「ルパン三世」と「バビル2世」を見間違えるようになったら流石にヤバいかもヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

【読んだ本】

手塚治虫『ルードウィヒ・B』(潮出版社,1989)所蔵本

    ・・・/浅井氏は、号を黙語[もくぎょ]といった。ある時音楽の話が出て、人々は、
    笛とか、尺八とか、三味線とかてんでいう中に、浅井氏一人は意表に出た。「秋の林に
    パラパラと木の葉が落ちる中に古寺があって木魚の音が聞えているのが一番よい」と。
    それから後、友人達は氏と話しては、「どうだ木魚の音とどちらがいい?」などと
    いった。そして木魚先生と呼ばれたのが自分でも気に入って木魚と号し、後にまた
    画は無声の詩という意味から、改めて黙語とした。浅井氏はその頃、「僕は志を得たら
    古寺を一つ買って、大きな木魚を備えて、始終叩かせておくんだ」と冗談にいっていた
    そうだ。/・・・

例によって森銑三『偉人暦(下)』(中公文庫,1996)の「十二月十五日 浅井忠」からの引用だが、
『更級日記』の一節を読んでるので色々とインスパイアされるものがあった(^_^;) 「画は無声の詩」
は言い得て妙だけど、もし名画なら観る者の頭の中に「声」が聴こえてくるような(^_^;) 本書巻末に
掲載の萩尾望都の「〝歓喜〟という自己実現を求めて──未完の「ルードウィヒ・B」へ──」と題
された寄稿文の末尾に次の「(付記)」がある(^_^;)

    バッハの平均律クラヴィアと、モーツァルトに命じられた即興演奏のシーンは
    すばらしい。絵とクラシック音楽には右脳が働くというが、視覚で音楽リズム
    を感じられるのは感動である。

ただ、ともに主人公が「演奏」している姿を描いている「シーン」だから、ちょっと違うかも(^_^;)