読みながらウトウトしてると濡れ縁では猫が寝てて、フト気付いたら猫の姿に・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
少しでも電気代を節約するために21時過ぎには消灯して寝てるのに日中チョー眠いニャア(-ω-、)
ガス代をヨリ節約するためにお風呂の給湯温度を更に1度下げて37度に設定しようかニャア(@_@;)

【読んだ本】

駒田信二『中国故事 はなしの話』(文春文庫,1981)所蔵本

「男女の話」の章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-04 )に続いて、
「語源の話」の章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-10 )を読んで、
「夢の話」の章を読んだ(^_^;) 同章では「邯鄲の夢(or邯鄲夢の枕、一炊の夢、黄梁一炊の夢)」
(←唐の沈既済の小説「枕中記」)、「南柯の夢」(←唐の李公佐の小説「南柯太守伝」)、「巫山
の夢(or巫山の雲、巫山の雨、巫山の雲雨、雲雨、雲となり雨となる)」(←『文選』所収の宋玉の
「高唐の賦、並びに序」の「序」)、「胡蝶の夢」(←『荘子』斉物論篇)、「華胥の夢(or華胥の
国に遊ぶ)」(←『列子』黄帝篇)を取り上げている(^_^;)

    ・・・/荘子の主張はそのあとにあらわれる。/〈周[=荘子の名]と胡蝶とは即ち
    分[ぶん]あり。此[これ]を之[これ]、物化[ぶつか]と謂う。〉/現実の姿
    からいえば、荘周と胡蝶とのあいだには確かに区別がある。これが物の変化、現象界
    における仮りの姿というものである。/荘子は「天地は我と並び生じ、万物は我と一
    [いつ]為り」という。そのような万物一体の絶対境に立っていうならば、荘周も
    胡蝶も、夢もうつつも、生も死も区別はない。あると見えるのは、それは万物の変化
    である、という主張をあらわした寓話の一つがこの「胡蝶の夢」である。/・・・

諸橋轍次『荘子物語』(講談社学術文庫,1988)には「周と蝴蝶とは即ち必ず分有らん。此を物化と
謂ふ(周と蝴蝶とは必ず別物であろうが、幻想一如となるのが物の変化の実情だ)。」とあるけど、
小生は理解することができなかったので、余計に眠くなってしまった〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ