週刊新潮2016年10月20日号が自画自賛した新潮社校閲部の目は節穴ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

    ・・・手前味噌で恐縮だが、新潮社の校閲部と言えば、出版業界では“超一流”
    として知られた存在。・・・

【読んだ本(バカチン)】

芸術新潮2016年4月号所蔵誌

本号の特集「出版戦国時代のモンスター べらんめえ国芳」の「略年譜 出版戦国時代を闘い抜いた
国芳の生涯」の「嘉永6(1853) 57歳」には次のように記されてたオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    /6月、柳橋の料亭で開かれた梅屋鶴寿の書画会で、着物を墨に浸し、
    30畳敷の大紙に《九紋龍史進憤怒の図》を描く。・・・

一ノ関圭『茶箱広重』(小学館文庫,2000)も同じことを記してたから、飯島虚心(玉林晴朗校訂)
『浮世絵師歌川列伝』(中公文庫,1993)から引用して、その間違いを前に指摘したことがあるけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-04 )、本誌1992年5月号の特集
「幕末のはみ出し浮世絵師 歌川国芳」の悳俊彦(洋画家)「チャキチャキの江戸っ子絵師 国芳」が
飯島虚心・前掲書について「この本は、国芳の死後三十年ほどたって書かれたものだが、三囲神社の
碑と並んで国芳を伝える重要資料である(長く稿本として伝わり、昭和十六年になってようやく公刊
された)。」とした上で次のように記しているC= (-。- ) フゥー

    ・・・嘉永六年(五十七歳)には梅の屋鶴寿がプロデュースした席画会で三十畳敷の
    大紙に『水滸伝』の豪傑・史進を描いたが、『歌川列伝』によればこんな様子だった
    という。酒樽に墨汁を貯え、大筆でたちまちに史進の姿を描く。手拭いの端に藍と墨
    をつけて刺青の黒雲を隈取りし、足もとの岩は浴衣を墨汁に浸して描き、居並ぶ見物
    を唸らせた。今流のパフォーマンスである。・・・

もう3月と思ってフツーの帽子で出掛けたら耳が寒い上に、まだニット帽の人が結構いた(ノ_-;)トホホ…