誰にでも理解できる文章にするには多言となりがちだし、贅言と受け止める人も出てくる(@_@;)
加えて、紙幅に限界がある以上、説明に費やされる分、盛られる情報量も少なくなるかと(@_@;)

【読んだ本】

武藤禎夫(校注)『元禄期 軽口本集 近世笑話集(上)』(岩波文庫,1987)所蔵本

本書の良いところは「補注」として巻末に本文の笑話の類話や先行話等も収録・紹介している点で、
先日の「茶の湯忠度」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-04 )に関し
ても「謡曲の詞章を誤解した笑話は数多いが、初出の咄は分かりやすい表現で出ている。」として、
「軽口大わらひ巻四・忠度の旧跡見物の事・延宝八」も紹介(^^) たしかに「分かりやすい」けど、
説明し過ぎている感じで、読み手に知的想像力を要求する本文の笑話の方が小生の好みだった(^_^;)
他方で、本文の『軽口御前男』の巻之二の五「ふじ見西行[←目録には「富士見西行」とある]」は
つまらず、「補注」が紹介している「軽口浮瓢箪巻五・西行の頓作・寛延四」の方が良いかと(^_^;)

    西行法師、諸国修行の時、三保の松原のあたりにして、追剥二三人出て、西行を
    取まはし、「酒手[さかて]を渡せ。さもなくば切殺さん」とせちがへども、
    西行少しも騒ぐ気色なく、「其方どもが刀にて、愚僧が身は切れまじ」と申さるれば、
    盗人聞て、「なぜに」といへば、「汝ら、この西行がふじみをしらぬか」。

「汝ら、この西行がふじみをしらぬか」は「盗人」だけでなく読み手に対しても向けられてる(^_^;)
本書の「補注」は〈富士見西行を「不死身」にかけた咄として、・・・〉と前置きして紹介するだけ
だが、『西行物語』の有名な「天竜川の渡し場で西行の打たれる事件・・・」(桑原博史[全訳注]
『西行物語』[講談社学術文庫,1981])を連想(^_^;) ちなみに、目崎徳衛(日本歴史学会編集)
『西行』(吉川弘文館人物叢書,1980→1989新装版)は「この話は『西行物語』の虚構であろうが、
阿仏尼[『十六夜日記』]は西行の行実と信じていたらしい。」(^_^;) なお、本書の本文の脚注も
「富士見西行」を「旅装の西行が富士山を眺める後ろ姿を図柄にしたもの。画題の一。」と解説する
だけでなく、その元になった西行の代表歌を引くべきかと(^_^;) 紙幅が無いから仕方ないか(^_^;)