表すが、裏に源氏が自分を飽き厭っていることが分っているのでつらい、
    の意をこめる。
タグ:古典 和歌
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

実資が紫式部に抗議しなかったのは・・・・
やっぱり道長の(愛人)加護があったからか?と思ったり。
by tai-yama (2021-04-04 22:36) 

ナベちはる

下の句を丸パクリされただけでなく【創作した「秀歌」扱い】されると、丸パクリされた側からしたら堪ったものではないですね(一一")
by ナベちはる (2021-04-05 00:40) 

middrinn

作者の橘行頼(だとするなら)は生没年未詳ゆえ、
tai-yama様、既に亡くなっていたのかも(^_^;)
by middrinn (2021-04-05 06:25) 

middrinn

ですよねぇ(^_^;) 「秀歌」という名誉は、
ナベちはる様、パクられた方に(^o^)丿
by middrinn (2021-04-05 06:26) 

そら

パクっても紫式部強しですか(^^;
by そら (2021-04-05 06:46) 

middrinn

紫式部だからパクリにも目をつぶると(^_^;)
by middrinn (2021-04-05 06:49) 

df233285


読書しないと、パクリに気がつく能力が身につかない。ので
パクリ見逃し絶対数ではなくて、パクリ見逃し率で読書家を
評価すべしとの教えが、冒頭の御金言には含まれますね。
また、万国の読書人を団結させる事も、パクリ見逃し確率を
減らすには大切なのでは。更には盗作者の発生は、
石川五右衛門の仲間が絶えるかどうかと言うのと同じと
いう意味も、暗に更に含まれるようですね。さて当方新規記事登録
の際に、ピンクや朱色囲み広告が出ると、思わずssブログ
の”そこからログアウトボタン”を押しそうになる今日この頃。

by df233285 (2021-04-05 07:26) 

middrinn

『永延二年七月七日蔵人頭実資歌合』は萩谷朴の代表的な著作
『平安朝歌合大成』全10巻に含まれていると思われ、専門家も
目を通しているでしょうけど、収録歌が膨大な数でしょうから
『源氏物語』の当該歌との酷似にまで気付けるかどうか(^_^;)
他方で、専門家は『おもしろ奇語辞典』は読まないかも(^_^;)
パクリに気付くには本を読むしかないのはおっしゃる通りですが、
上述の如く、パクリに気付くにはセンスも必要でしょうし、また
一般向けの雑学っぽい本にも目を通すぐらい徹底が必要(^_^;)
たしかに記事投稿直後に広告も出るようになりましたね(^_^;)
by middrinn (2021-04-05 08:28) 

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